第378話 栞代のモノローグ ~巣立ちの前の静かな誓い~
入学試験の最終日。面接試験。
後で、北澤先生からこっそり聞いた話によると、城塚あまつと仙洞寺菓の二人は、落ち着いた態度の中に、隠しきれないほどの強い意志を滲ませていたらしい。「絶対にこの高校に入学し、弓道部で杏子部長と共に弓を引きたい」と、その全身から、思いを発散させていた、と。
仏の北澤先生は、この二人が真映の後輩になるのか、と感慨深かったらしい。
面接試験が終わった後、二人は弓道場を見学しに来たらしい。だが、この日在校生は、登校禁止。がらんとした誰もいない道場を、ただ静かに見つめて帰って行った、と。練習も見たかっただろうに。
……まあ、仕方ない。翌日部内試合だから練習しているとは思っただろうが、さすがに中田先生の道場までは、たどり着けんわな。
それに、もう一日滞在を延長して卒業試合を見るための交換条件が、それぞれの母親の「観光に付き合うこと」だったらしいから。二人は心残りはあっただろうけど、自分たちが春から通うことになる(であろう)、この街の散策を楽しんだということだ。
その頃、オレたち光田高校弓道部は。
明日に迫った卒業試合に向けて、最後の調整に入っていた。
道場には、いつも以上に張り詰めた、緊張感が満ちていた。
にこやかなのは一華だけ。
「みんなすごい集中。ここに機材が揃っていないのが残念。せめてスマホの映像だけは遺しておきます。やっぱりなにかあれば、違うなあ」。
そりゃ特別な試合だからな。
明日は卒業式。
冴子部長、沙月先輩、そして、瑠月さん。この光田高校弓道部を、どん底から立て直し、今のこの、温かくて強いチームの礎を築いてくれた、偉大な先輩たちが、この場所から巣立っていく日なのだ。
ここ、二、三日、杏子は、明らかに感傷的になっていた。的に向かっている時は、相変わらず宇宙人並みの(宇宙人知らんけど)、集中力を見せる。だが、一旦、弓を手から離すと、すぐに卒業式のことを考えてしまうのか、目が潤む。
その杏子の様子に、最初に気づいたのは、やはりこの人だった。
練習の合間、杏子の隣に、すっと立った冴子部長。
「……おい、部長。卒業試合の団体戦のメンバー割りは、もう出来ているんだろうな?」
「え? あ、い、いえ……部長、まだ、です……」
「そうか。……なら、決めろ。今すぐに、だ」
その声は、静かだが有無を言わせぬ、前部長のそれだった。
「いいか、部長。卒業試合はただのお遊びじゃない。わたしたち三年生にとっても、そしてお前たち現役生にとっても、真剣勝負だ。……お前たちは、今の光田高校弓道部の最強の布陣で、わたしたちに挑んでこなければ失礼だろう。……お前が部長として完全勝利するための、最高の組み合わせを、最強の順番を、考えろ。そして、練習時間で試せ。残り時間は少ないぞ」
「あ、そ、そう、ですよね……! すみません!」
「いつもはコーチの役目だが、……今回コーチは審判に回る。中立の立場だからな。采配は全て部長である、杏子にかかっているんだぞ」
そう言って冴子先輩は、にやりと笑った。
(……くそっ。さすが冴子部長だ。……ほんとうに杏子のことをよく、分かってる)
オレは、心の中でそう呟いた。
思えば、現役、最後の試合となった、あの蓮遥祭の時もそうだった。大会の直前に杏子を次期部長に指名することを打ち明け、杏子に「自分が部長?」と戸惑わせ、気持ちが自分たち三年生の引退へと向かないように、細心の配慮をした。
まるで杏子のために杏子を部長にしたかのように思われた。
今、それはそうではなく、完全に正しかったことが証明されている。
今回もそうだ。自分たちの卒業という感傷的な出来事に、杏子の優しすぎる気持ちが、全部向いてしまわないように。こうして新たな責任と課題を与えることで、彼女の意識を巧みに逸らしている。
弓を握っている時の杏子は無敵だ。
だが、弓を手放したその途端、杏子はまるで幼稚園児のように、純粋で、まっすぐで、優しくて、そして、どうしようもなくもろい。
冴子部長は、ずっとそんな杏子の危うさを見ていて、そしてずっと守ってくれていたんだ。
瑠月さんは、いつも隣に寄り添って、杏子の心を支えてくれた。
冴子部長は、部長として常に全体を俯瞰して、道を示してくれた。
そんな二人のコンビを、いつも後ろから笑顔でフォローしてくれていたのが、沙月さんだった。
……本当に、最高すぎるぜ、あの人たちは
卒業したら、今度はオレたちがみんなで杏子を守らないと。
あいつの夢のために。
そして、それはもうオレたち全員の夢でもあるのだから。
そのためにも、卒業試合は絶対に勝つ。
オレたちの成長した姿を、あの人たちに見せつけてやらないと。
卒業試合前日の夜。ここ数日はずっとそうだが、杏子の部屋のテーブルの上には、メンバー表と、いくつものメモ用紙が散らばっていた。
杏子は、オレ、まゆ、一華の四人でのグループLINEで、最後までメンバー編成と、射順について打ち合わせを続けていた。一華のデータとまゆの分析には随分と助けられた。
杏子の真剣な横顔を見ながら思う。
あの三人を相手に、絶対に勝たなければならない。もし負ければ、杏子にとってはかなり辛いだろうペナルティーが待っている。……いや、それ以上に最高の形で先輩たちを送り出さなければ。
……このくらいの厳しさとプレッシャーがなければ。杏子はきっと、明日の卒業式のことばかり考えて、メソメソしていただろう。
一つのことを考え出すと、他のことが全く考えられなくなる。杏子の不器用なまでの、一途さ。
……こういうところは、まさに、あのおじいちゃんとおばあちゃんの孫だって思う。
卒業式当日。
朝の散歩の時も、ここ数日そうだが、杏子はどこか上の空だった。明らかにプレッシャーを感じている。
おじいちゃんとオレは、いつも通り、くだらない話をして杏子を笑わせようとするが、その笑みは、どこか表面だけで繕っているようにも見えた。
杏子は弓道部を代表して、卒業式に参列することになっている。
変わってもいいぞ。そう、提案した。だが杏子は、きっぱりと首を横に振った。
「ううん。冴子部長が、わたしを選んでくれたんだから。その気持ちを後悔させたくない。……わたしがちゃんと役割を果たさないと」
頑張ろうとするところが、もう溜まらんぞ、杏子。
学校への登校途中。弓道部のグループLINEを覗くと、今日式には直接関係のない部員たちも、全員、朝から登校する、というメッセージで溢れていた。
誰もその理由は書いていない。だが、理由は一つ、だわな。
……これが、杏子が冴子部長から引き継いで、一年かけて育ててきた、弓道部の今の姿なんだ。
そのことを考えたら、ちょっと胸アツだな。
学校に着き、その、別れ際。
車で送ってくれた祖父が、杏子を呼び止めた。
「ぱみゅ子」
「なに? おじいちゃん」
「……今日はな、泣くのは解禁じゃ」
「え?」
「いっぱい泣いておいで。大好きだった先輩たちが、卒業するんじゃ。そんな寂しい時に泣かないなんてのは、無理な話じゃ。……じゃがな、寂しい、だけやないやろ? 感謝の気持ちも、いーーーーっぱいあるはずじゃ。それに、卒業は単なる卒業で、終わりやない。まだまだ、先輩たちとは、形が変わるだけで、これからも一緒に歩いていくことになるんやで。……だからな、泣いてもええけど、泣くだけやなく、とびっきりの笑顔もいっぱい、先輩たちに見せてあげるんじゃぞ。……ほれっ」
そう言って、おじいちゃんが、ポケットから差し出したのは、まるで業者かと思うほどの、大量のポケットティッシュの山だった。そのあまりの多さに、杏子とオレは、二人で同時に噴き出してしまった。
……くそっ。いいこと、言うじゃねえか、おじいちゃん。
杏子は、祖父が自分の涙を見ると、すぐにパニックになるので、人前では極力泣くのを我慢する癖がついていた。
……でも、今日ばかりは、それも、解禁、か。ときどきはいいこと言うじゃんか、おじいちゃん。
オレは式には出られない。だが、修学旅行で、打ち解けた、テニス部の部長の遥に、杏子のことはよくよく頼んでおいた。
終わったら、部室でみんなが待ってるからな、杏子。
栞代は、まだ誰もいない弓道場へと向かいながら、そう呟いた。




