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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
395/433

第395話 光田流・日常の掟(おきて)

終業式が終わる。校内にどこかそわそわと漂っていた「紙と挨拶」の匂いがふっと昼の温かい湯気に置き換わった。光田高校弓道部は、いつものように部室脇の日当たりの良い場所を占拠し、賑やかなお弁当タイムに突入する。学食は安くて味も悪くない。

けれど、そもそも杏子の祖母が必ずお弁当を持たせてくれることから、いつのまにか、全員がお弁当になってしまった。

この部においては「みんなで一緒に食べる」という、その行為そのものが他の全ての選択肢を軽々と上書きしてしまうのだ。


杏子が今日も祖母特製の美しい二段弁当を広げる。上段には照りの良い鶏の幽庵焼きと鮮やかなだし巻き卵。下段には健康を考えた雑穀ごはんと黒胡麻。その栄養バランスは、実は祖父の厳格な(?)監修入り。アスリートに向けた仕様でありながら、しかしどこまでも優しい家庭の味がする。そして、今や、杏子の家に居候状態となっている栞代もまた、当然のように全く同じメニューの弁当を受け取っていた。


「「いただきます」」

蓋を開けると柚子の爽やかな香りがふわりと鼻腔をくすぐった。

「そういえば最近おじいちゃん、、紅茶ポット持たせなくなったな」

温かい緑茶を水筒からコップに移しながら栞代が笑う。


「うん。なんか朝から紅茶を淹れるのに飽きたみたい。なんせ凝ってるから」

杏子もそう言って笑った。


その輪の端では。ソフィアのお弁当箱が今日もまた小さな国際交流イベントを巻き起こしていた。フィンランドの伝統的なカレリアパイ。香ばしいポテトのロースト。手作りのミートボール。そしてデザートにはほんのりとカルダモンの香りがする甘いパン、プッラ。


「あプッラ来た」

楓の目が明らかに獲物を狙う鷹のように輝く。


「交換してくださいっソフィアさんっ!」

楓は誰よりも早く自分の弁当から卵焼きを差し出した。


「……楓。それレートがあんまり見合ってない」

紬がぼそりと呟く。


「大丈夫。今円安だから」

楓は真顔でそう答えたが、紬は「……それなら二品必要」と冷静に交渉を成立させていた。


杏子の祖母製のお弁当も人気だ。杏子の祖母もそのあたりはお見通しで、いつも少しだけ余分におかずを持たせてくれている。その恩恵に一番(あずか)っているのは、つばめだった。


祖父は杏子に「余ったら無理して食べず、持って帰ってくればええからな」と常々言っていた。だがその圧倒的な人気が需要と供給を支えているため、杏子が弁当箱を空っぽにせず持って帰ることはなかった。その辺りの事情はソフィアも全く同じだ。


食後のデザートタイム。


今日も二つの偉大なる「おばあさま」からの差し入れが席を回る。杏子の祖母が丹精込めて作った上品な甘さの羊羹。そしてソフィアの祖母リーサが焼いてくれたベリーの酸味が効いたクッキー。フルーツ、和菓子、洋菓子と毎日そのバラエティは豊かだ。たまに種類が被ったとしても「どっちのいちご大福がよりいちごか」などで大いに盛り上がる。優劣ではなく単なる好みでの議論がこの子たちの良いところ。

言い合っているうちにその全てがきれいさっぱりなくなる。議論の勝敗はどうあれ、口の中は全員が勝者なのだ。


そして、そこへいつもコンビニの袋をガサガサと鳴らしながら真映が現れる。

「本日の打倒『おばあさまコンビ』メニューは! プレミアムプリン! プレミアムドーナツ! そしてプレミアムコンソメポテチにて御座います!」


「……お前、方向性が全部砂糖と油に振り切れてるんだよ」

栞代の的確なツッコミが静かに落ちる。

「でも美味いのは正義ですから!」

真映はすでに一口目を満面の笑みで噛みしめている。


「ふふっ。真映さんの『プレミアム』は美味しさではなくてカロリーの階級のことなのですね」

ソフィアが穏やかに微笑む。

「はいっ! もちろん重量級です!」

……誇らしげに答えるな。


それでも、別腹はどこまでも別腹。残ることはない。


話題は自然と明日の親善試合そしてその先に控える新入部員のことへ移っていく。

「……何人来てくれるかなあ」

つばめが、いよいよ自分にも後輩ができるという期待を漏らした。


「まあ何人来てくれてもな。あの地獄の基礎練が退屈すぎて、、半分は脱落するからなあ」

栞代が冷徹な現実を投下する。


「去年も一昨年も一ヶ月ぐらいで半分以下になったもんなあ」

あかねが遠い目をして頷いた。


「……ほんまなんで真映が残ったのか。それが今でも謎やわ」

「若頭! わたくしこう見えても経験者だということをお忘れですか!?」

真映がむっとする。


「あーそういえばそうだったな。入部早々に杏子にケンカ売って勝負挑んで、一瞬で粉砕されてたっけか」

「だ、だから! あの時は! 親分が宇宙人だとは知らなかったんですってばぁ!」


「まあね。いかにも幼くてぽんやりしてて。普段はとても的に中るような雰囲気ないもんねえ」

まゆがその笑い声で空気をふわりとほどいていく。

「まさか赤ん坊の皮を被った宇宙人だったとは……!」


箸が転がるだけで笑い転げるのが女子高生だと言うのなら。光田高校弓道部はもはや箸が転がる前から、いや箸を見ただけで、いやいや箸という雰囲気だけで笑っている。


お腹が温まったら午後の練習だ。


今日は「模擬試合をやります」と事前に告げられていた。誰もが心のどこかで、試合前だからいつもの通常練習は少し軽めだろう、と甘い見積もりを立てていた。

誰も──つまりその場にいた全員が愚か者だった。


「通常メニューは通常通り全て行います。その後に模擬試合を開始します」

一華がその冷たい告知を淡々と読み上げる。


その一華の後ろで無表情のまま立っているのは女子担当の拓哉コーチ。最近真映がこっそりと付けた綽名(あだな)は「能面軍曹」。


「……『能面軍曹』め」

真映がぽそりと呟く。


「本人の真横で言うな!」という部員全員の心の視線が真映に突き刺さる。だが当の拓哉コーチはその視線ごと全てを無視し手元のタイムテーブルを確認している。


準備運動、基礎体力づくり──。メニューは何一つ削られてはいない。どころかむしろいつもより数項目増えている。綽名はたった今洩らしたばかりだが。


道場の反対側。男子の方からは顧問の滝本先生の穏やかな笑顔が遠目にも見える。

あの笑顔。男子部員たちの間では密かに「閻魔の笑顔」と呼ばれている。


彼女が笑っている。笑っているのに男子部員たちの背中が一斉にびしっと伸びる。笑顔のまま淡々と叱咤激励するという、あの特殊技能が今日も存分に発動中らしい。


去年までは本番直前だけだったが、今年はきっちりと男女での混合練習が取り入れられている。


当初男子も女子も「あっちのコーチ(先生)の方が楽そうだ」「こっちの先生の方が優しそうだ」なんて甘い密談が交わされていた。


しかしその淡い期待は練習開始後わずかで悪夢の自覚へと書き換わった。


拓哉コーチは表情一つ変えずに淡々と限界まで部員を追い込むタイプ。「無理はしなくていい」が口癖だが、そもそも彼の設定する「無理のない範囲」に到達できる人間はこの部にはいない。だから「能面」。


滝本顧問はあの美しい菩薩のような笑顔のまま、平気で負荷を三倍に増やしてくるタイプ。だから「閻魔」。


どちらの地獄も等しく地獄であることには違いない。全員がそれを骨の髄まで悟った。


杏子と男子部長の山下だけは最初からそのすべてを静観していた。

二人のあの不思議でそしてどこか怪しい笑み。「まあすぐに分かるから。世界ってだいたい、こういう風にできているものだから」という翻訳の一切ない教えだったのだと途中でみんな理解する。


担当交換の希望の声はきれいさっぱり蒸発した。


通常練習が終わる。

拓哉コーチが板書に模擬試合のペアの射順を記していく。

滝本顧問が笑顔で注意事項を読み上げた。


「いい? あくまで模擬だけど。試合と同じようにやるのよ。礼を忘れた人はその時点で失格。明日出しませんから──以上」

笑顔で言われるとなぜか三割増しで怖い。


「まゆ」

「うん」


最初に杏子とまゆが向かう。


「──模擬試合始めます」

一華のその声が静かな道場に響き渡った。

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