第40話 合宿所での祝賀会
ブロック大会の翌朝、宿舎を後にした光田高校弓道部。大会の余韻が残る中、バスは合宿所へと向かっていた。一年生の部員たちは興奮さめやらぬ様子だったが、長い一日を過ごした疲れか、上級生たちは静かに車窓を眺めている。夏の日差しが、バスの中まで差し込んでいた。
山間の合宿所に到着すると、まず全員で荷物を運び入れた。冷房の効いた館内に入った途端、沙月が「やっと着いた~」と深いため息をつく。昨日の試合の疲れが、ようやく癒されていくようだった。
「みなさん、まずは部屋に荷物を置いて、食堂に集合してください」というコーチの声に、部員たちは素早く動き出す。
それぞれの部屋に分かれて荷物を置き、少し休憩してから、部員たちは食堂へと向かった。合宿場の広々とした食堂には、涼しい夜風が吹き抜けるように窓が少し開けられ、夏の香りが漂っていた。
長テーブルには色とりどりの料理が並び、ジュースやお茶が明るく照らされたグラスの中でキラキラと輝いている。笑い声と話し声が交錯し、弓道部員たちの興奮が抑えきれない様子だった。普段の合宿では見られないような豪華な料理が並んでいる。さすが祝勝会を兼ねているな。誰もがそう思った。夏の夕暮れの光が、大きな窓から差し込んでいた。
まず拓哉コーチは、世話係の神楽木綾乃を紹介した。
「こちら、神楽木綾乃さんだ。これからの合宿生活のサポートをしてくれる。食事の献立など、基本的にはお願いしているが、当番の部員と協力して、さらには、みんなで相談してくれたらいい。さあ、挨拶を」
と言って、みんなは、神楽木綾乃に挨拶をし、神楽木も、短く返した。
「それでは、約束していた祝勝会を始めましょう。メンバーは起立してください。杏子さん、冴子さん、瑠月さん、沙月さん、つぐみさん、団体優勝おめでとう。そして、杏子さん、個人優勝、つまり今年のブロック地域での2冠達成、本当におめでとう。綾乃さんと相談して、思いっきりの御馳走を用意してもらいました。それでは、まずは乾杯をします。
では、ここからは部長の花音さん、お願いします。
指名された花音は、ジュースのグラスを持って、立ち上がった。
「こういう時、大人はお酒を飲むんでしょうが、わたしたちはまだ学生。もしもお酒を飲んだら、大会出場がなくなってしまいますので、みなさん、ジュースで酔っぱらってください。」
暖かい雰囲気のなか、どんなことでも受けただろう。みんな大笑いしている。
「乾杯っ」
そして、続けざま、に花音は言った。
「いただきまーす!」
元気の良い声が響き渡る。いつもは規律正しい弓道部員たちだが、この日ばかりは特別だった。
「杏子、おめでとう!」栞代が隣に座る杏子の肩を叩く。「まさか2冠なんて、凄過ぎだろ」
杏子は照れたように首を振る。「ありがとう栞代」
つづいてつぐみに、「つぐみ、いよいよインターハイの個人戦出場まであと二週間だな。どうだ?」
「どうだっと言われてもっ。これから練習だっ。」つぐみがどこかで聞いたような節回しで軽快に返す。ほんとにつぐみが飲んでるのはジュースなのか。珍しくハイになってるな。不思議がる栞代に、杏子が「つぐみ、古い曲知ってるね~。」と言うと、つぐみが「杏子も良く知ってるじゃん」「おじいちゃんがね、音楽好きでいろいろと聴かされるのよね~」
どうやらつぐみと杏子の間には、もうひとつの共通の話題ができそうだ。
そして栞代が、横に居た紬に、「紬は知ってるか?」と聞くと、また紬はいつも通り「それはわたしの課題ではありません」と返す。
「やっぱりそのセリフまでセットで聞かないとな~。」とつぐみが言い、相変わらず仲の良い会話が盛り上がっていた。つぐみも、ブロック大会での敗戦はひきずってはいないようだ。
「つぐみ」杏子が静かに声をかける。「ありがとう」
その言葉に、つぐみは少し驚いたように杏子を見る。
「なんで杏子が私にお礼言うんだ?」
「つぐみが大事なことを教えてくれたから。余計なことを考えないで、自分の弓を引くことを。それが、すごく嬉しかった」
つぐみは少し目を潤ませ、でもすぐに明るい声を出す。「それはもう聞いたよ、もう、杏子ってば、そんなことよりさ、このプリン、すっごく美味しいから食べてみて」
一方、三年生たちは、コーチと滝本先生を囲んで、インターハイへの意気込みを語っていた。
「明日からは本当に厳しい練習になります」コーチが前置きをする。「でも、皆さんならきっと…」
「大丈夫です!」三年生が声を揃える。「私たちに、この機会をくれた後輩たちのためにも、絶対に予選突破します!それに、背中を押してくれた、拓哉コーチと滝本先生の恩にも応えたいです」
「正直言うと、5月までの自分たちを思い出すと、情けなくて仕方ない。花音に全部任せっきりでさ……」
咲宮さくらがぽつりと言い、ため息をつく。花音はその言葉に小さく首を振った。
「気にしないで。今みんなが頑張ってるのを見てると、それだけで嬉しいから。」
その声には、まるで母親のような優しさがにじんでいた。同じ時期に入部した仲間がやっと同じ方向を向いてくれた。そのことはやはり嬉しかった。しかし、花音の目にはわずかな疲れも滲んでいる。彼女が一年以上、一人で背負い続けてきたものの重さを知る者は、このテーブルにはいなかった。
「でも、本当にありがとう。わたし、みんなと一緒に全国大会に出られるなんて夢にも思わなかった。後輩のおかげだけどね。」
花音の言葉に、三年生たちは表情を引き締めた。それは、彼女がどれだけ一人で頑張ってきたかを思い出した瞬間だった。
「それに、拓哉コーチにも感謝しなきゃいけないよね。5月の練習試合のあと、みんなのことに本気で向き合ってくれて……。そして本気で謝ってくれた。あれがなかったら、きっと今の私たちはいないと思う。」
その言葉に、三年生全員が静かに頷いた。拓哉コーチが、自分たちの甘えを正面から受け止め、謝罪のうえで「もう一度やり直せる」と背中を押してくれたあの日を思い出していた。
「だから、今回の全国大会は私たちにとって、ただの試合じゃないんだよね。」
花音が言葉を続ける。
「これから弓道を続けるにしても、もうやめてしまうにしても、この試合はきっと、一生の思い出になると思う。だからこそ、全力でやり切ろう。」
「……そうだね。悔いのないように、やり切りたい。」
他の三年生たちが次々とうなずき、穏やかな決意の表情を見せた。
花音はふと、遠くの一年生たちが楽しげに笑う様子に目をやる。杏子、つぐみ、栞代、紬、あかね、そしてあゆたちがにぎやかに話しながら、料理を取り分け合っている。花音の目に映る杏子の姿は、どこかまぶしく映っていた。
(本当なら、わたしもあそこにいたはずだったのにね……)
心の中でそう呟きながらも、後悔はなかった。杏子たちに団体戦の権利を譲っ
てもらうように頼んだことは、ほかの三年生の意見だったとはいえ、わたし自身もそうしたかったのだから。自分たち三年生が勝ち取ったわけではない出場枠。だからこそ、自分たちが出場する全国大会には、ただの「思い出作り」ではなく、「全力で戦う意義」を持たせたかった。
「……あとはやるだけだよね。」
そう小さく呟くと、花音はもう一度グラスを掲げ、三年生全員に微笑みかけた。
花音の柔らかい言葉に触れながら、三年生たちは決意を固めていた。弓道部の活動の中で、過去を後悔し、いま再び弓を握り直した自分たちの存在が、全国大会という大舞台でどんな意味を持つのか。それは、彼女たち自身が明日からの練習で証明するしかないのだ。
夜が更けていく中、部員たちの笑い声が、静かな合宿所に響いていた。明日からの厳しい練習を前に、この夜だけは、心ゆくまで喜びを分かち合う。そんな彼女たちの傍らで、杏子は静かに微笑んでいた。
そして栞代に、少し付き合って欲しいと言って、一緒に拓哉コーチのところに行き、弓道場を見せて欲しいと頼んだ。
3人が隣接している弓道場に行くと、杏子が、的前に立って、素引きを始めた。それを見て栞代が「それ、絶対に毎日欠かさないよな」そう言って、自分も続いた。
じっくりと汗ばんできたころ、ふと周りを見ると、三年生もやって来ていて、杏子の姿勢を見ながら、自らも素引きを行っていた。
コーチが「明日は早いから、この辺で辞めて、寝る準備をしなさい」そう言って、弓道場から追い出した。
明日から、また新しい挑戦が始まる。一年生たちと基礎から積み上げていく日々。でも、それは杏子にとって、かけがえのない時間になるはずだ。




