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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
高校3年生
506/581

第506話 カラオケの夜 その2

栞代(かよ)が祖父母の居る二人用の「小ルーム」の重たい防音ドアを開けると、そこには令和の女子高生たちが騒ぐ空間とは明らかに異なる、別の時代の空気が流れていた。


煙草の煙こそないが、どこか紫煙(しえん)を幻視させるような、渋く、泥臭いブルースロック。 柳ジョージ&レイニー・ウッドの『さらばミシシッピー』だ。 スピーカーから流れる、しゃがれた哀愁のある旋律に乗せて、祖父が汗だくになりながら、ヘンテコなダンスを踊り、熱唱している。


腰をくねらせ、マイクスタンド(に見立てた割り箸)を握りしめるその姿。

(なんだよ……。いつも踊ってるきゃりーぱみゅぱみゅ様じゃねーのかよ……)

栞代は心の中で鋭くツッコミを入れつつ、苦笑いを浮かべて部屋に入った。


祖母はそんな祖父の様子を、まるで良質な喜劇でも見るかのように眺めながら、静かにウーロン茶を飲んでいる。栞代はその横に腰を下ろした。


「栞代ちゃん、楽しんでる?」

「ええ、ありがとうございます。おばあちゃんこそ」

「ふふ。この人のリサイタルに付き合うのも、長年の修行よ」

おばあちゃんが笑うと、目尻に優しい皺が刻まれる。


ちょうど曲が終わり、祖父が「サンキュー!」と誰もいない観客席に向かって叫び、タオルで顔を拭いながら、どさりとソファに腰を下ろした。

「おう、栞代。どうじゃ、わしの喉は衰えとらんじゃろ」

「はいはい、すごいソウルフルでしたよ」

「がはは、違いの分かる女じゃ」


祖父は上機嫌でドリンクを一口飲み、ふと、表情を改めた。 それまでのふざけた空気が、すっと()ぐ。

「……栞代。ちょっと真面目な話、ええか?」

「え?」

「お前、卒業したらどーすんだ?」


唐突な問いだった。 カラオケボックスの薄暗い照明の下、祖父の瞳が真剣な光を宿している。

栞代は少し視線を落とし、テーブルの上のメニュー表の端を見つめながら、迷いながら答える。

「あ、いや……就職しようかと思ってる。求人票、いくつか見てるし」


一瞬の沈黙。 エアコンの低い駆動音だけが聞こえる。 祖父が、少し声を低くして言った。

「大学、行った方がえーんちゃうか?」


栞代の喉が鳴る。それは、心の奥底で蓋をしていた選択肢だったからだ。

「いや、そんな学費、母親絶対に出さんし……。それに、早く自立したいし」

「あほ。この世界は闇だらけやけど、その中で光り輝くわしが居ることを忘れたんか」

「いや、そやけど……これ以上迷惑は……」

「迷惑? 栞代、お前、まだそんなこと言うとんのか」


祖父は呆れたように、けれど温かく笑った。

「ええか、手続きは全部済んどる。もちろん、実のお母さんとは縁を切る必要はないが、縛られる必要もない。お前を守るための法的な手続きは、もうちゃんとしとるんや」


祖父は身を乗り出し、栞代の目を覗き込む。

「本当になりたい仕事があって、そのために就職するなら止めん。じゃが、もし少しでも『まだ探したい』『もっと学びたい』と思うんなら、大学へ行け。猶予期間を買うと思えば安いもんじゃ。勉強しながら、ゆっくり見つけたらええ」


栞代の胸が締め付けられる。 その言葉の甘美さと、現実の重さ。

「……奨学金とかも調べたけど、返済が大変やからさ。社会人になってから何年も借金背負うのは……」

「栞代、あほたれが。そんな詐欺みたいな奨学金、借りんでええ」

「は?」

「完全返済不要の奨学金を狙え」

「いや、さすがにそれは成績とか条件が厳しいし……」

「ほんなら、この暗い世界に輝く、わしの奨学金を借りんかい。わしの奨学金は条件がえーぞ」


祖父はニヤリと悪戯小僧のような顔をした。

「……肩たたき一回、十円換算じゃ」


「十円って……全額返済まで何年かかるんや。数百年かかるわ!」

栞代の目から、不意に力が抜ける。張り詰めていた肩の力が、音を立てて崩れ落ちたようだった。

「がははは。わしが死ぬまでに返せんかったら、もうちゃらでえーぞ。……栞代」


祖父の声が、優しくなる。

「自分の進みたい道に進まなあかんで。お金のことは、わしらがなんとでもする。母親には一応報告はせなあかんけど、お前はもう、わしらの娘、いや孫同然なんやから。……変な遠慮はせんといてくれ。そやないと、わし、悲しいんや」


「娘……」 その言葉の響きに、栞代の視界が滲んだ。 ずっと「居候」だと言い聞かせてきた。いつか出ていかなければならない「借り物の家」だと。 でも、この人は、本気で言っている。


視界が滲むのを隠すように、栞代は深く俯いた。

「そやけど、ほんまにわしらの娘になったら、ぱみゅ子は姪っ子になってまうけどな。がはははは」

「……たしかに。杏子が姪っ子か。あいつ、お年玉せびってきそうだな」

栞代は涙を隠しながら、精一杯の強がりで笑った。


「おじいちゃん……。ありがとう」

「そやから、それが水臭い言うねん。ま、そういうことやから、ちゃんと考えとくんやで。……ほんなら、そろそろみんな心配するやろ、もう戻れ」


照れ隠しのように手を振る祖父。 栞代は深く一礼し、部屋を出た。


追い立てられるように部屋を出た栞代。 廊下の冷たい空気が、火照った頬に心地よい。 ふと振り返り、ドアの小さなガラス窓から中を覗くと、祖母がマイクを握っていた。 流れてきたのは、森田童子の『ぼくたちの失敗』。


静かで、どこか危うい、美しい旋律。 祖母の歌声は、細く、透明で、けれど確かな芯を持って響いている。 かつて弓の名手だった祖母の、張り詰めた弦のような声。

「……なんだかんだ言って、二人で楽しんでるんだな」

栞代は温かい気持ちになり、自分の部屋へ戻ろうとした。


その途中、杏子たちがいるBルームの前を通りかかった。 ドアの隙間から、聞き覚えのあるイントロが漏れ聞こえてくる。 栞代は足を止め、窓越しに中を覗いた。


部屋の中では、杏子がマイクを握り、目を閉じて歌っていた。 流れているのは、今まさに祖母が歌い始めたのと全く同じ曲――『ぼくたちの失敗』だった。


「……嘘だろ」


透き通るような、けれどどこか孤独な響きを帯びた杏子の歌声。 それは、先ほど聞いた祖母の声と、恐ろしいほどに似ていた。 ピッチの正確さ、ビブラートの揺らぎ、そして何より、その声が持つ「切なさ」の色。 普段の天真爛漫な「宇宙人」の姿からは想像もできない、深淵を覗き込むような静謐な歌声。


「親分、こんな時はもっと明るい歌を歌うんですよ、普通は!」

真映が文句を言いながらも、その歌声に吸い寄せられるように、ポテトを持つ手を止めて静かに聞き入っている。

「おばあちゃんがいつも歌ってるんだよ」

間奏になった瞬間、杏子が満面の笑顔で真映に言った。


(……声まで、一緒やん)

血の繋がりとは、なんと不思議で、なんと抗い難いものか。 離れていても、同じ曲を選び、同じ声で歌う。 栞代は、祖母と杏子の重なる歌声を胸に刻み、自分の中に流れる血とは違う、けれど確かな「絆」の温もりを感じながら、激しいビートが漏れ聞こえる自分たちの部屋へと戻った。


楽しい時間はほんとにすぐに過ぎてしまう。

終わりの時間が迫り、栞代はメンバー全員を一番大きなパーティールームに集めた。 A組もB組も入り乱れ、テーブルの上には空になった皿とグラスが散乱している。 宴の終わり。けれど、誰も帰り支度をしようとはしない。


「よし、そろそろ時間や」

栞代がマイクを握り、全員を見渡す。

「最後は一緒に歌おうや。……最後の曲は、真映、お前に決めさせてやる。好きな曲入れたらええで! 湿っぽいのはナシな!」


「へっ? あっしでやんすか!?」

真映が目を丸くし、それからニカっと笑った。

「合点承知の助っす! 若頭!」


「お前、歳なんぼやねん。いつの言葉や、それ」

栞代が笑う。


真映が少し照れながら、デンモクを操作して選んだ曲。 モニターにタイトルが表示され、壮大なイントロが流れ出す。 安室奈美恵の『Never End』。


「……おお」

誰からともなく声が漏れる。

「……あっしら、絶対終わらないっすから。変わらないっすから。ずっと続きますから!」


真映が叫び、歌い始める。 下手くそだけど、魂のこもった歌声。 それに葡萄が続き、ソフィアが、紬が、あかねが、まゆが、楓が。 一人、また一人と肩を組んでいく。


「La la la, la la la...」


画面に流れる歌詞を見つめながら、少女たちが声を限りに歌う。 未来はどこへ続くのか。 夢はどこで叶うのか。 誰も答えを知らない。


一つの目標に向かって走り続け、ある者は舞台に立ち、ある者はその背中を見送る。 残酷な選別があり、悔し涙があった。 けれど、今この瞬間に響いている歌声は、想いは、間違いなく「一つ」だった。同じ場所にあった。


杏子が、栞代の手を握る。栞代が強く握り返す。 あかねがまゆの肩を抱く。 真映と楓が顔を見合わせて笑う。 一年生たちが、大きく手を振り、頭の上でタンバリンを叩き鳴らす。


辿り着いた者は、仲間の想いをその弓に宿し。 辿り着けなかった者は、ありったけの祈りをその背中に託す。


互いの優しさが、痛みを包み込み、支え合う。 これからも、ずっと。


「Never End!」


最後のフレーズを全員で叫ぶ。 その「終わらない」という言葉が、カラオケボックスの壁を突き抜け、夜のドリームシティに、そして彼女たちの未来へと響き渡っていた。


「よし! 帰るぞ!」

「おー!」

頰に涙を浮かべている者もいた。しかし、全員、笑顔で前を向いていた。


外に出ると、夜風が涼しかった。 期末テスト、そしてその先の全国大会。 彼女たちの季節は、まだ終わらない。

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