第511話 祝勝会、光田の系譜、笑い声は時代を超えて
期末テストの終了という重圧からの解放を待って、光田弓矢会の高階会長主催による盛大な祝賀会が開かれた。
会場は、市内でも格式のあるホテルの宴会場だった。
決して全国に名を轟かせるような外資系の巨大ホテルではないが、地元で長く続き、市民に愛されている老舗のホテルだ。
エントランスを抜けると、ふかふかの絨毯が足音を吸い込む。
磨き上げられた床に、シャンデリアの柔らかな照明が反射している。
壁には落ち着いた意匠の装飾が施され、整然と並べられた大きな円卓の上には、パリッと糊の効いた白いクロスが張られていた。
普段は結婚式の披露宴や、地元企業の重要な催しに使われるような場所だ。
ジャージや制服での移動が多い弓道部の生徒たちにとっては、少し背筋が伸びるような空間だった。
だが、過剰な緊張を強いるほどの堅苦しさはない。
ここが、彼らの血の滲むような努力を祝うために用意された、晴れの舞台なのだ。
生徒たちは、ほんの少しの背伸びを楽しみながら、はしゃいだ声を上げていた。
そして、宴会場へと続く廊下には、高階会長が粋な計らいで準備した特別な演出があった。
ずらりと並べられた、光田高校弓道部の歴史を物語るパネル写真の数々だ。
一番古いものは、セピア色に褪せた戦前の写真だった。袴姿も凛々しい先輩たちの姿から始まり、時代を下るごとに写真の質が上がっていく。
その中盤。光田高校が最初に全国選抜大会で準優勝した時の、大きな写真と新聞記事の切り抜きパネルがあった。
練習を終え、制服に着替えた女子メンバーたちが、そのパネルの前を通りかかった。
「あれ? 親分、これ……大奥様じゃないですか?」
真映が、一枚の白黒写真を指さして素っ頓狂な声を上げた。
「おい、大奥様って……杏子のおばあちゃんのことだろ? お前、この前は『ご祖母堂』とか言ってたじゃないか。一つに決めてくれよ」
栞代が呆れつつも、真映の指さした写真をゆっくりと覗き込む。
そこには、今まで光田高校の玄関に飾られていた小さな写真や新聞記事とは違い、ずっと大きく、そして鮮明に引き伸ばされた一枚があった。
「おお……! そうだよ、これ、おばあちゃんだ」
栞代が、思わず感嘆の声をあげる。
的を見据えるその横顔は、まだあどけなさを残しながらも、研ぎ澄まされた刃のような美しさを持っていた。
「親分とそっくりですねえ」
「いや、ほんと、めっちゃ可愛いなあ。……おーい、杏子っっ!」
栞代は、エレベーター前で光田弓矢会の役員たち、光田高校弓道部のOB・OG組織である光田弓矢会の役員たちに捕まり、ぺこぺこと頭を下げている杏子を呼んだ。
杏子は役員に軽く挨拶を済ませると、逃げるように栞代に向かって駆けだした。
「栞代〜っ! もーっ、逃げたね〜っ。でも助かった〜っ。すっごく緊張したんだから〜っ」
「いやいや、OBへの挨拶は部長の立派な役目だろ。ってか、それより、これを見てみ」
栞代がパネルを指さす。
新聞記事の切り抜きはよく目にしていたが、学校の玄関前に飾ってある写真とは別アングルの、杏子も初めてみる一枚だった。
「あ……おばあちゃん」
杏子の表情が、一瞬でふにゃりと緩む。
「この写真、杏子、見たことあるのか?」
「ううん、初めて」
「へーっ。家にも飾ってないのか」
「おばあちゃん、昔のこと、あんまり話さないし、写真も見せてくれないんだよね。むかし、もう亡くなったひいじいちゃんにこっそり見せてもらったことがあるぐらいでさ。弓の引き方は教えてくれるけど」
祖母のことになると、杏子は途端に饒舌になる。
「へー。なんで見せてくれないんやろな」
「……何か、イヤなことでもあったのかなって思うぐらい、ちょっと心配」
杏子が少し表情を暗くして俯いた、その瞬間だった。
「杏子ちゃん、そんなことあらへんで〜!」
ひときわ大きくて陽気な声が、ホテルの上品な廊下に響き渡った。
振り向くと、そこには、祖母の同級生であり、共に全国準優勝を果たした伝説のメンバー、らんちゃん(嵐堂玲子)とヒノカン(火野美佐子)が立っていた。
二人とも、年齢を感じさせない溌剌とした笑顔を浮かべている。
「まーちゃん(祖母)の触れられたくない秘密言うたらな、弓道に夢中になりすぎて男っ気が全く無かったことと、大人しいフリして実は裏でイタズラ三昧やったことぐらいやで〜!四六時中一緒やった、わたしが言うんやから、間違い無い」
らんちゃんが、ひときわ大きな声で暴露した。
「ええっ!?」
杏子の顔が、みるみるうちに茹で蛸のように真っ赤になる。
杏子の姿を見たとたん、両脇にぴったりとくっついている楓と滴が、「部長と一緒だね」とクスクス笑いながら目配せをしている。
「ちょっと、らんちゃん! 杏子ちゃんが信じちゃうじゃないの。杏子ちゃん、らんちゃんの言うことは、99パーセント割引して聞くのがコツやで」
ヒノカンが呆れたようにツッコミを入れ、杏子の頭を優しく撫でる。
「あんた、それやったら、『まーちゃんは可愛い』いうのも1パーセントぽっちりになるやないの」
「あ、そこだけはほんまやで。割引なしの100パーセントや!」
「ここに、動かぬ証拠写真があるから分かるわなあ!」
二人はそう言って、白黒写真の中の若き日の親友を指さし、豪快に笑った。
その屈託のない笑い声は、かつて彼女たちが道場で響かせていたものと、きっとなにも変わっていないのだろう。
その様子を少し後ろから見ていたまゆは、心がぽかぽかと温かくなるのを感じた。
(……杏子のおばあちゃんも、弓道部の仲間、あんな風にうるさくて、優しくて、頼もしい仲間に囲まれてたんだなあ)
そして、今の光田高校弓道部を見る。
杏子の周りには、真映や栞代、あかねも、一華も、そしてさらには楓や滴、葡萄たちもいる。一筋縄ではいかない、一癖も二癖もあるけれど、愛すべき仲間がいっぱいいる。
(そこも、おばあちゃんと一緒だな)
なんて思い、まゆはクスクスと笑いが込み上げてきた。
一連の写真パネルの中には、実は高階会長の若かりし現役時代の雄姿(弓を引く凛々しい姿)もあったのだが、少なくとも女子メンバーは、誰一人としてそこに視線を向けていなかった。
そんな哀しき事実はつゆ知らず、会場の最前列に陣取る光田弓矢会会長・高階は、この日、実に上機嫌だった。
男女揃っての全国大会出場。
それは光田高校弓道部にとって、長い長い歴史の中でも、数えるほどしかない偉業中の偉業だった。
しかも女子は、個人戦・団体戦ともに圧倒的な成績での優勝。男子は薄氷を踏むような接戦を制しての優勝。
これほど酒が美味い夜はない。
時計の針が、宴の開始時間を告げた。
司会者のアナウンスが流れ、会場のざわめきがスッと引いていく。
高階会長は、マイクの前に立つべく、ゆっくりと、そして誇らしげに立ち上がった。




