第403話 四月馬鹿(エイプリルフール)前日譚~カルテットの密議~ その1
第一章 悪巧みの種
あの光田高校弓道部を混乱させた拓哉コーチと滝本顧問の「担当替え」という名の壮大な嘘。その始まりは、あの運命の日から遡ることさらに数週間前。まだ肌寒い三月のある日のことだった。
光田高校弓道部・一年女子のグループLINEにこんな一文が投稿された。
真映:
【【【超絶・極秘事項】】】
明日自由練習後に緊急招集をかける。
他言は一切厳禁。秘密厳守。
この場所以外での本件に関する会話を一切禁ずる。
返信は「了解」のみ許可する。
この大げさな召集令状。
楓、つばめ、そして一華の三人は、それぞれの場所で既読をつけ、そして揃って別々の深いため息をついた。
どうせまた、便秘が治ったとか、良い歯ブラシを発見したとか、近所に美味しいラーメン屋が見つかったとか、そんなところだろうな。
楓は自室のベッドで寝転びながら、スマホの画面を睨んだ。真映の「超絶極秘」という言葉のチョイスがあまりにも彼女らしくて、思わず苦笑が漏れる。聞くだけは聞いてやらなくちゃ。杏子部長とはまるで正反対の園児だな。
せいぜいマシな報告だとしても「校門前でかっこいい男子を発見しました!」程度のものでしょう。
一華は自室の机に向かいデータ分析のレポートをまとめながらそう判断した。真映の「極秘事項」は過去の統計データから見ても、その九割が些末な私事である。効率的に考えればこの集まりは時間の無駄である可能性が高い。
だが通知のその妙な熱量の余韻は指先に残った。
「極秘」と書くだけの時は大したことはない。だが それに「超絶」の二文字が加わった時。それはそこそこちゃんと聞いてやらないと、後がとんでもなく面倒くさいことになる。
つばめはソファに寝転びながら、ポテトチップスを頬張りつつスマホを眺めていた。この真映のバイタリティーだけは、ほんとに羨ましい。ちゃんと聞いてやらないと、拗ねて大変だ。
それをこの一年間で、彼女たちは骨身に染みて学んでいた。
とりあえずは、行ってやらないと。
三人はそれぞれの場所でそう決めた。
そして。
自主練が終わり、道場の掃き清めも済ませる。
それにしても部長は本当にマジメだ。掃除も一切手を抜かない。わたしたち一年生に放り投げることもない。だから、全員で掃除もする。来年、後輩が入ってきても、これは続けたいな。
楓はそんないつも通りの感想を心に抱きながら、箒を片付けた。杏子部長のあの完璧な掃除ぶりは、時に後輩たちを息苦しくさせる。だが同時に、その真摯な姿勢が彼女を慕う理由でもある。
部員たちがぞろぞろと解散していく。
四人はそれぞれ全く違う方向へと歩き出し、そしてまるで吹き寄せる落ち葉が一つの場所に集まるかのように、弓立ての影へと集結した。
埃一つ落ちていない、春のまだ冷たい空気がたまる場所だ。道場の西側にあるこの場所は、夕日が差し込まない。だから誰の目にも留まらない。練習後の静寂の中でここはさらに別世界のように感じられる。
「……皆さん。バレませんでしたか?」
真映が声を潜め囁く。その目はもう完全に悪戯を企む子供のそれだ。瞳の奥に小さな火が灯っているのが分かる。
「ばれるも何も。そもそも何をバラしたらいいのよ」
楓が呆れたようにそう返しつつ、すぐにうっとりとした表情で続ける。
「……ああ。今日も杏子部長素敵やったわぁ……」
その語尾が幸せそうに溶けていく。今日の部長、と楓は言ったがいつも通りの部長である。そしてこの感想も毎日繰り返される。部長の姿を思い出すだけで胸が熱くなる。ガチ恋勢は、今日も平常運転、通常運転である。
「……わたしはこの後、分析レポートのまとめがありますので。要点からお願いします」
一華の声は冷たくはない。ただどこまでも澄んでいる。一華も随分と温かくなった。氷ではなく湧き水の温度。彼女は常に無駄を嫌う。だが仲間の時間を無駄だとは思っていない。ただ効率的に進めたいだけだ。
四人の会話は自然とその一華のテンポへと揃っていく。
つばめは相変わらず眠そうな顔で壁にもたれかかっている。だが、その目は確かに真映を見ている。興味がないふりをしているが、こういう集まりを一番楽しみにしているのは実は彼女かもしれない。
真映はごくりと喉を鳴らし、その瞳にぽっと怪しい火を灯した。
スマホを取り出し、再生ボタンを押す。
「おはよう諸君。君たちの任務は、きたる四月一日エイプリルフールに、君たち一年生カルテットで壮大な企画を立て、実行することだ! 協力するかどうかは、すべて自由。しかし、君または君たちが捕らえられるか死亡した場合にも、当局は一切関知しない。このテープは5秒後に自動的に消滅する。幸運を祈る」
ご丁寧に、ジジジジ、というテープが焼けるだろう音まで入っていた。
「これ、声色を変えてるけど、真映の声やんっ」
つばめが思わず突っ込んだあとには、四人の間に一瞬の沈黙が落ちる。
風が弓立ての隙間を抜けてヒュウと音を立てた。道場の外から男子部員の笑い声が遠く聞こえる。
「……はあ」
一華が短く応える。その声には興味と警戒が半分ずつ混ざっている。
「去年は親分(=杏子)のあの規格外の実力を見越した巧妙な仕掛けで大成功したという伝説が残っています。……ならば! 今年はそれを遥かに越える芸術的な作品を創り上げるのが我々後輩としての義務であると思うのです!」
真映は一気にそこまでまくし立てた。続けて、
「……それでやはり今年のターゲットも親分に──」
「ダメダメッ!」
真映がその名前を口にした途端。楓がまるで聖域を守る巫女のように割って入った。
「絶対にダメ! 杏子部長は純真無垢、穢れを知らない永遠の聖女なんだよ!?」
楓の声が1オクターブ高くなる。その目は本気だ。杏子部長への敬愛は彼女にとって宗教に近い。
「それに、たぶん騙すこと自体は簡単やと思う。でも部長は、きっと騙されたことにさえ気づかへんよ? そんな幼児を騙して何が楽しいの?」
その指摘に真映も頷かざるを得ない。確かに杏子部長は純粋すぎる。エイプリルフールの嘘を仕掛けても「そうなんだ」と素直に信じてしまうだけだろう。それでは面白くない。
「楓のその感情的な意見はさておき」
一華が冷静に続ける。タブレットを取り出しメモを取り始めた。
「結論として、それは極めて賢明な判断です。万が一にも、杏子部長の名誉を傷つけるような可能性があるならば、栞代さんは絶対に私たちを許さない」
一華の声が一段低くなる。その目は真剣だ。
「冗談ではなく、私たち四人は弓道部を除名されるどころか、今後一生自分の背後に気をつけながら生きていくことになります。夜道は歩けず一人で暮らしていくこともできなくなるでしょう。さきほどの真映の、最後の警告は全く大げさじゃない」
その言葉に場の空気が凍りつく。栞代が怒った時の恐ろしさは、全員嫌というほど知っている。




