表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
376/433

第376話 部外秘の映像と、迷う前に決める心 仙洞寺菓

杏子と同じ光田高校を目指すことを決めた城塚あまつ。彼女を引き寄せたのが、“奇跡のような偶然”だったとすれば、この、仙洞寺(くるみ)の物語は、静かな、しかし、確かな意志によって、丁寧に積み上げられた「必然」の物語だったのかもしれない。


試験前夜。

菓は姉と母親と共に、光田の街の、駅前のビジネスホテルに入った。

小旅行気分の能天気な母に、菓は少しイライラしていた。その二人の間を、姉がいつものように穏やかに取り持つ。


窓から、光田高校の白い校舎が見える。

「……あれが、あんたがこれから行く高校なんやねえ」

姉が呟いた。

「……まだ行けるって、まったわけじゃないから」

「なんや菓。ここまで来て急に怖じ気づいたん? すごい勢いでお父ちゃん説得しとったやん。珍しいなあ」

「……別に」

「まあ、ええやないの。もしあかんかったら、ここに家族旅行に来たってことにしたら。お父さん抜きで女だけ。こんなことないからねえ。ええとこやし、ここ。……なあ、夕食なに食べようかねえ」

母のマイペースな言葉。


夕食後。ホテルに戻り、菓はスカウト窓口担当の大和コーチと、LINEでビデオ通話をした。

「……よう、菓。お、結構緊張しとる顔やな」

画面の向こうで、大和がニヤリと、笑う。

「……してません。……ただ、今さら英単語一個覚えても、前に覚えた単語、一個忘れるぐらいって分かってるけど……なんだか落ち着かなくて」

「まあ、そんだけやったってことだろ。大丈夫。深澤からも普通にやれば大丈夫って報告きてる。どうなん菓。総出で勉強見たけど、だれがお気に入り? 稲垣? 神矢? 草林? 深澤? やっぱり俺かな」


いつも通りの軽口。だが、今日の菓はそれに乗ってくる元気はなかった。

「……よし。分かった。じゃあ、今からとっておきのええもんを送っといてやる。英単語帳眺めとるよりは、よっぽどええ薬になるんちゃうか?」


通話を終え、菓はベッド、腰を下ろした。

薄いホテルのカーテンの向こうで、見慣れない街の灯りが静かに滲んでいる。

ベッド脇の小さな机の上には、開きっぱなしの過去問題集と緑と赤の蛍光ペン。手は止まったまま、胸だけが不安に小さく上下していた。


ピロン、とスマートフォンの着信音が鳴った。

件名:【部外秘】kyoko_4shots_analytic_v3

送信者:大和慎吾。


(……コーチ)

指先がそれ自身の意志を持ったかのように再生ボタンを押した。


画面に映し出されたのは、光田高校弓道部のある日の練習風景だった。

……まあ、弓道の練習ってどこもそんなに特別なことはしないんだな。

けれど、そこに映る高校生たちの射は、やはり、綺麗だ。全国優勝を本気で狙っているチーム。これも当然か。

わたしだって自信あるけど。……でも、高校は高校の努力が必要なんだ。

わたしはこの一員になれるのだろうか。なりたいなあ。


不意に、画面が切り替わった。

黒い背景に白い文字で、『部外秘 / 外部共有禁止』というスタンプ。続いて無機質な、データのラベル──湿度52%/照度610lx/弓力--kg/矢束--cm。

ホテルの部屋の空気が、すっと冷えた気がした。


(正面斜め45°/4K60fps → 離れで240fps)


夕暮れの道場。西日が斜めに切り裂き、杏子の足袋の白さが淡く光っている。画面には、半透明の足踏みの角度を示すゲージが表示され、右--°/左--°。重心の位置を示す白い光点が、身体の中央に吸い込まれるようにぴたりと止まる。肩線と骨盤線が完璧な水平を保ったまま、静かな正面打起し。


画面の左下で、会の時間を計測するタイマーが点灯する──0.8/1.6/2.4/3.2。

その瞬間。映像は240fpsのスーパースローモーションへと切り替わった。

全ての音が消え、ゆっくりと引き伸ばされていく。


離れ。画面上に赤い矢軸のベクトルが一拍だけ美しい残像を曳く。肩線の水平は、一ミリたりとも崩れていない。計測された音圧の波形が小さく、しかし完璧に整った一つの山を描き、そして遅れて、澄み切った「きん」という音が鼓膜ではなく、胸の奥に直接、触れてくる。


右上に表示された矢所のヒートマップ。そこには、直径7.2cmほどの円の中に、放たれた矢が貫いた点が、次々と重なっていき、その色が濃くなっていくのが示されている。

残心。彼女は動かないのではない。動く必要が全くないのだ。道場の空気がガラスのように固くなり、菓の喉が勝手に、ごくり、と鳴った。


……綺麗すぎる。こんなの、ずるい──


(横90°/240fpsメイン:離れ~矢飛び)


真横からのアングル。肘の張りが背中の一点で左右に等しく伸びている。骨盤線のほんのわずかな(たわ)みを、重心点がふっと身体の内側へと収める。会は3.2秒で、静止。


赤いベクトルが、的の中心まで一直線に伸びる。弦音は最短距離で空気に収束していく。

画面に小さく、『意識:肩線水平/会3.2固定』という字幕カードが表示される。数字は、こんなにも冷たいのに、そこに映っている人からは温かみしか感じない。

スローモーションの中で、杏子の静かな横顔だけが、ふっと光を帯びているように見えた。科学の冷徹な解析だけでは、決して囲い切ることのできない、“気配”。それが画面の端から滲み出してきて、菓の強張っていた肩に、そっと触れていく。

怖い、という気持ちがほどけていく。


(真後ろ/センターライン)


真後ろからの映像。放たれた矢が一本の黒い線になる。耳下点─弓手拳─的中心を貫く縦の補助線が、まるで見えない光の柱のようにそこに立っている。親指の向きが、その補助線と完全に一致し、離れの瞬間、弦の戻りが最短距離で収束する。

ヒートマップの重心点が、さらに重なっていく。その色は、もう新しい点を拒むかのように深く、濃い。


菓の呼吸が浅くなる。指が勝手にスマホを一時停止しようとして──止まる。一瞬たりとも見逃したくない。同じ時間を共有したい。

……“±0(ゼロ)に、戻す”って、こういうこと、なんだ……


画面の光量がわずかに落ちる。杏子のその身体の周りに、目には見えない輪郭がふわりと膨らみ、全ての音が消えた。残心の絶対的な無音が、耳の奥で静かに震える。

──オーラ。そう、呼ぶしかない、何か。

それは、決して誰かを威圧するようなものではない。ただそこにあるだけで、散らばった全てのものを、あるべき場所へときれいに静めてしまう、そんな力のように見えた。


(俯瞰/広角+重心トラッキング)


真上からの映像。足踏みの幅、肩の回り、腰の向き、その全てが美しい、一つの弧となって繋がっていく。射法八節が段階ではなく、まるで一筆書きのように流れる、その瞬間。重心マーカーが足裏の内側を滑らかになぞり、身体の中央で小さく静止する。


離れ。赤い線と同時に表示された音圧波形が、最初の一射目と全く寸分違わぬ、同じ山を描いた。それは、機械的な反復ではない。彼女の強い「意思」の一致だった。

4射分、それぞれの角度からの撮影。でも、どれも全く同じだ。


画面の外の、ホテルの部屋の空気が菓の頬を冷やす。次の瞬間、頬の奥が、かあっと、熱くなった。

……わたし、ここへ、行きたい。いや、必ず行くんだ。


映像は、残心を途中で切ることなく、静かな空間を置いて、ゆっくりと黒へと落ちていった。


スマホの画面には、「部外秘」の赤いスタンプがまだ淡く残っている。

画面を暗くして目を閉じる。杏子の、絶対的な残心の静けさだけが、耳の奥にいつまでも残っていた。

怖さは消えない。けれど、その怖さの居場所が変わった。


──光田高校に、行く。

──あの人の、隣で弓を引く。


菓は、開きっぱなしだった過去問題集を静かに閉じ、ペンを丁寧に揃え、そして、神前に深く一礼するかのように、布団の中に入った。


明日の朝は、呼吸を整えてから歩き出すことにしよう。

それにしてもこのデータ。わたし落ちたら、ライバル高に渡すとか考えてないのかな、大和コーチ。

ま、受かるから、そんなことは起こらないけどねっ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ