第5話 光田高校弓道部
杏子たちが入学する前の光田高校の様子です。
光田高校弓道部は県内で常にトップを争う名門校であり、100年以上の歴史と伝統を誇っていた。全国大会では男女ともに過去二度の団体戦準優勝という実績、ブロック大会では幾度の個人優勝、団体優勝の歴史を持ち、全国レベルの「強豪」として、高校弓道界で広く名を知られる存在だった。
しかし、5年前、弓道部にとって大きな転機が訪れた。長年部を支えてきた滝本顧問が体調を崩し、指導から一時退くことになったのだ。滝本顧問は弓道部の発展のために積極的に指導していたため、その存在は部員たちにとっても、学校にとっても大きかった。ところが、突然のことだったので新しく任命された顧問は弓道の経験がなく、急な異動という事情もあって他の部活動を兼任しており、弓道部に対する情熱は比ぶべくもなかった。その結果、弓道部も実績を残せなくなり、学校としても弓道部の活動を、積極的に考慮することが減っていった。予算や施設の利用時間が削減され、練習環境が悪化してさらに成績に悪影響が出る、悪循環に陥っていた。
光田高校のある県は弓道部の数が少ない方であったが、県大会出場のためには地区内の6校の中で上位3校に入る必要があった。しかし、連続出場を守り続けてきた県大会への道も途絶え、次第に弓道部の存在意義さえ揺らぎ始めた。
さらに、少子化による高校定員数の削減、そしてそれに伴う部員数減少の影響もあり、部の存続が危ぶまれる状況にまで陥った。弓道部存続のため、弓道に特に関心がない生徒にも入部を勧めたが、その結果、部の雰囲気は悪化し、遊び場のように捉える部員が増え、かろうじて形を保つだけの状態にまで落ち込んでいった。
一部の意識の高い生徒の努力と、時々ではあるが、顔を出してくれた滝本先生の前の前顧問、中田先生の尽力で、かろうじて部の体裁が保たれてはいたが、不真面目な生徒を勧誘したことは後に禍根を残した。とはいえ、彼らがいなければ弓道部は人数の関係で、廃部になっていた可能性もあったといえる。
昨年、滝本顧問が体調を回復し、再び弓道部の指導に戻った。さらに、滝本顧問の恩師でもある前顧問・中田先生の紹介で、全日本学生弓道競技大会で優勝経験を持つ樹神拓哉コーチが部に招聘された。滝本顧問がまだ万全の体調ではないことも考慮したのだ。それでも顧問の復帰とコーチの就任により、学校も伝統ある弓道部の再興に理解を示し始めた。物事は悪い方向に進み出すと止まらないが、良い兆しもまた、同様に広がっていくものだ。
樹神コーチは弓道に対する確かな実力と情熱に加え、指導者としての明確なビジョンを持っていた。コーチ自身もかつて弓道から離れる経験をしたこともあり、その葛藤を乗り越えた経験から、弓の道だけではない、生きるということについても、指導者としてどうあるべきかという強い信念があった。
コーチはまず、在校生の部員一人ひとりと話し合い、やる気のある者には真剣に指導を行うと約束する一方で、あまり弓道に興味がなく、練習に参加しない者に対しても、居場所を奪うようなことはせず、練習の迷惑にならないよう距離を置くという妥協案をとった。
また、新入生には基礎からしっかりと教える方針を掲げ、部の再建を図った。この明確な指導方針によって、弓道部は少しずつ引き締まった空気を取り戻し始めた。
同時に、練習参加は完全に自由とし、試合出場選手を決めるのは、部内試合の結果にのみ基づく、と約束した。ほとんど練習をしない在校生への配慮という面もあったが、練習、結果とサポートは全力でするが、その結果は本人が考えて行動しなければならないという自主性を育てたかった。同時に、練習態度自体は問わない、とい諸刃の刃でもあった。
2年生や3年生も、指導を受けたいものは、練習に参加することはできた。
しかし、これまでなんとなくの姿勢であっても活動してきた彼らには、心の奥底に「経験者」であるという自負があったため、1年生と同じ全くの初歩からの基礎メニューをもう一度行うのは、プライドが許さず、結局彼らはほとんど変わらなかった。
そんな中、当時2年生の国広花音は異彩を放つ存在だった。彼女は弓道への情熱が強く、基礎を学び直すことに抵抗を感じていなかったため、1年生と共に基礎練習を進んで行った。そうした姿勢から、花音はやがて1年生から信頼を集め、自然と2年生の代表的存在として、やる気のある1年生と2年生の橋渡し役を担うようになった。
一方、3年生は新しい体制に反発を感じ、早々にクラブを引退していったため、部内に明確な対立は生まれなかったものの、2年生と1年生の間には明らかな溝があった。特に、花音が1年生と共に練習する姿には、一部の2年生から不満の声もあがったが、花音自身が壁となり、1年生に不満が向かうことは少なかった。
そして1年生の中には、奈流芳瑠月という少女がいた。彼女は「家庭の事情」というには大きすぎる事情があり、通常より2年遅れて高校に入学していた。入学時の年齢は3年生と同じだった。2年生に対しては年上という立場にありながら、瑠月は自然体で部員と接した。困難を乗り越えた経験からにじみ出る冷静さと包容力が、周囲を安心させる不思議な力を持っていた。どこか頼れる姉のような存在として。
彼女は持ち前の包容力で、些細な意見の違いや衝突をうまく収め、部の雰囲気が和やかであるよう心を配っていた。また、自分が一度失いかけた「学び」の場に再び立てたことへの感謝もあり、弓道の練習に対しても真剣そのものだった。その姿勢は当然周りの部員たちの信頼も集め、特に同級生である1年生たちの中に、瑠月はしっかりと居場所を作った。
瑠月と花音は、学年と年齢が逆転している捩じれた関係ではあったが、互いに認め合う関係を築き、共に弓道部の和を大切にしようと努めていた。花音が1年生と2年生の架け橋としての役割を担う一方、瑠月はその包容力でクラブ全体に安心感を与える存在だった。瑠月はどんな相手に対しても平等に接した。
瑠月の存在は、男女間を通じても弓道部の人間関係を円滑に保つ一助となり、部内の緊張が高まらないようにする潤滑油のような役割を果たしていた。
そして、今年、樹神拓哉コーチが、新たな風を弓道部に吹き込むこととなる。
中学の全国大会準優勝経験者、小鳥遊つぐみが、樹神コーチの教えを受けに入部して来ることになったのだ。
それは樹神コーチが地元を中心として地道なスカウト活動をしており、小鳥遊つぐみの実力を認め、声を掛けたからであった。
そしてさらに。
まるで想像もしていなかった、もうひとつの衝撃が、拓哉コーチ、光田高校弓道部には待っていたのだった。




