第525話 遠足 その5 『サミット・オブ・ドラゴンへの道、魔法のクッキーと、あかねの秘策』
アトラクションを降り、出口に直結したグッズショップ『サミット・ギャラリー』に足を踏み入れても、ソフィアと紬の興奮はまったく冷めやらなかった。
「ソフィア。……あの原画集、買うべき。オタクとしての義務」
「はい、Tsumugi。私も完全に同意見です。複数買いしてフィンランドの家族にも送ります。布教活動です」
二人は、レンガほどに分厚く重たい限定の豪華設定資料集を宝物のように抱え、迷わずレジへと向かった。
その横で、杏子はある棚の前で足を止めた。
そこには、今日のパレードの主役でもあるマスコットキャラクター『ヴィヴィ & トリー』の可愛らしいペアストラップが並んでいた。
「……これだね」
杏子は、青い鳥のヴィヴィと、赤いリボンのトリーが寄り添うデザインのストラップを、いくつか手に取った。
「楓と滴に頼まれてたやつだな?」
栞代に聞かれ、杏子は少し照れくさそうに微笑んだ。
「うん」
「でも、片方だけにあげると、また『なんであっちだけ!』って揉めるぞお〜」
栞代がイタズラっぽく笑うと、杏子は「大丈夫。二人に買うよ。喧嘩しないようにね」と言いつつ、なぜか三つ以上カゴに入れている。
「あ……これ、『スター・ゲイザー』の『フォーカス・スター・クッキー(穴あきレンズ仕立て)』だ」
杏子が別の棚で見つけたのは、大ヒットしたSF映画『スター・ゲイザー:銀河のレンズ』の中に出てくるアイテムを模したお菓子だった。
劇中では『見るべきものだけが見えるようになる』という魔法のクッキーとして登場する、星型で中央に丸い穴が空いたクッキーだ。
杏子は、その星型のクッキーの缶を手に取り、見本として展示されていたクッキーのレプリカの穴を、そっと片目で覗いてみた。
賑やかなショップの風景が丸く切り取られ、その中心にだけ、楽しそうに資料集のページをめくっているソフィアと紬の姿がピントを合わせて映る。
「……ふふ。本当に、大事なものが見える気がする」
自分の進路。
部活の未来。
麗霞の不在という、重くのしかかる現実。
迷いや不安がないわけではないけれど、この小さな穴から覗く世界は、驚くほどシンプルで、澄んで見えた。
「自分が射るべき的」と「大切にしたい仲間」。それだけが、このレンズの向こう側にはっきりと存在している。
杏子は、迷わずそのクッキー缶を数個、カゴに入れた。
鹿乃子大公園で鹿と格闘している真映や、潮風に吹かれている後輩たち。あの子たちがこれを覗いた時、その中心に「なりたい自分」が映ることを願って。
一通り買い物を済ませたメンバーは、まゆの車椅子の後ろの荷物入れに、買ったお土産を詰め込んだ。
「……重くない? 全部入るかな?」
まゆが心配そうに尋ねる。ソフィアたちの買った原画集が特に重い。
「よし、一回エントランス近くのコインロッカーに戻るか」
「うん。そうだな。パークの再入場は出来ないけど、ロッカーは出し入れ自由のやつ借りてあるからな」
「大きめのロッカー借りてて良かったな」
栞代とあかねがテキパキと決断し、一行はロッカーへと向かった。
その道すがら、杏子がポツリと言い出した。
「わたしとまゆ、このあとパレードの場所取りに行くよ。せっかく来たから、一番いい場所で見たいでしょう?」
「杏子、ほんとにいいのか? これから行くドラゴンのやつ乗らなきゃ、WSWに来た意味半減するぞ? 世界中からこれ目当てに絶叫ファンが来てるのに」
栞代が念を押す。
「いいのっ。私はおばあちゃん譲りで絶叫系ダメなんだもん」
杏子が開き直ったように応えた。
「だけど実はおじいちゃんは大好きなんだよなあ」
栞代が突っ込むと、杏子は小さな声で
「だ、だから、わたし、おばあちゃんに似たんだもん」
栞代はその言葉に思わず吹き出した。
——祖父が聞いたら大ショックだろうな。
でも実は、結構祖父に似たところもあるんだよな、あの二人。そう思いながら、杏子の頭を軽く撫でた。
「まゆ、シートに移れたら安全ベルトもあるし、問題ないぞ?」
とあかねも気遣ったが、まゆも首を横に振った。
「うん。ありがとう。でも、ちょっとハードすぎるな。私は杏子と一緒に場所取りしとくよ。だからみんなで思いっきり楽しんできて」
「ま、ここはそれぞれが好きなように楽しむ場所だからな。絶叫マシンは、またいつかチャレンジしにこよう」
あかねがそうまとめて、あっさりと「怖がり同盟」の別行動を認めた。
「なぁ、紬はどう思う?」
栞代が、忘れては大変とばかりに話を振る。
「……それは、わたしの、課題では、ありません」
お約束の言葉に、全員の笑顔がさらに輝いた。
ロッカーに着くと、重いお土産などを預け、代わりに午後のパレード用の小道具をしっかりと確認しながら、まゆの車椅子の荷物入れに収めていく。
場所取りと待機に必須のレジャーシート。七月の酷暑対策のためのうちわとハンディ扇風機。
そして、夏のWSW名物である「水かけパレード」でずぶ濡れ対策のバスタオルバスタオルと防水カバン、ポンチョ。さらに、写真や動画撮影で消耗が激しいスマホ用のモバイルバッテリー。
「こうして考えたら、私の車椅子も役に立つことあるね。荷物カートみたいで」
まゆが何気なく自嘲気味に言葉にしたが、あかねが即座に否定した。
「まゆ、お前何言ってんだ。いつも移動で疲れた時、わたしらがお前にどんだけ助かってると思ってんだよ。車椅子を押して歩くのが負担やと思ってたら、大間違いやからな。逆に体重かけて歩けるから、めっちゃ楽なもんやで」
「そうそう。杖代わりになるからな。だから、いつもオレもあかねと『どっちが押すか』でその役、取り合ってるやろ? あかねの利権独占は許せんからな」
そう言って、あかねと栞代は目を合わせて笑い合った。
「この特等席の利便性にいち早く気がついた杏子が争奪戦に参加したかと思ったら、今や光田弓道部員の憧れの的やで」
あかねがそう言って、まゆの頭をクシャクシャとかき回した。
まゆは黙って、少し目元を赤くして聞いている。
「松平なんかな、『一回でもまゆさんの車椅子押せたら、思い残すことなく死んでもいい』っていつも言ってるからなあ」
あかねが続けると、栞代が「ほんまかいなっ」とツッコミを入れた。
「いや、直接言ってはないけど、いつも顔にデカデカと書いてあんねん。アイツの煩悩は透けて見えるからな」
その言葉に、全員が声を上げて笑った。
「よし、そんならアトラクション組と場所取り組で二手に分かれる前に、化粧室でしっかりと日焼け止めの補充することにしますか」
あかねの提案に、栞代が「そやな。日差しヤバいし」と頷く。
「ほんなら、この白い肌を最優先で護るために、美しい順番に行こうか。ということで、ソフィア、紬、わたしとまゆが先に行くから、栞代と杏子はまずここで荷物当番しといて」
栞代は一拍置いて、冷ややかに言い放った。
「まあ、わたしは別に何言われてもええけど。今の『美しい順番』のセリフ、杏子のおじいちゃんが聞いたらどうなるかなあ? あかね、お前は杏子の家への出入り禁止になって、もう二度とおばあちゃんの黄金の卵焼きも食えんようになるぞ」
あかねは、ハッと血の気を引かせて表情を変えた。
「か、栞代、すまん! 猛省する! わたしが杏子と一緒に荷物当番するから、栞代、先に行ってくれ!」
「おい、まずは杏子を先に行かせないとあかんやろっ!」
「あ、そうか! 杏子様、どうぞお先に!」
見事な手のひら返しに、また大爆笑が起こる。
結局、「荷物の整理もしておきたいから」という杏子の希望で、最初の予定通り、栞代と杏子が残ることになった。
しばらくして、四人が化粧室から戻ってくる。日焼け止めを塗り直したソフィアの、透き通るような白い肌が圧巻だ。
「うわ〜。こうして見ると、やっぱりソフィア、抜群に綺麗だな。発光してるみたいだ」
栞代が感嘆の声を漏らした。
「いえ、日焼けには本当に弱くて。肌がひ弱なんです。日焼け止めだけはしっかりしておかないと、もう大変で」
ソフィアが落ち着いて応えていた。
そうして、日焼け対策もバッチリと準備を完璧に整えた六人。
「よし。これで次はいよいよ、大本命に向かうか!」
あかねの目が、獲物を狙う猛獣のように輝く。
あかねが本命と言ったのは、WSWの代名詞ともいっていい、世界最狂の絶叫マシンと言われている『サミット・オブ・ドラゴン』だ。
「オレ、絶対あれの一番後ろの席に乗りたい! 一番振り回されてGがかかるからな!」
栞代とあかねは、今から空中を舞う自分たちを想像して実に楽しそうだ。
しかし、パレードの場所取りへと向かう分岐点に差し掛かった時、栞代がふと足を止めた。
「でもあかね。杏子もイザとなったら大丈夫だとは思うが、弓のない杏子は、精神安定剤がない状態の無防備で無垢な女の子だからな。車椅子のまゆの二人だけで場所取りに残すのは、ちょっと心配やな。 ナンパとかされるかもしれんし……やっぱりオレも残るわ」
栞代が小声で呟くと、あかねは「そうだなあ……」と腕を組んで、少しの間考え込んだ。
そして、ポンと手を打つと、自信満々に不敵な笑みを浮かべた。
「ま、まかせとけって」
そう言って、あかねはポケットからスマホを取り出し、素早い手つきで画面を操作し始めた。
その瞳には、何やらよからぬ、しかし極めて効果的な「秘策」の光が宿っていた。




