第396話 模擬試合と、それぞれの化学反応
春休みへと続く長い助走のような一日。
光田高校弓道場はいつもとは少し違う熱気に包まれていた。明日に迫った地区親善大会(男女ペア戦)のための模擬試合。道着に着替えた男女の部員たちがそれぞれの持ち場で静かにその時を待っていた。
試合は二組ずつ順番に引いていく。本番を想定し一人八射、計十六射。的中数が並んだ場合は男子員の的中数を比較する(女子ペアの場合は的中数が多い方を男子の的中数と見なす)。そこも並んだ場合は抽選。ただし決勝トーナメント(上位三十二組)への進出ボーダーライン上になった場合のみ該当チームによる競射を行う。
そして試合は始まった。
杏子は相も変わらず杏子だった。隣のまゆの椅子の小さな音も、周囲の男子部員たちのいつもとは違う緊張した視線も、何もかもをその意識の外へと追いやり、ただひたすらにいつもの自分の射を繰り返す。一射また一射。その矢が放たれるたび道場の空気は彼女の色に染まっていく。結果八射皆中。
そのあまりにも完璧な宇宙人ぶりに引っ張られるように、女子部員たちは皆「男子にいいところを見せよう」などという雑念を挟む隙間もなく、自分の弓に集中していた。だがしかし。男子はそうはいかなかった。
部長の山下はその持ち前の鈍感力……いや落ち着きでなんとか五中とまとめ松平もまたペアを組む栞代のあの「必要以上に近づいたら刺す」という笑顔の脅迫を思い出し恐怖心からか必死に踏ん張り五中。
しかしそこまでだった。あれほど成長著しかったはずの海棠は憧れのソフィアがすぐ隣にいるという、その残酷なまでの幸福にガチガチに緊張しまさかの三中。他の男子たちも「いいところを見せたい」という、男子生徒が生まれながらに持つ哀しい本能に逆らうことができず、次々と自滅。撃沈していった。
ちなみに女子組も無傷ではない。校内でも屈指のイケメンとして名高い立川と組んだ楓。彼女は当初そのあまりの眩しさに完全に我を失い前半四射を全て外すという大失態。……理由はそこではなかったようだが。
【予選結果】
1位:松平・栞代組(11中)
(松平 〇×〇×〇〇〇×:5中)(栞代 〇〇〇×〇×〇〇:6中)
2位:山下・紬組(10中)
(山下 ×〇×〇〇×〇〇:5中)(紬 〇〇×〇〇××〇:5中)
3位:杏子・まゆ組(9中)
(杏子 〇〇〇〇〇〇〇〇:8中)(まゆ ××〇×××××:1中)
4位:海棠・ソフィア組(7中)
(海棠 〇〇×××××〇:3中)(ソフィア ×〇×〇〇××〇:4中)
5位:一ノ瀬・あかね組(6中)
(一ノ瀬 ××〇×××〇×:2中)(あかね 〇×〇×〇××〇:4中)
6位:鈴木・つばめ組(6中)
(鈴木 ×××〇××××:1中)(つばめ ×〇×〇〇〇×〇:5中)
7位:中村・真映組(5中)
(中村 ×××××〇××:1中)(真映 〇××〇×〇×〇:4中)
8位:立川・楓組(4中)
(立川 ××〇××〇××:2中)(楓 ×××××〇×〇:2中)
「まゆ、緊張しすぎだよ」
「ご、ごめん」
「結果はたまたま、なんだから。中るかどうかはほんとに忘れていいから。それよりも二人で練習したことちゃんと表現してくれたらそれが一番嬉しいな。……肩に力入ってるよ」
杏子はいつも通り、優しく続ける。
「まゆは人一倍難しい条件で人一倍努力してきたんだから。もっと自分を信頼して。それともやっぱり八射はしんどいかな?」
「ううんそこは大丈夫。だって普段の練習は、もっと沢山しごかれてるから」
まゆの顔にようやくいつもの笑顔が戻った。
「松平。お前結構頑張ったやん」
「あ、そ、そうですかね……!?」
「おう。その調子やで。……まゆも多分ちょっとはお前のこと見直しとるんちゃうか」
栞代のその一言に松平が反応する。
「あ、あの! 見直すということは、もしかして、今はまだ全然あかんということでしょうか!?」
「なんやお前知らんかったんか。まゆもあの楓と同じ、筋金入りの『杏子Love』やで」
「……そんな……」
落ち込む松平なのであった。
「杏子さんはまずそのオーラが違いますね」
「それは、わたしの課題では、ありません」
「みんなに宇宙人って言われているのが分かる気がします」
「それは、わたしの課題では、ありません」
「女子は全然ブレなくていつも通り。男子はまだまだ修行が足りませんね」
「それは、わたしの課題では、ありません」
なんでこれで会話が弾むのか。山下の鈍感力恐るべし。いや、コミュニケーション能力高すぎるのか?
「海棠さん緊張しすぎですよ」
「あ、は、はい……すみません……」
「違いますよソフィアのアネキ! 海棠先輩はアネキに見とれすぎて緊張したんですよ!」
真映が茶々を入れる。
「……だよなあ。ソフィアさん本当に綺麗だからなあ」
中村が本気で海棠を羨ましがっている。
「……おい中村。お前もわたしに見とれて、それで緊張しとったんよな?」
「は?」
「じゃないと、あのひどい点数説明つかんやろがっ!」
真映に睨まれ中村は小さくなるしかなかった。
「……やっぱりイケメンの威力は凄かったか? 楓」
あかねがニヤニヤしながらそうツッコむと楓はきっぱりと答えた。
「いえ。……わたし男子が嫌いなだけです」
その鰾膠もない返事。
「そうなの?」とつばめ。
「……ああ。杏子部長とペアを組みたい……」
楓は今もまゆを恨んでいるらしかった。恋のライバル?
そして予選の結果を踏まえた決勝トーナメントが始まった。
【一回戦・第一試合】
(1位:松平・栞代組 vs 8位:立川・楓組)
松平(〇〇×〇)栞代(〇×〇〇)= 6中
立川(〇〇××)楓(〇〇〇〇)= 6中
「イケメンなんか知らん」と公言した楓。その邪念(?)が消えたからか、なんとまさかの四射皆中。
的中数は六中で並んだ。だが男子の的中数(松平:三中、立川:二中)でわずかに上回った松平・栞代組が勝ち上がった。
【一回戦・第二試合】
(3位:杏子・まゆ組 vs 6位:鈴木・つばめ組)
杏子(〇〇〇〇)まゆ(××××)= 4中
鈴木(××〇×)つばめ(〇〇〇×)= 4中
こちらも四中で並ぶ。だが男子の的中数(杏子:四中、鈴木:一中)を比較し杏子・まゆ組が勝ち上がり。
「……まゆすごく綺麗だったよ」
「え? 分かったの?」
「うん。音が全然違ったもん。……それでいいんだよまゆ。すごく素敵だった」
杏子のその本当に嬉しそうな顔。中るかどうかなんて本当に二の次なんだ。杏子はちゃんと見て褒めてくれる。まゆは今さらながら、そのことを再確認し心の底から安心した。
【一回戦・第三試合】
(4位:海棠・ソフィア組 vs 5位:一ノ瀬・あかね組)
海棠(〇〇〇〇)ソフィア(×〇××)= 5中
一ノ瀬(〇〇×〇)あかね(××〇〇)= 5中
またしても五中で同中。男子の的中数(海棠:四中、一ノ瀬:三中)で海棠・ソフィア組が勝ち上がり。
「……くそっ。海棠のやつここにきて覚醒しよった……」
あかねが本気で悔しがる。
【一回戦・第四試合】
(2位:山下・紬組 vs 7位:中村・真映組)
山下(〇×〇×)紬(〇〇×〇)= 5中
中村(××〇×)真映(〇×〇×)= 3中
「……最後までわたしの、この底知れぬ魅力に勝てなかったんだな中村」
「そそそそうですね……」
【準決勝・第一試合】
(松平・栞代組 vs 杏子・まゆ組)
松平(〇×〇×)栞代(〇〇×〇)= 5中
杏子(〇〇〇〇)まゆ(××〇×)= 5中
またしても五中で同中。男子の的中数(杏子:四中、松平:二中)で杏子・まゆ組が決勝へと駒を進めた。
「杏子さんのオーラなんかさっきより強くなってません?」
「松平。言っただろ。杏子には誰も勝てないんだよ」
「てことは、怒ってませんよね」
「敬語やめろ。怒ってるわけないだろ」
【準決勝・第二試合】
(海棠・ソフィア組 vs 山下・紬組)
海棠(〇×〇〇)ソフィア(×〇〇×)= 5中
山下(〇×〇〇)紬(〇〇×〇)= 6中
山下・紬組が勝ち上がり。
「海棠さんすいません。わたしが外して……」
「いやソフィアさん! こちらこそ一本外してすみません!」
なんか、仲いいぞ、お前ら。
【決勝戦】
(杏子・まゆ組 vs 山下・紬組)
杏子(〇〇〇〇)まゆ(〇×××)= 5中
山下(〇×〇×)紬(〇〇×〇)= 5中
決勝戦も五中で並んだ。
ここで拓哉コーチが特別ルールを告げる。
「決勝のみ一本ずつの競射とする!」
射位に四人が並ぶ。
杏子(〇)まゆ(〇)山下(×)紬(〇)
結果杏子・まゆ組が優勝。
「……山下もついに杏子のオーラを感じ始めたようだな、紬」栞代がお約束へ走る。
「それは、わたしの課題では、ありません」
あの鈍感力で有名だった山下もここにきてついに杏子のその規格外の「圧」を感じ始めたようだった。
結果は杏子・まゆ組が優勝。ある意味最も順当な結果となった。
「まあこんなところだな」
拓哉コーチが総評する。「もう今日は早く帰って明日の本番に備えろよ」
「……まあ"交流"なんだから、明日楽しんできなさい。彼氏彼女見つけてもいいよ」
滝本顧問がそう付け加える。その相変わらずの美しい笑顔がなぜか一番恐ろしかった。
そして女子部員たちは、相も変わらず誰も拓哉コーチのその有り難いお言葉を聞くことはなかった。杏子を先頭に、やはり居残り練習した。




