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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
高校3年生
507/581

弟507話  瑠月との一週間 その1

カラオケボックスの狂騒が嘘のような、静かな月曜日が始まった。 空は高く、薄い雲が刷毛で掃いたように流れている。 期末テスト一週間前。 原則として部活動は禁止期間に入るが、全国大会出場を決めた弓道部、およびテニス部とバレー部には、特例として早朝練習が許可された。それぞれの顧問が団結して校長に掛け合ったのだ。


道場の扉を開けると、ひんやりとした空気が肌を刺す。 杏子は、昨日の夜、グループLINEで「一年生は、無理に来なくていいよ。勉強もあるし、身体を休めてね」と伝えていた。 気遣いのつもりだった。自分が主将として、過度な負担をかけさせまいとする配慮だった。


しかし。 「おはようございます!」 元気な挨拶と共に現れたのは、あまつだった。

「あまつちゃん? 一年生は休んでていいって……」

「わたしは選手ですから。それに、朝のルーティンを崩したくありません」

あまつが涼しい顔で言い切ると、その背後から苺、葡萄、滴がぞろぞろと顔を出す。 「あまつが来るなら、私たちも来ますよ!」

「先輩たちのサポート、させてくださいっ」


結局、いつもの全員参加という風景が出来上がっていた。


杏子は苦笑いしながらそれを受け止めたが、同時に小さな棘が胸に刺さったような感覚を覚えた。 あかね、ソフィア、真映(まえ)(かえで)。 今回の選抜で涙を飲んだメンバーたちが、どこか遠慮がちに、的から離れた場所でサポートに回ろうとしていたからだ。 (ほうき)を手に取ったり、矢取りの準備をしたり。その背中には、「自分たちは主役ではない」という諦念が滲んでいるように見えた。


杏子がその風景に戸惑っている。その空気を鋭敏に察知したのは、一華(いちか)だった。 彼女はタブレットを小脇に抱え、まずはあかねとソフィアの元へ歩み寄る。


「あかねさん、ソフィアさん。何をのんびりしているんですか?」

「え? いや、今日はサポートを……」

「とんでもない。あなたたちには『ブロック大会』という直近の戦場が用意されています。日程的にはインターハイよりも先ですよ? そこで優勝して弾みをつけなければ、本戦のデータに影響が出ます。さあ、引いてください」

一華の淡々とした、しかし有無を言わせぬ論理に、二人は顔を見合わせ、苦笑しながらも弓を手に取った。


次に、一華は真映と楓の背中を叩く。

「あなたたちには、秋があります」

「秋……?」

「新人戦です。三年生が引退した後、この光田を背負うのはあなたたちですよ。そのための準備は、今から始まっています。……部長が一番喜ぶのは、あなたたちが遠慮して縮こまることではなく、次に向けて牙を研ぐことですよ」


その言葉に、真映の目に光が戻る。

「……せやな。親分を安心させて送り出すんが、あっしらの役目か」


さらに練習終了後、栞代がさりげなく真映と楓に耳打ちした。

「杏子さ、自分が引退したあとの弓道部、すごい心配してるんだよ。……だからさ、お前らが頼もしいところ、見せてやってくれよ」

それは二人を発奮させる、半分方便で、半分は真実だった。 単純な真映と楓は、「任せてください若頭!」と鼻息荒く頷き、朝の道場に活気が戻った。


そして放課後。 道場での張り詰めた空気とは打って変わり、テスト前恒例の「瑠月講師週間」が幕を開けた。


「みんな、お疲れ様。はい、これ優勝祝いね」

部室の扉が開き、瑠月が両手いっぱいの箱を抱えて現れる。 中身は、地元の人気パティスリーの色とりどりのミニケーキ。

「うわあ! 瑠月さん、神!」

「瑠月先輩、一生ついていきます!」

部員たちの大歓声が上がり、甘い香りが教室を満たす。糖分は、疲れた脳への最高のガソリンだ。


ケーキを平らげた後は、修羅場の始まりである。 中間テストの時と同じように、過去問の傾向と対策を完璧に抑え、既にクリア水準に達しているまゆ、一華、そして二乃(にの)は、専ら教える側に回る「先生役」だ。


「ギリギリ赤点回避の女王」こと、真映。 本人は「まあ、なんとかなるっしょ」とお気楽なものだが、周りは心配で気が気ではない。 今回も一華がマンツーマンで張りつく。


「真映、この公式、さっきも間違えましたね? 脳のシワに刻み込むまで帰しませんよ」 「ひええ……一華、目がマジでコワイっすけど……」

一華の冷徹な指導に真映が白目を剥きそうになった頃合いを見計らって、まゆが「はい、じゃあ次はここをやってみよっか」と優しく交代する。

アメとムチ。完璧なローテーションが、真映の学力を底上げしていく。


救済措置があるとはいえ、三年生にとってはインターハイ出場が掛かる重要なテストだ。 瑠月も真剣な眼差しで机の間を回り、まゆと連携しながらそれぞれの苦手科目を点検していく。 特に危ない水準の部員は居なかったが、油断は大敵だ。 あかねの数学、杏子の英語、そしてソフィアの現代文には、特に慎重なチェックが入る。


「杏子ちゃん、ここ。時制の一致、忘れてるよ」

「あ、ほんとだ……。過去のことは過去にする、ですね」

「ふふ、人生訓みたいだね」


カリカリと鉛筆の音だけが響く部室。 勉強とはいえ、一つの目標に向かって全員で立ち向かうその空気感は、弓を引く時と同じだった。 苦しいこともある。分からない壁にぶつかることもある。 けれど、隣には仲間がいる。クリアすべきラインも明確だ。 それはそれで、青春の密度を感じさせる、充実した時間だった。


勉強タイムが終わり、解散の時間。 今回は栞代の手回しで、瑠月がこのまま夕食を摂りに杏子宅へ来ることになっていた。


いろんなことがあって、心に小さな(とげ)が刺さったままの杏子も、大好きな瑠月と一緒に帰宅する道すがら、すっかりご機嫌になっていた。

「瑠月さん、おばあちゃんの卵焼き、今日も美味しいですよ」

「ふふ、楽しみ。杏子のお家の味、大好きなの」


帰宅し、食卓を囲む。 前回会ってからまだ一月と少ししか経っていないのに、瑠月は内側から発光するように美しくなっていた。大学生という新しい環境が、彼女を大人にしているのだろうか。 そんな瑠月を前に、祖父は完全に骨抜きにされていた。


「こ、こりゃ、明日からは、一張羅で迎えないとイカンのう……」

普段はヨレヨレのシャツやジャージ姿で過ごすことしかしない祖父が、真顔で呟く。 すかさず栞代が、味噌汁を啜りながら突っ込んだ。

「服の前に、まずはそのお腹の減量が先じゃねーの?」

「やかましい! わしのこれは貫禄が詰まっとるんじゃ!」

「脂肪という名のな」


いつもの軽快なやり取りに杏子が声を上げて笑い、瑠月は祖母と共に、それを穏やかに、聖母のような微笑みで見守っていた。 温かい湯気と笑い声。 そこには、杏子が守りたい「日常」があった。


その後、「勉強」という名目で、杏子と瑠月は二階の部屋へ上がった。 扉を閉めると、階下の喧騒が遠ざかる。 机に向かい合う二人。しかし、参考書は開かれたまま、ページは進まない。


瑠月は、ペンを回す杏子の手元を見つめ、静かに切り出した。

「……杏子ちゃん。何か、迷ってる顔してる」


杏子は驚いて顔を上げたが、瑠月の澄んだ瞳に見透かされていることを悟り、小さく息を吐いた。

「……瑠月さんには、敵わないなぁ」


杏子は、混乱していた。 ただ単に弓道部から五人を選ぶ。外見上は、それだけの競技的な手続きに過ぎない。 けれど、光田高校弓道部のみんなが抱いている「希望」は、少し質が違う。 みんな、「杏子」と一緒に弓を引きたいのだ。「杏子」を助けたいのだ。勝利そのものよりも、その過程を共有することを切望している。


杏子は今回の出来事で、その「想い」の重さを痛切に思い知らされた。 みんなの気持ちは、涙が出るほど嬉しかった。 けれど、その「杏子と一緒に」という願いが叶わなかった時、選ばれなかったメンバーが抱く喪失感は、単なる落選とは違う。 自分が存在するからこそ、みんなが競い合い、そして傷つく。


「……前は、こういう時、『私が辞退すればいいのかな』なんて思ったこともあったんです。でも、それじゃ何も解決しないって、今は分かってるんです」


杏子は膝の上で拳を握りしめた。

「私がいることで、みんなが頑張れる。支えになれてるって、そう思う自分もいます。でも……私がいるせいで、みんなが苦しんでいるんじゃないか、重りになってるんじゃないかって……」

相反する感情が、心の中で暴れ回っている。


“わたしは、みんなの支えなのか。 それとも、みんなを苦しめる重りなのか。”


答えの出ない問い。 もともと、呑気で鈍感なところがある「宇宙人」の杏子が、地上に降りて悩み、傷ついている。 その姿を、栞代から頼まれていた瑠月は、ただ静かに見つめていた。


「…………」

瑠月は、安易なアドバイスや、気休めの言葉をかけなかった。 「そんなことないよ」と否定することも、「リーダーの宿命だよ」と突き放すこともしなかった。 ただただ、杏子の言葉に、その迷いに、寄り添いながら耳を傾け続けた。


杏子もまた、瑠月に特効薬のような解決策を求めているわけではなかった。 ただ、聞いてほしかった。 この、形にならない重たいものを、信頼できる誰かに預けたかった。

栞代は近すぎる。その点、瑠月は理想の存在だった。


しばらくの沈黙の後、瑠月がそっと手を伸ばし、杏子の握りしめた拳の上に重ねた。 その温もりが、冷え切っていた杏子の心にじんわりと染み渡る。


「……聞いてくれて、ありがとうございます」

杏子の表情が、少し緩んだ。


明日からは小さなリレーが始まる。 勉強会のあと、個別勉強会の名目で、メンバーが数名ずつ交代で、この部屋に集まることになっている。 それは栞代に相談された瑠月が仕組んだ、杏子のための、そしてチームのための、心のチューニングの時間だった。

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