第399話 帰りのバスと、全ての道はご隠居に通ず
帰りの貸し切りバスの中。
一日の熱戦を終えた興奮と心地よい疲労感が閉ざされた空間に温かく満ちていた。その熱気をさらに煽るように滝本顧問がマイクを握りその美しい笑顔で話し始めた。
「皆さん今日一日本当にお疲れさまでした。そして杏子さんまゆちゃん優勝おめでとう! ……まさかうちが優勝準優勝を独占するなんて思ってもみなかったわ。みんなほんっとうに本番に強いわねえ」
その心からの賞賛に部員たちの顔がほころぶ。
「ただでさえ他校からはマークされてるのに。これでますます徹底的にマークされることになったっていう覚悟はしておいてね」
「……まあ弓道っていうのは、いくらマークされようとも自分との戦いだから関係ない競技だけどね」
そう言って彼女はちらりと男子部員たちの方を見た。
「それに比べて男子は……! 杏子さんたちがあんなに素晴らしい射を見せてくれているのに」
「緊張して女の子に声をかけることもできないの? ……もう。そんなことでは一生結婚できないわよ! しっかりしなさい!」
いったい何に怒っているのか。理不尽な流れ弾。男子部員たちが一斉に凍りつく。
「……昔中田先生がよく仰ってたわ。『やんちゃじゃなけりゃ弓は中らん』って。……もしかしたらそれ正解かもしれないわねえ。……まあやんちゃすぎるのも困りものだけど」
「杏子さんも、ちっちゃい時は随分とやんちゃで、おじいさんを困らせたって聞いてるわ」
滝本顧問は、まだ幼稚園の頃、祖父母に連れられて、杏子が初めて中田先生と会った時、一緒にその場に居た。「やんちゃになれっ」と先生に言われて杏子さん、びっくりしてた。そのことを思い出していた。
そして、真映の方を見てにこりと笑う。
続いて拓哉コーチがマイクを受け取る。
「……優勝、準優勝おめでとう。公式戦ではないし、前哨戦にもならないただのお遊びだが。……まあ良かった」
良かったのか良くなかったのか、まるで分からないコメントに、女子部員たちの間からくすくすと笑いが漏れた。いつもあれだ。
そして一華がタブレットを手に立ち上がった。
「これより昨日の模擬試合及び今日の親善大会のデータ分析結果を報告します」
その声に全員がすっと背筋を伸ばす。
「当然ですが、的中率は通常の練習よりも本番では下がるものです。練習と同じだけの的中率を出せたとしたら、それだけでも素晴らしいこと。……ですが」
一華はそこで一度言葉を切った。
「今回直近三ヶ月の練習時の平均的中率を本番で上回った選手がいます。……栞代さんです。栞代さんの本番での異常なまでの勝負強さは、元々データとして認識していましたが、射型変更中である現時点においても、その特異性が維持、いえ、むしろ強化されていることは注目に値します」
「そして練習とほぼ同じ的中率を維持したのは……言うまでもありませんが宇宙人……いえ杏子部長とそしてまゆさん。優勝も当然の結果と考えます。おめでとうございます。栞代さんのように、練習以上の力を出すこともほぼ宇宙人レベルと言っていいでしょう。これは、宇宙人と仲良くしているから宇宙人に近づけたとも言える訳で、この理論で行くと、女子はみんな的中率が上がらなければオカシイのに、宇宙人の影響は宇宙人の近くで、宇宙人の、その、わたしがまったく分析出来ない宇宙のエネルギーが、宇宙で・・・・わたしにも宇宙人としての分析能力をくださいっっ」
一華はそこまで一気にまくし立てそしてふと我に返った。氷の冷酷さと部員に恐れられた一華が混乱する様に、バスは静まり返った。
「……た、大変失礼しました。……男子ではやはり松平さんの安定度が際立っており、それが準優勝という結果に結びついています。その点山下部長と紬さんのペアは二人の準宇宙人力を考えれば、い、いや、安定度を考えれば、青竹高校に勝ちたいところでした。。……男子と女子の練習時と本番での的中率の有意差についてはもう少し深く掘り下げたいと考えていますが」
「……もしかしたら、男子は深澤メンタルコーチのトレーニングを少し軽く考えている傾向があるのではないでしょうか。弓道は競技そのものがメンタル対決のような側面を持ちます。メンタルは目に見えない分非常にやっかいです」
「女子は、瑠月さんがメンタルトレーニングに真剣に取り組んで以降の驚異的な進歩を目の当たりにしていて、さらに練習でも、地球上ではありえない精神力に接しているので、メンタルトレーニングも丁寧に取り組んでいます」
「練習では男子部員もそこそこの的中率をマークしているのに、本番はおろか、模擬試合でも、この的中率の下がり方は対策が必要だと考えます。もちろん例外的な人も居てますが、中には20%下がる選手も居て、これは下がりすぎです。最低でも15%、なんとか10%までで、かなり勝負が出来るはずです」
「女子部員は完全にこの範囲内で収まっているので、本番での、この結果の違いはやはり全員で真剣に考えていかないといけないと思います。……以上です」
その分析を聞きながら女子部員一同は感心していた。
随分と柔らかくなったなあ。
男子部員に向けられた言葉だということは差し引いても。以前の彼女なら「非合理的です」「練習不足です」と一刀両断にしていたはずだ。……それが今や「みんなで考えていかないと」と言っている。
これもまた彼女の大きな成長だった。
滝本顧問が再びマイクを持った。「それじゃあ優勝した杏子さん。一言どうぞ」
その突然の指名。杏子が対応できるはずもない。
「あ、あ、あの、そ、その……! ま、まゆちゃんが本当に素晴らしかったです!」
それだけを絞り出すのが精一杯だった。
その言葉を受け、今度はまゆがゆっくりと話し始めた。
「……あ、ありがとうございます。……でもわたしは部長が『落ち着いて。いつも通りで』ってずっと声をかけてくれたからです。……結果を気にしなくていいっていうのは、開き直ってしまえばできると思うんですけど。でもそれって時々、ヤケクソになるのと、どこが違うのか分からなくなっちゃうんです」
バスの中がくすくすと笑いに包まれる。
「でも杏子ちゃんは、いつも『練習の姿勢を見せてね』って言ってくれる。……練習で出来ないことは本番では絶対にできませんから。……わたしも杏子ちゃんに憧れて弓を始めて。杏子ちゃんがずっと付きっきりで教えてくれて。杏子ちゃんが……その……」
まゆの声が感極まって涙で詰まっていく。
その言葉を隣にいたあかねが明るい声で引き取った。
「……という訳で! ほんまに杏子ありがとうな! そしてみんなお疲れさん! よーし明日からもまた練習頑張るぞーっ!」
まゆを力強く抱きしめ、まゆもあかねの肩に顔を埋める。
「じゃ次は準優勝の松平くん」
滝本顧問が話を振る。
「えっ、あ、はい。……えっと。その。自分も栞代さんに言われたのは『結果を気にして外したらしばく』『でも自分の姿勢のことだけを考えて外したんなら許す』ということで……。あ、考えたら滝本顧問も拓哉コーチもいつも同じことを仰っていて。……的は見ながらも必要以上に固執しない。……それって果てし無く難しいんですけど。杏子部長ならまだだしも、人間である自分にはかなり難しい。……でも、なんだか今日、その、怒られるっていう快感に目覚めてしまったかもしれません……」
そのまさかの告白にバスの中は大爆笑に包まれた。
栞代は「打倒・杏子が果たせなかった。体力もそうだがやっぱり気持ちの強さ、特にその持久力をなんとかもっと鍛えたいと思う」と短く、しかし力強くまとめた。
それを聞いていた真映が何か世紀の大発見でもしたかのように声を上げた。
「……わ、分かりました、若頭! 親分のあの無尽蔵の精神力の強さ! そして若頭のあの異常なまでの本番での勝負強さ! その根源を繙くと……! 結局全ての答えは、親分のご隠居に繋がるのではないかと!」
「「……は?」」
「あのご隠居の面倒を毎日見るということ。それはすなわち世界一過酷なメンタルトレーニングに他なりません! その試練を乗り越えているからこそお二人は強いんです! ……あの、わたし決めました! 強くなるために今日から毎日親分のお家に遊び、あ、いや、修行しに行っていいですか!?」
「あ、真映ずるい! わたしも行く!」
楓が即座に叫ぶ。
「……そういえば姉さんも昔部長と寝食を共にしてから強くなった気がする……わたしも行っかな」
一時のことを思えば、明るさを取り戻しつつあるつばめがそこに追い打ちをかける。
わたしも行く、俺も行っていいのか?
もう車内はてんやわんやだった。
栞代が口を開く。
「…………あのなあ」
「まず男子。お前ら、杏子の家どころか、半径100メートルに近づいてみろ。宇宙に飛ばされるから。ウソだと思うならやってみろ」
「若頭、じゃあわたしは言ってもいいのでしょうか?」
真映が恐る恐る訊ねると
「う・・・あのジジイ、女好きだからなあ。女子部員の訪問を断ったって知ったら、オレの命が危ない。だが、あくまで節度を持って頼む」
一瞬の静寂。栞代の口から「頼む」という言葉が出るとは。
「杏子、おばあちゃんも大変だもんな」
栞代が話しを向けると、杏子は
「今日は、帰りの時間が迫ってたから、おばあちゃんの顔、見てないんだ。はやく帰って、おばあちゃんに会いたい」
おばあちゃんという単語に、いきなりホームシックになったんだな、杏子。




