第499話 『三強の現在地、紙上の宣戦布告』
六月。梅雨の湿り気を帯びた風が、道場の窓枠をカタカタと揺らしている。 その日、光田高校弓道部に届いた一冊の雑誌は、湿った空気を一瞬で乾燥させるほどの熱を持っていた。
専門誌『弓道フロンティア』七月号。 表紙には、凛とした表情で弓を構える雲類鷲麗霞の写真が大きく掲載されている。 ページをめくれば、真新しいインクの匂いと共に、容赦のない「評価」が踊っていた。
雑誌『弓道フロンティア』7月号:特別プレビュー
【総力特集】女子弓道・高校総体のゆくえ
絶対女王・鳳城の連覇か、古豪・鳴弦館の復権か。はたまた「シルバーコレクター」光田の悲願か。
全国3強の現在地
■ 鳳城高校:生きる伝説・雲類鷲麗霞がもたらす「真の結束」
高校女子弓道界で連覇を続ける絶対王者。その中心には、今年も「生きる伝説」雲類鷲麗霞が君臨している。 特筆すべきは、5月の練習試合で光田高校に敗北を喫したという衝撃のニュースだ。この敗北が、孤高の天才だった麗霞と部員たちの間に「共通の目標」を芽生えさせた。取材陣が目撃したのは、張り詰めた空気の中、麗霞が仲間と無邪気に笑い合うかつてない光景だ。 さらに、枠外の天才少女・黒羽詩織も不動監督の信頼を勝ち取り、メンバー入りが確実視されている。敗北を知り、しなやかさを手に入れた「新生・鳳城」に死角は見当たらない。
■ 鳴弦館高校:過酷な練磨を越えた「波」の力
鳳城をも凌ぐ練習量を誇る古豪。派手さよりも反復、才能よりも鍛錬。一本の射に宿る再現性を徹底的に磨き上げるその文化は、いまなお健在だ。主将・真壁妃那と並び、麗霞と並び実力No.1の呼び声高い鷹峯かぐやが鍵を握る。かぐやは好不調の波が激しいものの、一度「波」に乗ればチーム全体を爆発的な的中へ導く圧倒的なカリスマ性を持つ。終盤に一気に畳みかける展開は、まさに伝統校の勝ち筋。接戦でこそ怖い。鳳城台頭以前の王者が、再び頂点に返り咲く準備は整った。
■ 光田高校:立ちはだかる「経験」という名の壁
昨年の選抜決勝で鳳城を追い詰めた新星。部長の杏子は麗霞、かぐやと比肩する実力者だが、公立校ゆえの層の薄さが懸念材料だ。5人制の団体戦では、控え選手の層も含めた総合力が問われる。過去、4度の決勝戦で勝ちきれず、準優勝に甘んじている。一部では「シルバーコレクター」との声も。歴史自体はもっとも古い伝統校だが、全国の舞台での経験が圧倒的に不足している。悲願の初優勝には、大舞台での「勝ち方」を知る必要があるだろう。
三強を追う「刺客」たち――弓道は水物、一矢が状況を変える
弓道に「絶対」はない。一つの矢、一つの呼吸が、盤石と思われたパワーバランスを瞬時に崩し去る。三強の喉元に食らいつく準備を進める、注目の勢力を紹介する。
■ 厳敷高校:全寮制が生む「24時間の錬磨」 今期、最も「化ける」可能性があるのがここだ。新コーチの就任により指導体制を一新。全寮制という利点を最大限に活かし、私生活から射技まで徹底した管理と連帯感を構築している。インターハイまでの伸びしろを考えれば、三強を食う「大番狂わせ」の筆頭候補と言えるだろう。
■ 千曳ヶ丘高校:執念の追跡者・小鳥遊つぐみ 公立校ゆえの選手層の課題は抱えるものの、中学時代から雲類鷲麗霞の背中を追い続けてきた小鳥遊つぐみの加入が、部全体に強烈な芯を通した。麗霞という「太陽」を追う彼女の執念は、チームメイトに波及し、活動の密度を飛躍的に高めている。
■ 群雄割拠の地方勢: さらに、八戸第一、宇都宮短大附属、浦和麗明といった伝統校から、松本深志、倉敷天城、高知城北、そして九州の雄である北九州工業、都城工業など、虎視眈々と上位を伺う猛者たちが控えている
【本誌の結論】 本命はやはり、勝ち方を知り尽くした鳳城高校。対抗に鳴弦館。光田高校は、経験不足という最後の壁を乗り越えられるかどうかが焦点となる。(記事・本紙 左藤西洋)
その活字は、単なる情報の羅列ではなく、世間が彼女たちに貼り付けたレッテルそのものだった。
光田高校の道場の隅。 雑誌を広げていた真映の額に、青筋がくっきりと浮かび上がった。 彼女が握りしめたページが、悲鳴を上げるようにくしゃりと歪む。
「……なんやこれ! この記者、うちの練習見に来てもないやんけ! 勝手なこと書きやがって!」
真映の怒声が、静寂を切り裂いた。 「『シルバーコレクター』? 誰が銀メダル集めとるんじゃボケッ! こっちは金以外、眼中にないんじゃ!」
鼻息荒く立ち上がる真映。その全身から湯気が出そうなほどの激昂ぶりだ。
「親分(杏子)! カチコミですよ! この出版社に、うちの的中ブチ込みに行きましょう! 編集長の眉間に皆中じゃ!」
彼女にとって、自分たちが侮辱されることは許せても、敬愛する「親分」率いるチームが「二番手止まり」と揶揄されることは、万死に値する冒涜なのだ。
しかし、肝心な杏子は、きょとんとして首を傾げていた。
「真映、怖いよぉ。そんなこと言っちゃダメだよ。人に向けて打つって言葉だけでもダメ。そんなに怒ってどうするの? 私たちは、いつものように引くだけだよ。人は人、私たちは私たち、でしょ?」
その声には、微塵の曇りもない。 「シルバーコレクター」という言葉に含まれる皮肉や蔑みといった成分が、杏子の心というフィルターを通る際、すべて濾過されてしまっているかのようだ。 まさに「明鏡止水」。あるいは、地球の雑音を理解しない「宇宙人」の無垢さ。 悪意という概念が欠落しているかのような杏子の反応に、真映の毒気がしゅるしゅると抜けていく。
「う……。親分がそう言うなら……」
振り上げた拳のやり場を失い、真映が口を尖らせる。
その横で、栞代が苦笑しながら呟いた。 「杏子の中では、この世に悪人なんて一人もいないからなあ……。記事を書いた人も、『応援してくれてる』くらいにしか思ってないな、きっと」
栞代は、真映の肩をポンと叩く。
「でも、真映。その怒りを普通は忘れろって言うところだけど、お前はそれを燃料にして燃え上がるタイプやからな。そのムカつき、全部的にぶつけろ。結果で見返してやればいいさ」
「……へい、若頭。覚えとけよ、左藤西洋……!」
真映は記者の名前を呪文のように唱えながら、再び弓を握った。その背中には、以前よりも濃い闘志の炎が揺らめいていた。
一方、海を隔てた鳴弦館高校の道場でも、同じ雑誌が宙を舞っていた。 ただしこちらは、怒りではなく、爆笑と共に。
「がははは!」
鷹峯かぐやが、腹を抱えて笑い転げている。 放り投げられた雑誌が、バサリと床に落ちた。 「「なーん書っちょってんよかち。『記事で腹ぁふくっが?』ち言うちょっど!」
かぐやは笑いすぎで出た涙を拭いながら、豪快に言い放つ。 「きじん字面で中たっちゅうなら、こげん骨折りゃ要らんが。波ぁ? ほいじゃ明日ぁ津波でん起こしちゃろかい。会場ごっそい呑んじまう、ばっけぇ波をな!」
彼女の奔放な笑い声は、道場の厳粛な空気を軽々と吹き飛ばす。 その姿は、型に嵌めようとする世間の評価など、鼻息一つで消し飛ぶ塵芥に過ぎないと物語っていた。 彼女にあるのは、自身の弓への絶対的な信頼と、溢れ出る生命力のみ。
そして、絶対王者・鳳城高校。 広大な道場には、弦音と矢が的に刺さる音だけが規則正しく響いている。 不動監督は静かに雑誌を閉じ、整列した部員たちを見渡した。
「『新生・鳳城』、か」
監督の低い声が、部員たちの耳に届く。 かつての鳳城は、敗北を知らぬまま勝利を積み重ねてきた。それは磨き上げられた白磁のように美しく、そして同時に堅牢さを求めた。だが、今のチームは違う。 五月の練習試合で光田高校に喫した敗北。あの屈辱が、彼女たちを「鉄」に変えた。 一度砕け、継ぎ直された器は、元のものより遥かに強固な結束を手に入れている。
不動監督の視線の先には、雲類鷲麗霞がいる。 かつては孤高の天才として、誰も寄せ付けぬ冷気を纏っていた彼女が、今は練習の合間にチームメイトと談笑し、柔らかな表情を見せている。 プライベートでも部員と過ごし、心を通わせたことで、彼女の弓から「硬さ」が消えた。 代わりに手に入れたのは、どんな状況にも対応できる「しなやかさ」だ。
(……私の指導者人生において、これほどのチームは二度と作れないかもしれん)
不動監督は、自身の「最高傑作」と自負した二年前のチーム――霜月夏帆たちがいた黄金世代――をも超える手応えを感じていた。 人格者として知られ、慎重な発言を常とする彼が、コーチ陣にさえ隠さずに自信を覗かせるほどだ。
「慢心は厳禁だが、確信は持て。お前たちは、もう一度負けることなどできないはずだ」
その言葉に、麗霞が静かに頷く。 その瞳は、深海のように静かで、底知れない。 記事に書かれた「死角なし」という言葉。 それは過大評価でも煽りでもなく、ただの「事実」として、鳳城高校の道場に鎮座していた。
三者三様の反応。 けれど、目指す場所はただ一つ。 雑誌という「紙上の戦争」を終え、彼女たちは本当の戦場へと、矢をつがえる。




