第367話 反省文の結末と新たな伊吹
真映の反省文をめぐって、弓道部の一年生と部長・杏子、そしてその祖父までが右往左往した翌日。
その騒動の余韻がようやく静まった頃――真映の手元に、没収されていたスマートフォンが無事戻ってきた。
光田高校弓道部に、ようやくいつもの笑いが戻った日だった。
けれど、この日は、もうひとつの“大切な節目”があった。
光田高校――出願受付開始日。
その日、緊張してがらも手続きを終えた受験生が二人いた。
彼女たちはまだ知らない。
その選択が、光田高校弓道部の未来を、静かに、しかし確実に動かすことになることを。
一人は、長野の澄んだ朝の空気の中で。
もう一人は、鉛色の雲の向こうに春を探す京都の町で。
二人の少女が、それぞれの想いを胸に、
光田高校弓道部の新たな一ページを刻もうとしていた――。
【城塚あまつ】
(……よし)
ふぅ、と、一つ、長く息を吐いた。
(……これで、もう矢は放たれた、だに)
随分と前に決めていたことだったから、ただの手続きだけの日。そう思っていたけれど。いよいよ、本当に目の前に的が見えた、という感じがする。もう後戻りはできない。もともと、そんな気はこれっぽっちもなかったけれど。
それにしても、ここに至るまで結構大変だったなあ。
最初は、あれほど頑なに反対していたお父さんも、もう、今では全面的に協力してくれるようになって、本当に助かった。
全ての始まりは、去年の夏の高校総体。
地元開催だから見に行ったら、光田高校の杏子さんが居た。
正直、最初はびっくりした。派手な髪色。規定ぎりぎりを攻めた外見。
(……なんだか弓道の精神、反してるみたいだに)
悪い意味ですごく目立っていた。
けれど。
杏子さんが、すっと弓を構えた、の瞬間。そんな浅はかな考えは、全部どこかへ吹っ飛んでしまった。
あの、静けさ。
あの、どこまでも揺るがない強さ。
あんなに静かなのに、あんなに強い、と感じたのは、生まれて初めてだった。
そしてその後の落差。
仲間を応援している時の、あの姿。まるで小さな子どもみたいに、無邪気で純粋でそして、どうしようもなく可愛かった。
射位に立つ、あの神のような姿と、仲間と笑い合う、あの無防備な顔。
その激しい落差に、完全に心を掴まれてしまった。
この人のことを、もっと知りたい。この人の、すぐ側で弓を引きたい。
そう思っちゃったんだから、もうしょうがない。これは理屈じゃない。
お父さんは、わたしが当然のように鳳城高校に進学するものとばかり思っていたもんだから。それを説得するのは、本当に骨が折れた。理由を聞かれて、見たそのままを素直に言った。でも、お父さん、肝心の杏子さんの射を見ていないんだもん。そりゃ話が通じるわけない。
めんどくさくなって「鳳城はちょっと遠いから」なんて適当なことを言ったら「光田高校の方が、よっぽど遠いだろが!」って本気で怒られた。……ああ、そうだった。完全に忘れてた。
確かに、鳳城の雲類鷲麗霞さんはすごい。ずっと、ずっと、憧れてた。綺麗だし、強いし、完璧だ。鳴弦館の篠宮かぐやさんの、全てを薙ぎ払うような激しく、だけど美しい矢も、すごく魅力的。
でも、なんか、杏子さんは……うん。いいんだよねえ。
結局、お父さんとは「年末の全国選抜大会を一緒に直接見に行く。そして、そこで改めて判断する」っていうことで、なんとか話が落ち着いた。
……よし。直接、見せてしまえば、こっちのものだ。
お父さんの弓を見る目は、誰よりも確かだから。
約束通り、二人で見に行った全国選抜大会。
そこで見た杏子さんは、もう圧倒的だった。団体戦決勝、あの無敵の王者、鳳城をあとほんの一歩のところまで追い詰めた、あの一戦。
お父さんは、隣で言葉を失っていた。この時の杏子さんは、服装も外見も去年の夏とは打って変わって完璧だったのも、良かったのかもしれない。
あの日から、お父さんは、もう何も言わなくなった。
個人戦に出場していなかったのは、本当に意味が分からなかったけど。一番、ほっとしたのは、たぶん麗霞さんじゃないかな。彼女、中学からの公式戦完全制覇を目指してるからね。
あんなにかっこいい、あと一歩の負け方を見たら、誰だって「このチームの力になりたい」って思うに決まってる。
それにしても、光田高校は、なんでわたしをスカウトしに来てくれなかったんだろう。中学全国で優勝したのに。
まあ、麗霞さんがいなかったら三連覇できましたね、なんて言われた時は、ちょっとむっとしちゃったけど。……だって、一年生の時は、小鳥遊つぐみさんにも、負けたんだもん。今なら絶対いい勝負してやるんだけどな。
そのつぐみさんも、麗霞さんへの対抗意識から、鳳城に行かずに光田を選んだ、って聞いたけど、今はもう転校してるんだよね。これもまた何があったのか。ミステリーだよ。……つぐみさんが居たら、もっと楽しかっただろうなあ。
後で、鳴弦館のスカウトの人と一緒に来ていた、篠宮かぐやさんに、思い切って「光田に行きたいんです」って言ってみたら、すぐに話は繋げてくれたけど。どうやら、声をかける気はあったけど、どうせ鳳城に行くんだろう、っていうのが既定路線みたいになってて、優先順位が低かった、らしい。……ちょっと、納得いかないけど。本気で欲しいなら、すぐに声かけなくっちゃ、ね。
でも、かぐやさんは男前だった。わざわざ直接声をかけてくれたのに、それを断ったわたしに、「きばいやんせ!」って言ってくれた。あれは、「がんばれ」って意味だよね?
かぐやさん、薩摩弁きついからなあ。
鳳城高校の不動監督も、スカウトの人も、ほんっとうに、いい人たちで、全く不満なんてなかったんだけど。……でも、かぐやさん見てたら、もし、お父さんが光田行きを認めてくれなかったら、わたし、鳴弦館に行こうかなって、少しだけ思っちゃった。もっと遠くなるけど。
選抜大会の時に、それまでスカウト窓口だった大和コーチが、光田の樹神拓哉コーチを紹介してもらった。その、拓哉コーチが、めっちゃくちゃ、かっこいいの。
うん。光田高校にして、良かった〜。なんて。
光田の女子が、急に強くなった理由が分かったよ。……ちがうか。
って、まだ合格したわけじゃないんだった。
鳳城も、鳴弦館も、推薦だから希望さえすれば、もう決まってたけど。光田高校は公立。ちゃんとテストを突破しないと。
あと、三週間か。
がんばろ。
あまつは、一つ、大きく伸びをすると、机の上に山積みになった参考書に手を伸ばした。
そして、京都の空の下で、同じように、勉強しているのてあろう、未来のチームメイトのことを思う。
「菓。あんたも、がんばるだに」




