第37話 ブロック大会個人戦予選
団体戦の余韻がまだ胸の中に残る翌日、ブロック大会の個人戦が始まった。弓道場には、昨日とは違う張り詰めた空気が漂っている。団体戦とは異なり、個人戦は全員が一人きりの戦い。背後に仲間の声援があっても、的前に立てば矢を放つのは自分自身だけだ。昨日までの団体戦での絆は、ここでは別の意味を持つ。
光田高校からは、杏子、つぐみ、瑠月、冴子が出場。ほかにも強豪校のエースたちが控え、優勝の座を狙っていた。
「二次予選、開始します」
審判の声が静かに響く。個人戦の二次予選は、参加者全員が4射を行い、そのうち3本を的中させることが突破条件だ。最初のステージといえども、集中力を欠けば瞬く間に脱落してしまう。
ちなみに、一次予選は、団体戦の予選が兼ねることになっている。
冴子は、4射中3射の安定した射を見せ、二次予選を突破。瑠月も同じく3射を的中させ、予選通過を決めた。
そしてつぐみ。彼女の射は昨日の団体戦からさらに磨きがかかったかのように鋭い。県大会では動揺しすぎてしまったが、もう、雲類鷲麗霞に挑戦するために、負ける訳にはいかない。強い決意を感じる。4射全てを見事に的中させ、観客から小さな拍手が起こる。
最後に杏子が的前に立つ。杏子が立つと、道場の空気が変わった。昨日突然現れた杏子に、多くの関係者が注目していた。深く息を吸い込み、静かに弓を引くその姿は、周囲の喧騒を一瞬で遠ざけるようだった。昨夜の葛藤を感じさせない、穏やかな表情。祖母の言葉通り、「正しい姿勢で引くことだけ」を意識し、4射全てを美しく的中させた。
観客席で見守っていた祖父がそっと呟く。
「また皆中を出したのか」その言葉に少し心配した空気を感じた栞代が尋ねる。昨日と違い、今日は一緒に観戦していた。
「え? おじいちゃん、外さなかったから良かったじゃない。」
「昨日電話でな、今までず~っと中てて来てるじゃろ。だから、1本外せる余裕のある予選で、最初からの3本があたったら、4本目はわざと外せって言ったんじゃ。なんか、ずっと中ててるプレッシャーが心配でな~。」
それう聞いて栞代が呆れる。
「おじいちゃん、あのね~、杏子はね~。」
「おじいちゃん、そんな意識して外したり、中てたり、そんなことができる競技じゃないのよ、弓道は。」
優しく祖母が諭す。
「だって、あたるかどうかはただ結果なだけ。結果を考えたら、杏子の弓道は成立しないの。」
栞代は、祖母のその言葉を聞いて、昨日の祖母と杏子の会話を思い出した。そうか、おばあちゃんは、おじいちゃんのこの杏子へのアドバイスを聞いて、あの言葉を改めて伝えたのか。なるほどな。この流れだったんだ。
おばあちゃんの言葉、正しい姿勢だけ、昨日杏子が聞くことができたのは、ほんっとに大きいよ。栞代は、ヘンテコなことを言ったおじいちゃんに感謝した。お馬鹿発言だったけど、結果的におばあちゃんの言葉を改めて杏子に届けることができたのは、ほんとに良かった。やっぱり、おじいちゃんも、おばあちゃん同様、杏子には欠かせないな。そんなことを考え、栞代は笑った。
他校のエースたち
鳳泉館高校の矢野慧もまた、堂々とした射で4射全てを的中させる。彼女の表情には余裕が見えるが、その瞳の奥には昨日の悔しさに溢れ、優勝を狙う鋭い決意が宿っていた。川嶋女子校の日比野希は、静かな緊張感の中で矢を放つ。全ての矢が的の中心を捉え、彼女の正確無比な射は観客をも引き込んでいた。前田霞、桜台の桑原美香、城南学院の宮崎澪、昨日対戦した高校のエースは全員が安定した射を見せ、余裕を持って一次予選を突破した。そのほか、昨日、直接の対戦はなかったが、間堂祈、高橋美弥、八千代渚、野口佐保子らも、順当に突破していた。
「準決勝を開始します」
二次予選を突破した者たちが臨む二次予選。ここでも4射中3射以上の的中が必要だ。緊張感がさらに高まり、参加者の表情は真剣そのものだった。
冴子は二次予選を危なげなく突破し、準決勝に進んだ。しかし、一本一本の重みが増す中で、2本目と4本目が外れてしまい、2中で敗退。的前を後にした彼女は、「これが今の私の実力かな」と呟くが、少し悔しそうな表情を見せた。
瑠月は4射中3射を堅実に中て、準決勝も突破した。最後の一本を放った後、静かに深呼吸をして戻ってくる彼女の姿は、観客席からも「冷静で美しい射型だ」と声が上がるほどだった。瑠月にとって、鳳城高校との練習試合の結果、そしてその後の試練はかなり辛いものだったが、そのおかげで大きく変わることが出来たと感じていた。
杏子とつぐみは準決勝でも全ての矢を正確に的の中心へと放ち、皆中で決勝進出を決めた。杏子は、昨日の団体戦、そして今朝の二次予選から、一本も外していない。杏子は、県大会の個人戦決勝で破れたが、それは「失」によるもので、事実上、的を外す射はまだなかった。自然体で弓を引く姿は、本当に美しく、見るものを魅了した。「正しい姿勢だけを考える」というおばあちゃんの教えが、最高の形で表現されているかのようだった。
対してつぐみは「誰にも負けない!」という闘志を燃やし、矢を放つたびにその強い意志が伝わってきた。杏子に勝ちたい。それでこそ、雲類鷲麗霞への挑戦ができる。そんな風にも思っていた。
他校のエースたちも、その実力は健在だ。矢野慧の力強い射、日比野希の正確な射、桑原美香の安定した射、宮崎澪の美しい射。それぞれが持ち味を存分に発揮し、決勝への切符を手にした。そのほか、前田霞、間堂祈、高橋美弥、八千代渚、野口佐保子がそのまま突破した。
杏子、つぐみ、瑠月、総勢12名で、決勝が行われることになった。
ここまでの戦いを終えた選手たちの表情には、それぞれの思いが刻まれていた。敗退した沙月と冴子は、悔しさを必死に押し隠しながら、決勝に進んだ仲間たちを応援する決意を固めている。
瑠月は静かに呼吸を整え、決勝への準備を始めた。つぐみの目には強い決意の色が宿り、杏子は相変わらずの穏やかな表情を保っている。
これから始まる決勝。一矢ごとの勝負となり、外せば即座に脱落という厳しいルール。同時点での脱落は遠近競射となる。優勝決定の際は、勝者が決まるまで競射が続く。
道場に漂う緊張感は、さらに高まっていく。決勝進出を果たした選手たち。その一人一人の心の内には、それぞれの思いと覚悟が秘められていた。




