表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
370/432

第370話 導く月と、二つの腕時計

瑠月の入学試験当日、いつものように、朝の散歩に行く、杏子と祖父と栞代。

ここ最近は、コースを変更して、神社に立ち寄ることになっている。


この日も、三人で試験の無事を祈ってお参りする三人。

「瑠月さん、離れててもいつも一緒です。団体戦と同じ」

杏子は心の中で呟いた。


「杏子さあ、すっかり忘れてるみたいだけど、期末テスト、一週間前だってこと、覚えてる?」

瑠月のことで頭がいっぱいだった杏子は、図星を突かれたのだが、慌てて、

「お、お、覚えてるもん」

と視線が彷徨った。


栞代は笑いながら

「杏子にウソは似合わないって」

「忘れてました・・・・」

元気を少しなくしながらも、少し安堵したように息を吐いた。


「今度のテストは結構大事だぞ。最後の高校総体の出場が掛かってくるからな。さすがに三年で最後の大会だから、補習や再テストしてくれるとは思うけど、そもそもそれが負担になるからなあ」

「そ、そうだね」

「でも、我が弓道部には強い味方が返って来るぞ」

「瑠月さんっ」

杏子が嬉しそうに応える。

「ああ。瑠月さん、教えるのもほんとに上手だからなあ」


二人のその会話を聞きながら、祖父は

「わしも、まだ、数学と国語なら教えられるぞっ」

と割って入る。

「なんといってもわしはなあ」

「全国3位だもんね」

栞代が、すかさずつっこむ。

「腕時計忘れた事件、真映が聞いたら、絶対に大笑い間違いなしだな」




朝。

まだ空の色は、夜の気配を残した薄暗い藍色。冬の厳しいまでの静寂が、街全体を、支配している時間だった。

カーテンの隙間から、白く細く差し込む光が、机の上にきちんと畳んで置かれた筆箱を、照らしている。

瑠月は、ベッドの上で、ゆっくりと息を吸い、そして、吐いた。

──いよいよ、今日。


机の端に置いた、スマートフォンの画面が、ふと目に入る。昨夜、眠りにつく前に、杏子から届いた、メッセージの光がそこに残っていた。


『瑠月さん。明日、絶対に、時計を両方の腕に、二つして行ってくださいっ!』

『え? 何かのおまじない? 笑』

『はいっ! 必ず、お願いしますっ!』

『りょうかい。笑』


読んだ瞬間、思わず笑ってしまった。でも、本当に杏子らしいな、と思った。

そして、可愛い後輩との約束を、きちんと果たす。

右の手首には、今の母が高校入学のお祝いに贈ってくれた、薄い金色の腕時計。

左の手首には、杏子が文化祭の日に「おそろいっ!」と、嬉しそうに言って一緒に買った、安物の、小さな銀色のバンドウォッチ。

どちらも、今日の自分を確かに導いてくれる、大切なお守りのような気がしていた。


鏡に映る、自分の姿を見つめる。制服の襟を、指先で丁寧に整えながら、ふと、二年という遠回りをして、ようやく、ここまで辿り着いた自分の道のりを思う。


──遅れても、止まっても、道は決してなくなりはしない。

そう心から思えるようになったのは、弓道部に入ってからだった。


そのほんの、数年前。高校への入学そのものを諦めた。

家庭の事情もあった。何もかもが嫌になって、全てを投げ出してしまいそうになった、あの日々。

今の母が、血の繋がらない、この自分のために、必死に尽力してくれたから。その想いに応えなくっちゃ、と、思った。


そして友達が欲しくて。ただ、それだけの理由で弓道部の門を叩いた。

そこで、冴子と沙月が、何の分け隔てもなく、仲間として付き合ってくれた。

そして、去年、杏子という、吸引力の固まりのような後輩とも出会えた。本当に、弓道部に入って良かった。


でも、今は思う。

あの二年があったから、

今の自分があるって、思える。


階下から、母の優しい声がした。

「瑠月ー、朝ごはん、冷めちゃうわよー」


その声の主は、わたしにとって二度目の母。

実の母が病気で亡くなってから、父が再婚して我が家にやってきた人だ。

最初は、どうしても距離を取っていた。けれど、彼女のその底抜けの愛情が、いつしか、わたしの固く閉ざした心を、ゆっくりと溶かしてくれた。

今では、もう本当の母としか思えない。


台所に行くと、母がにこっと笑った。

「緊張、してるの?」

「……うん。少しだけ」

「大丈夫よ。あなたはいつものあなたのままでいれば、それで、いいの」


食卓には、湯気の立つ温かい味噌汁。懐かしい出汁の香り。

湯気の向こうに、もう二度と会うことのできない、わたしを産んでくれた母の笑顔が、ふっと重なった気がした。


──“瑠月(るか)”という名前はね。

 暗い夜道を、そっと明るく照らす月のように。

 人に優しく寄り添って、困っている人を導いてあげられる、そんな温かい人になってほしい。

 そんな願いをこめたのよ。


まだ幼かった自分の髪を優し、撫でながら。

病室のベッドの上で、母がそう言っていたのを、今でもはっきりと覚えている。

あの言葉が、いつもわたしの背中を押してくれる。励ましてくれる。


「母さん、行ってくるね」

「ええ、しっかりね。……あら、時計、二つもしてるの?」

「うん。大切なおまじない」

母は、くすっと笑った。

「ふふっ。杏子さん?」

「うん」


玄関で靴を履きながら。

瑠月は小さな声で呟いた。

「……杏子、ありがとう。みんな、ありがとう。行ってくるね」


そのとき、杏子の声が聞こえた気がした。

「瑠月さん、離れててもいつも一緒です。団体戦と同じ」

「そうだね。一人じゃない」

小さく瑠月が応える。


外は、薄曇り。冷たい風が、きゅっと頬を撫で、髪を揺らした。


電車に揺られながら、窓の外を見つめる。

遠くの山並みの上に、ぼんやりと朝日が浮かんでいた。

その頼りない光の中で、右の金の時計と、左の銀の時計、どちらもが全く同じ時刻を、指し示していた。

「ふふっ。ちゃんと時間合ってる」

それだけのことが、なぜか、心を軽くしてくれた。


胸ポケットのスマートフォンを開くと、弓道部のグループLINEには、すでに朝早くからたくさんのメッセージが溢れていた。


『瑠月先輩! 祈ってます!』

『瑠月さんなら、絶対に大丈夫!』

『今朝、縁起担ぎでカレー食いました!』

『真映、朝からカレーかよ』

『わたしは朝からゲン担ぎでステーキです!』


その、全くいつも通りの変わらない賑やかなやり取りに、思わず笑みがこぼれた。

みんなの顔が浮かぶ。


試験会場に近づくにつれて、手のひらが少し汗ばんできた。

だが不思議と怖くはない。

“みんなが一緒にいる”という、確かな実感があるから。


深呼吸をして、門をくぐる。

曇り空の、その向こう。雲の切れ間から、うっすらと光が滲んでいた。

まるで、昨日杏子たちが祈ってくれた、あの神社の光が、ここまで届いているみたいだった。


席に着き、両腕の時計をそっと確かめる。

右も、左も、止まってはいない。

どちらも、しっかりと今のこの一秒を刻んでいる。


「よし──行こう」

瑠月は、小さく呟き、ペンを握った。


その瞬間。

ふと、心の奥で、また、あの杏子の声が聞こえた気がした。


『金メダルを取って、おばあちゃんに、プレゼントしたいです』

まっすぐな眼を思い出す。

(……わたしも、同じだよ、杏子)


(わたしも、合格通知を、天国にいるお母さん、そして、今わたしを支えてくれている母さん、二人に見せたいんだ)


唇に小さな笑みが浮かぶ。

目を閉じて、もう一度深く深呼吸。


──“導く月”になれますように。


静かに、そう、祈ってから。

瑠月は、解答用紙の最初の一文字を、静かに、そして、力強く書き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ