第365話 反省文の夜と、ぱみゅカレーの野望
練習が終わると、杏子の提案で、部員たちは、全員そろっていつもの神社へと向かった。
夕方の風が冷たくなり始めていた。しかし、先輩たちの合格という嬉しい知らせが、彼女たちの心を、ぽかぽかと温めていた。
鳥居の前で、杏子は、そっと目を閉じ、小さく手を合わせる。
「冴子部長と、沙月さんの合格本当にありがとうございました。そして……瑠月さんも、どうか、無事に、試験を終えられますように」
その横で、栞代が真顔で、力強く頷いた。「それ、ほんっと、頼みます」
一年生たちも、それぞれ思い思いの祈りを捧げた。
つばめは静かに。楓はもはや、五体投地に近い勢いで、全力で。真映は、「スマホの件は、どうか、ご内密に……!」と、神様に個人的な言い訳をしていて、一華は「二礼二拍手一礼」し、「楓、それ本来は仏教式。真映もなんかオカシイ。つばめだけ合格」と冷静に告げた。
(※五体投地 仏教における最高の礼拝の形。
頭(額)、両手(両肘)、両膝の五つの部分を地面に着けて、仏や高僧に敬意を表す。)
参拝を終え、部は一旦、解散。
しかし、杏子は、そのまま、真映、楓、つばめ、一華、そして、もちろん、栞代を引き連れて、自宅へと向かった。今日のメインイベントは、まだ、終わっていないのだから。
「おお、ぱみゅ子、おかえり! おお、みんな、よう来てくれた!」
玄関の扉を開けると、祖父が、まるで一度に孫が五人増えたかのように、嬉しそうな、満面の笑みを浮かべていた。
その隣で祖母も、「まあまあ、また、一段と賑やかになるわねえ」と、優しく目を細める。
杏子は、修学旅行中、この四人が、祖父母を訪ねてくれたことを思い出しながら、改めてお礼を言った。
「みんな、修学旅行中は、おじいちゃんおばあちゃん、っていうか、おじいちゃんが寂しがらないように、遊びに来てくれて本当にありがとう」
「おお! 初日は、うめぶたのしゃぶしゃぶじゃったな! あれは、わしも、たまげた! 最高に、美味かった!」
「二日目は、黒豚のしゃぶしゃぶでした」
一華が、冷静にその記憶を補足する。
「はいっ! ものすごく、美味しかったです!」
楓が元気に言う。
「……わたしたちは、ソフィア先輩のお家でしたからねぇ……」
真映が、少し唇を尖らせる。
「その次の日は、杏子部長のおじい様、おばあ様は杏子部長のもとに飛んで行きましたもんね」
「でも、あの、四人で行ったエリックさんの家のパーティーも、めっちゃ楽しかったじゃん」
つばめが笑う。
「ええ。ピロシキも、サーモンスープも、本格的でした」
一華が、妙に正確な食レポをすると、全員がどっと、笑った。
やがて、話題は本日の本題──真映の反省文へと移った。
テーブルの上に、ノートとペンを広げ、真映は、うーん、うーん、と、唸っている。
その、向かいの席。祖父は、悠然と紅茶を飲みながら、落ち着き払っていた。
「ええか、真映さん。まずは、君の心の中に、『すまん』という、一本の誠意の矢を、ちゃんと、番えるんじゃ」
「……は、はいっ」
「そして、その矢を、真っ直ぐに、この紙という名の的に向かって放つんじゃ」
「は、はいっ」
「途中で、言葉が少しぐらい的を外れても構わん。反省の気持ちが、的のど真ん中に、当たれば、その反省文は大成功じゃ」
「今、弓道に例えた俺、かっけ~って思っただろ」
栞代が、心底、呆れたようにツッコミを入れる。
杏子は、その横で笑いながら、「でも、なんだか分かるなあ」と、静かに頷いていた。
やがて、見かねた仲間たちが、一人、また一人と、その「産みの苦しみ」に、加勢し始めた。
つばめが文法的な間違いをそっと直し、一華が、「いえ、構成が破綻しています。まず、結論から、述べるべきです」と、指導し、楓が、「真映ならできるよ! がんばって!」と、ひたすらに励まし、そして、杏子がその全ての意見を優しくまとめる。
真映は、途中、台所から漂ってくる、スパイシーなカレーの香りに、何度も集中力を切らしかけたが、なんとかかんとか、その一枚を書き上げた。
「できた〜〜〜っ!」
「……やっとか。日が暮れるわ。って、もう暮れてるけどね」
栞代がため息をつく。
「えらいな、真映。がんばったね」
杏子が、その、拙い文字で、びっしりと埋まったノートを見て、優しく微笑みながら、褒めた。
「おやぶ~~んっ」
その瞬間だった。台所から、祖母の明るい声がした。
「あら、ちょうど、終わったのかしら。じゃあ晩ごはんに、しましょうかねぇ。今日は、真映からのリクエスト。とっておきの、おじいちゃんカレーですよ」
食卓、並べられたのは、祖父の特製カレー。
様々なスパイスが複雑に、そして、豊かに絡み合った、本格的な香りが部屋いっぱいに広がる。
「うわ……! これ、絶対に美味しいやつ……!」と、楓。
「見た目ほど、スパイスはきつくないから安心せい」
と、祖父。
一口食べた真映は、目をまん丸にして、叫んだ。
「うわっっっ! うま、うますぎるぅぅぅぅぅっっ!!!」
「……そやろ?」
栞代が、なぜかドヤ顔。
「ご隠居! これ、お店出せますよ! 商品化できます!」
「ほう。ほんなら、『ぱみゅカレー』とでも名付けて、売り出すか」
「……名前のセンスが地獄です!」
温かい笑い声の中で、カレーは、あっという間に、なくなっていった。
そして、真映は、案の定、三杯もおかわりをした、その場で動けなくなった。
「……う、動けません、親分……。くるしい……」
「もう、真映ったら……」
(ああ、あかねがここにいたら、絶対に、この無様な姿、写真に撮ってたやろうなあ)
栞代は、そう思いつつ、代わりに撮影していた
食後。祖父は、一年生カルテットを車で送っていこうとしたが、残念ながら、今日は全員、自転車だった。
「まあ、玄関まで、送るだけでも」
祖母が、笑って、四人を、見送る。
「「「「今日も、ごちそうさまでした!」」」」
「また、いつでも、来てちょうだいねぇ」
玄関の前で、みんなが、一礼する。真映は、完成した反省文の入った封筒を、まるで、宝物のように大事に抱えていた。
「栞代先輩は帰らないんですか?」
「あ、ああ。今日は泊まるよ」
楓が、心底、羨ましそうに見ていた。
「……いいなあ、栞代先輩……」
その、小さな呟きに、杏子が気づいた。
「楓も週末、おいでよ」
「ほ、ほ、ほんとですかっ!? やったああああああっ!!」
楓の、その歓喜の絶叫が、静かになった夜の住宅街に、いつまでも、響き渡っていた。
窓の外には、細い、三日月。
完成した反省文も、美味しいカレーも、そして、尽きることのない笑い声も──。
その全てが、光田高校弓道部の温かい夜を、優しく、包み込んでいた。




