第43話 合宿一週間め 夜
試合が終わり、一時の休憩が告げられた。多くの部員たちは部屋に戻り、試合の緊張を解いていく。しかし、杏子は一年生の栞代、紬、あかねとともに、的前に残っていた。
「少し練習していいですか?」
拓哉コーチは、その申し出に小さく頷く。おじいちゃんとおばあちゃんも、温かな眼差しで見守っている。
せっかくのおばあちゃんとおじいちゃんに見てもらえる機会。もっともっと見て貰って、アドバイスも貰いたかった。
栞代は、そんな杏子の気持ちも察して、少し居残り練習をしよう、と言ってくれた。紬は「それはわたしの課題ではありません」といいつつ、一緒に残って練習をした。
「正しい射形」を追求する杏子の姿は、今日の試合でさらに凛々しさを増したように見えた。
その横で、栞代と紬も真摯に弓を引く。時折、今日が最終日の神矢コーチと稲垣コーチの声が飛ぶ。
「力を抜いて」
「呼吸を整えて」
その言葉のタイミング一つ一つに、長年の経験が滲んでいる。
夕食の時間が近づき、拓哉コーチが、練習の終了を告げる。三人は丁寧にお礼を言って、宿舎へ帰っていく。
食堂に集まった部員たち。約束通りのエビフライの山に、歓声が上がる。
「いただきまーす!」
おじいちゃんは、一年生たちに囲まれて上機嫌だ。
「杏子は、実は本当の名前は、ぱみゅ子なのじゃ」
「またもう、おじいちゃん!」
杏子が慌てて制止するが、既に遅い。一年生たちの好奇心は止まらない。
おばあちゃんは微笑みながら、杏子の頭を優しく撫でる。
「わしゃ、ぱみゅ子が産まれた時、すぐに出生届けを出しに行こうとしたんじゃ。それなのに、雅子ちゃん、おばあちゃんのことじゃが、と息子が共謀してわしを騙してだなあ~・・・・。」
デザートのプリンが運ばれてきた時、女子チームのメンバーたちは思わず顔を見合わせて笑う。勝利の証のはずのプリンだったが、よく見ると、色とりどりのいろんなプリンが、全員に配られている。あれ?
「みんな」
拓哉コーチが立ち上がる。
「女子優勝チームにのみ、プリンの予定だったんだが、実は杏子のおじいさん、おばあさんが、差し入れで、持ってきて頂いたんだ。」
「おお~」大きな歓声があがる。
「お礼を言って頂くように」
コーチが言うやいなや、全員から嵐のように、声が懸かる。
「プリンでこんな歓声を受けるのは、たぶん世界でわしらだけじゃろうなあ。」
といって、おじいちゃんは満足そうだった。横でおばあちゃんがにこにこしている。
ちなみに、優勝メンバーにはプリンが2個、配られていた。
デザートが一段落した時、拓哉コーチが発言した。
「本日の夜練は中止にします」
部員たちが驚いて顔を上げる。
「その代わり...肝試しを行います」
食堂が、どよめきに包まれる。
「え?」
「うそ!」
しかし、コーチの表情は真剣そのものだった。
「肝だめしと言っても、朝のランニングコースを一周して帰ってくるだけです。途中にある祠の前に、箱が置いてあって、光田高校弓道部のオリジナルキーホルダーが置いてあります。これは、デザインをマネージャーの雲英あゆさんが考えたものを、滝本先生と我々コーチ陣が費用を負担して作成しました。
合宿の記念として、必ず一人一つ持って言ってください。いちいちその都度数えるから、余分に持っていかないように」と言って笑う。
「いや、たくさん持って帰る人おらんやんっ。」栞代が叫ぶ。
「いや、持って帰ってメルカリで売る人がおるかもしれん」あかねが応える。
「だって、あゆのデザインやで~、今はたいしたことなくても、将来絶対に値がでるって~。」
「それに、インターハイで雲類鷲麗霞を破った、小鳥遊つぐみが所属している光田高校弓道部のキーホルダーだからなっ。価値は爆上がりやっ」
相変わらず強気なつぐみの発言に、全員盛り上がる。
「女性は二人,ペアになってもらいます。その抽選をしますが、あかねさんは、まゆさんが車椅子で参加しますので、この二人はペアとします。」
「それから、優勝した部員女子チームには特典があります。男子部員でもコーチでも、好きな用心棒を一人選べます」
歓声と悲鳴が入り混じる中、夜の新たな冒険への期待が、静かに膨らんでいった。
夜の道場に、かすかな月明かりが差し込んでいた。肝試しの組み合わせが発表され、二人一組のペアが次々と決まっていく。
杏子と紬のペアは、おじいちゃんを用心棒に指名した。
「おじいちゃんは全然怖がらないから、大丈夫だよ」杏子が紬に優しく微笑みかける。
「そ、そ、それは頼もしいですね。こ、怖がりなのは、わたしの課題です」
紬の声が少し震えているのは、気のせいではなかった。
つぐみと栞代の強気コンビは、用心棒を断る。
「私たちだけで十分です」
つぐみの凛とした声に、栞代が頼もしげに頷く。
冴子と沙月、瑠月と花音のペアは、それぞれ男子部員から用心棒を選んだ。あかねと雲英まゆのペアは特別な配慮で、メンタルコーチの深澤が同行することになった。
「臨時コーチの皆さんは、途中で驚かす役です」拓哉コーチが説明する。
ええ~、と女性陣から悲鳴があがる。拓哉コーチはそう発表したが、実は、安全確保が第一の目的たった。
「それじゃあ、スタート!」
次々とペアが出発していく。田舎ならではの暗闇と虫の音が、独特の雰囲気を醸し出している。
最後に残ったのは、杏子、紬、おじいちゃんの組。
「さあ、行きましょうか」おじいちゃんが明るく声をかける。
「は、はい...」紬の返事が震える。
「紬、おじいちゃんはこういう怖いのは全然平気だから。ほんと大丈夫だよ。突然の物音とかには弱いけどね。」
「そ、そ、そ、それは頼もしいですね。わたしの課題です」
紬は杏子の袖を掴みながら、震える声で答えた。
暗闇の中を進んでいく三人。途中、木々のざわめきに紬が飛び上がったり、コオロギの声に驚いたりする度に、おじいちゃんが「がっはっは」と豪快に笑う。
「ほら、あそこに何か...」
「きゃっ!」
「紬、大丈夫?」
「わ、わたしの課題......」
そんなやり取りを繰り返しながら、三人は月明かりの下を歩いていく。時折、臨時コーチたちが現れては、安全を確認しながら、さりげなく驚かせる演出を加えていく。
最後まで紬は杏子の袖から手を離すことはなかったが、おじいちゃんの豪快な笑い声のおかげで、恐怖よりも笑いの方が多い肝試しとなった。
全てのペアが無事にコースを終え、道場に戻ってきた時には、それぞれが違った意味での「冷や汗」をかいていた。特に紬の「わたしの課題です」は、この夜の伝説として、しばらく語り継がれることになるのだった。
弓道部の合宿だから、全力で弓道に打ち込む。しかしまた、同時に二度とない高校生活の貴重な夏休み。少しでも違った想い出も作ってあげたい。そんな想いから実現した肝試しだった。杏子の祖父母がきてくれたおかげで、彩りも濃いものになった。
その夜は、全員、あゆのデザインしたキーホルダーの素晴らしいデザインに感動していた。これに価値を付けていくのはオレたちだぜっ。男子部員の言葉に、全員が頷いている中、あかねが、あゆサイン欲しい人は早めにね、私マネージャーだから、と言っては笑わせていた。
合宿の一日が、笑顔と共に静かに幕を閉じていく。明日からまた、厳しい練習が始まる。しかし、この夜の思い出は、きっとそれを乗り越える力となってくれるはずだ。