第44話 合宿一週間めの翌日 コーチからの手紙
肝試しの翌日。今日は最初にきてくれた臨時コーチとのお別れである。たった一週間といえど、真剣に向き合ってくれた人たちとのお別れは寂しい。
それに、昨日は遅くなってしまったので、泊まっていった杏子の祖父母も一緒に帰ってしまう。杏子は特別な計らいで、祖父母と一緒に泊まり、楽しく落ち着いた一夜になった。
朝練が終わり、朝食を食べたあと、神矢コーチが
「みなさん、今日で我々コーチはここを離れます。みなさんの熱心さには、わたしも大いに刺激されました。これからも、弓道を追い求める仲間として、一緒に成長して行きましょう。それで、この一週間で感じたことを、短いですが、手紙にしました。それうお渡したいと友います。」
そう言って、コーチたちが手紙を渡す準備をしはじめた時、花音が立ち上がって言った。
「神矢コーチ、稲垣コーチ、水上コーチ、白石コーチ、本当にありがとうございました。わたしたちも、みなさんへの感謝の気持ちを手紙にまとめましたので、お受け取りください。」
コーチはみんな一様に驚いた。拓哉コーチもこのことは知らなかったとみえ、驚いている。
花音がいたずらっぽく付け加えた。
「あ、拓哉コーチと滝本先生の分はありません。」
みんなが笑い、和やかな雰囲気になったところで、コーチがそれぞれ部員のところに回って、手紙の交換を始めた。
おじいちゃんが、
「わしへのラブレターは、今日じゃなくても、いつでも大歓迎だからな」
なんて言うもんだから杏子は顔をまっ赤にして
「も~、おじいちゃん、余計なこと言わなくていいから~」
と叫ぶ。栞代がすかさず
「おじいちゃんは、ぱみゅ子にしか目がないくせに~~」と、フォローなのかどうなのか、分らない声をかけて、食堂の雰囲気を和らげ、杏子への視線が集中するのを緩和していた。
杏子は、みんなが出発していった後、道場の片隅でそっと封を開けた。
部員のみんなも、それぞれの手紙を読んでいるようだ。ちゃんとあゆも貰っているのを確認すると、当然のことなのに、安心した。
杏子は、それぞれのコーチから、こんな手紙を頂いた。
稲垣勝行コーチからの手紙
杏子さんへ
今回の合宿で、あなたの弓道に向き合う真剣な姿勢を拝見し、とても感銘を受けました。いつも丁寧に基礎を大切にし、正しい姿勢を崩さないその姿勢は、弓道そのものが求める「礼」を体現しているように感じます。
あなたの射には、あなた自身の内面がよく現れています。落ち着いていて、力強く、何よりも温かさを感じさせるものでした。その温かさが、きっと周りの仲間たちにも伝わり、良い影響を与えていることでしょう。
ただひとつ、あなたがとても真面目である分、少しだけ自分自身に厳しすぎるのではないかと心配しています。失敗を恐れず、もっと自分を信じていいんですよ。弓道は「結果」ではなく「過程」が大事なことが分かっているあなたなら、必ず素晴らしい結果をもたらしてくれるはずです。
これからもその優しさと努力を胸に、自分のペースで進んでください。陰ながら応援しています。
稲垣勝行
神矢正広コーチからの手紙
杏子さんへ
この一週間の合宿で、あなたの射型と精神力を見せてもらいました。率直に言って、素晴らしいものです。特に、どんな場面でも冷静に的を狙い、ぶれることのないその集中力には感服しました。これこそが、弓道における勝利の鍵となる「安定感」と「強さ」だと思います。
ただ、ひとつだけ気をつけてほしいことがあります。弓道は個人の競技であると同時に、チームスポーツでもあります。杏子さんの能力は、すでにチームを支える柱として十分です。しかし、時にはリーダーとして周りを引っ張る覚悟も必要になるかもしれません。自分の力を信じて、もっと堂々と前に出てください。
あなたにはその力があります。自信を持ち、次のステージでさらに成長してください。自分の限界を決めるのは自分です。しっかりと目標を見据え、進み続ける杏子さんを応援しています。
神矢正広
水上恵子コーチからの手紙
杏子さんへ
あなたと出会えて、この合宿が私にとって特別なものになりました。弓道に対するあなたの真剣さ、そして何よりも誰かを想う優しい心が、射の中に現れているのを感じました。あなたが大切にしているその思いが、弓道の道を支える柱になることでしょう。
杏子さん、あなたの射には確かに完成された美しさがあります。それでも私は、あなたがこれからさらに成長し、新しい何かを見つけていく姿を楽しみにしています。弓道は、的を射抜くたびに少しずつあなた自身をも映し出します。喜びや悔しさ、全ての経験が、あなたをより強く、そして深みのある人へと導くでしょう。
最後に一つだけ。自分の心に正直であることを忘れないでください。杏子さんが何を求め、何を大切にしているのか。それを見失わなければ、どんな道を進んでも、きっと正しい場所にたどり着けるはずです。
心から応援しています。
水上恵子
白石未唯コーチからの手紙
杏子さんへ
この合宿で、あなたが見せてくれた冷静さと集中力には脱帽だよ。どんな状況でも慌てず、しっかりと的を狙うその姿勢は、まさに弓道家の鑑だと思う。特に試合の時の最後の一射には、全員が感動してたんじゃないかな。もちろん私もね。
でも、ここからが本当の勝負だと思う。杏子さんの中には、もっと大きな可能性が眠っている。次の大会や練習では、ぜひそれを引き出すために、少し冒険してみてほしい。何か新しい挑戦をすることで、自分でも驚くような結果が出せるかもしれないよ。
それに、杏子さんは本当にみんなから信頼されているよね。そんな人がいるだけで、チームはどんどん強くなる。だからこれからも自分のことを信じて、そして仲間たちを信じて進んでほしい。
また一緒に弓を引ける日を楽しみにしてるね。
白石未唯
手紙の文字はどれも丁寧に綴られており、コーチたちの個性がそのまま言葉に現れているようだった。稲垣コーチの手紙には、自分の努力を温かく見守り、認めてもらえたことへの安堵と嬉しさを感じた。「失敗を恐れず進んでいい」という言葉は、自分が時々、完璧であろうと肩に力を入れすぎてしまうことを見抜かれたようで、じんと胸が熱くなった。
神矢コーチの手紙は、自分が今後もっと大きな役割を求められる可能性を示唆していた。リーダーシップに関する言葉は少し戸惑いを覚えたが、「自信を持て」という力強いメッセージには背中を押されたような気がした。自分に期待してくれる人がいる、そう思うと自然と勇気が湧いてくる。
水上コーチの手紙には、心の奥深くまで届くような優しい励ましの言葉が並んでいた。「弓道は自分自身を映すもの」という言葉には、これまでの練習や祖母からの教えがよみがえり、自分の歩んできた道をそっと肯定されたような気がした。「もっと自分の心に正直に」という言葉を胸に刻もうと思った。
白石コーチの手紙は、気持ちが引き締まるような内容だった。「冒険してみてほしい」という言葉には、少し緊張しながらも新しい自分に出会える期待を感じた。これまでの自分は、どちらかと言えば慎重に物事を進めることが多かったけれど、時には思い切って挑戦してみるのもいいかもしれない、と素直に思えた。
杏子は4通の手紙を大切に抱きしめると、道場の畳に座ったまま空を見上げた。静かな風が吹き抜け、窓の外では蝉が鳴いている。
「コーチたちにこんな風に見てもらえてたなんて、すごく嬉しい……。」
自分が頑張ってきたことが誰かに伝わっている、そしてそれを認めてもらえた。その事実が杏子にとって何よりも励みになった。
「いつか、またみなさんと一緒に弓を引く機会があったら、その時にはもっと成長した自分を見せたい。」
手紙をきれいに畳んでバッグにしまうと、杏子はそっと立ち上がった。今日もまた練習がある。そして、自分の中にある可能性を広げる一射が待っている――そんな期待を胸に抱きながら、杏子は深呼吸をして道場を見渡した。
「よし、頑張ろう。」
杏子の声は小さかったけれど、その中に込められた決意はとても力強いものだった。




