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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
357/432

第357話 ただいま、の朝

薄い朝靄(あさもや)が、庭の畑の向こうに、白い帯のように、たなびいていた。

夜露をたっぷりと含んだ、土の匂い。それが、開け放たれた窓から、少しひんやりとした空気と共に、胸の奥深くまで、届く。

まだ、頼りなげに響く、雀の声。遠くで、新聞配達のバイクが、小さく走り去っていく音。

杏子は、いつものように、誰よりも早く、目を覚ました。


旅の疲れは、不思議なほど身体に残ってはいない。むしろ、身体の中に、何か透明なものが、すっと一本、通っているかのような心地よい軽さがある。

寝室を抜け、音を立てないように、そっと廊下を歩く。階下から、トン、と、軽い杖の音がした。


祖父はもう起きていた。帽子までかぶり、玄関で、丁寧に、自分の靴を磨いている。

「おはよう、おじいちゃん。早いね」

「ふふん。今日は、特別じゃ。ぱみゅ子との、朝の散歩は、久しぶりじゃからなあ」

朝の光を、たっぷりと、吸い込んだみたいに、祖父の声は、弾んでいた。


洗面所へ向かう途中、杏子は、隣の客間の襖をそっと、開けた。

「……栞代、まだ寝てる?」

布団の中で、もぞ、と大きな影が、動く。

「んー……。あと、ごふん……」

「ふふっ。昨日は、遅かったもんね。ゆっくり寝てていいよ?」

しばしの沈黙。布団の中で、大きく息を吸う音がした。


次の瞬間。がばっ、と、まるで、バネ仕掛けのように、栞代が起き上がった。

「いや、行く。……行くに、決まってるやん」

「え、でも、無理しなくても、いいんだよ?」

「行く言うたら、行くねん!」

まだ、寝ぼけ(まなこ)のまま、長い髪を手早く一つにまとめ、上着を羽織って、彼女は階段を降りてくる。


玄関で、すでに出発準備を完了させて、待ち構えていた祖父を見つけ、栞代は、苦笑した。

「……おじいちゃん、準備、早すぎっ」

「ふふふ。普通じゃ」

三人は、顔を見合わせて笑い、まだ薄暗い門の外へと、出た。


朝の道は、静かだ。

田んぼの水面が、東の空から差し込み始めた、最初の光を受け、金色のさざ波を立てている。軽い風が、稲わらの乾いた匂いを運び、まだ深い眠りの中にいる、家々の屋根を、優しくすり抜けていく。

杏子は、祖父の少し小さくなった背中を見ながら、その歩幅に合わせて、ゆっくりと歩く。隣で栞代も、無言でその穏やかなペースに、揃えてくれた。


「……こうして、三人で歩くのも、久しぶりやな」

祖父が、そのことに気づき、少し、嬉しそうに、頷く。

「うん。修学旅行の前は、ずっと、雨続きだったもんね」

「ぱみゅ子はな、ちっこい頃から、この、朝の散歩が好きやった。幼稚園の頃から、毎朝こうして、二人で歩いとったんじゃ」

「えっ、ほんとですか?」

栞代が、驚いたように、声を上げる。

祖父は、待ってましたとばかりに、得意げに続けた。


「そりゃもう、こっちにとっては、毎日が修行じゃったわい。途中で、カエルを捕まえようとするし、急に蝶々を追いかけて、走り出すし……」

「おじいちゃん! もう、そんな話、いいから!」

杏子は顔を真っ赤にして、笑いながら軽く抗議した。

「ええじゃないか。可愛い、思い出や」

「……おじいちゃん、朝から、よう、しゃべるなあ。元気やなあ」

栞代が、肩をすくめる。

「それがいつの間にか弓道を始めるようになって、朝の散歩が極端に減っていくのじゃ。わしはそれが寂しくて、実は一昨年はわざと倒れたのじゃ。あっはっはっ」


「ん?」

「おじいちゃん、言っていい冗談とアカン冗談あるの知らんのかっ」

栞代の口調が厳しい。

杏子が悲しそうに呟く。「いつでも散歩ぐらいするから、もう絶対に倒れないでよ。約束してっ」

杏子の目が赤い。

「あっ、いや、その、すまんすまん。もう元気じゃ。大丈夫。ちゃ~んと、ぱみゅ子が旅行中も散歩しとったんや。ほれ、ほんまやで。これ見てみて」

そう言って、杏子の旅行中、一人で散歩している様子の動画を慌てて見せた。

「うん・・・」少し安心したのか、杏子は落ち着いて返事をした。


「ふ~。どうやら元気を取り戻してくれたようじゃな」

「意外と杏子のこと、分かってないからなあ、おじいちゃんは」

「う・・・・」

「でも、ちゃんとアリバイ証明の動画を撮ってたのはえらい。あとで、最初から最後まで何分散歩してるのか、チェックするからな」

栞代が厳しい。

「そやけど」

「そやけど?」

「わし、褒めてもらおうと思って撮影したのに、失地回復にしかならんとは。計算外じゃのう」

「おじいちゃん、それを、自業自得って言うんやで」

栞代と祖父のいつもの会話。杏子はいつの間にかケラケラ笑ってた。今泣いたカラスが・・・・・。


家に戻ると、玄関の引き戸の隙間から、もう香ばしい、幸せな匂いが流れてきていた。

「うわっ! なんだか、すごくいい匂い!」

「用意しておくから、シャワー浴びておいで」


今日は授業はないので、少し時間にも余裕がある。二人は急ぎシャワーを浴び、食卓に戻ってきた。

二人にやいのやいの言われて、続けて祖父もめんどくさそうにシャワーを浴びる。


台所では、祖母がエプロン姿で立っていた。

湯気の立つ熱々の味噌汁、焼き加減が完璧な鮭の塩焼き、美しい、黄金色のだし巻き卵、そして、艶のある白いごはん。


「うわあ! 朝から、すごいご馳走やん!」

「いっぱい、歩いてきたんでしょう。しっかり、食べないとね」

祖母の優しい笑顔に、杏子と栞代は、思わず顔を見合わせた。


「おう。ちゃんと、ワシの分、大盛りになっとるな。ええこっちゃ」

祖父が、咳払いをして、椅子に腰を下ろす。

杏子は、炊き立てのごはんを、一口、頬張った。

「……んーっ! やっぱり、おばあちゃんのごはんが、世界で、一番、美味しいね」

そして、続けた。

「……たしか昨日も、いや、考えたら、毎回同じこと言ってんな、杏子は」

「だって、美味しいんだもん」


「お、おう……」

栞代は、箸を持ったまま、(てら)いのない真っ直ぐな言葉に、目をそらした。

杏子の幼い真っ直ぐさだが、すぐに素直に表現できる、栞代はそのことを少し羨ましく思った。

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