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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
354/433

第354話 余韻と絆

道場に満ちていた神聖なまでの静寂は、まだその残響を空気の中に留めていた。杏子とかぐや。二人が織りなしたあまりにも高密度な時間の後で、見ている者たちはしばらく声を発することさえ忘れていた。


杏子の祖父は椅子に深く身を沈め、大きく長く息を吐いた。隣でまゆがそのかすかに震える手にそっと自分の手を重ねる。


「……まゆさん。すまんかったな。ありがとう」


祖父の声は少しかすれていた。極度の緊張から解放されどっと疲れが押し寄せてきたのだろう。


それでも彼は、すぐにいつものお調子者の顔に戻った。

「まゆさん、これ今日のお礼じゃ」


そう言って彼は傍らに置いていた少し大きめの銀色の水筒を差し出した。

「わしの特製の紅茶が入っとる。後でみんなでゆっくり飲んでくれたらええ」


「……はい。ありがとうございます。大切にいただきます」

まゆは両手でそれを受け取ると深く頭を下げた。


彼女があかねたちの元へ戻ると、あかねも紬もソフィアも、まだ言葉少なに先ほどの戦いの余韻に浸っていた。遥と澪はもはや言葉を完全に失っていた。


「おい二人とも大丈夫か」

あかねが小声でその肩をつつく。


我に返った遥が一度大きく息を吸い込みながら答えた。

「……ああ。ありがとう。……とんでもなくいいものを見せてもらった」


「全国でトップを取るっていうのがどういうことなのか。……今日見せてもらいました。」

澪がそれに続いた。


「普段の、あのぽんやりした杏子からは想像もつかんやろ?」

あかねが悪戯っぽく笑う。


「……うん。でもなんか分かった。栞代さんの気持ちも、あかねさんの気持ちも、まゆさんの気持ちも……。紬さんもソフィアさんも……」

遥は言葉を探すようにゆっくりと続けた。


「なんでみんながあの子にあれほどまでに惹かれるのか。今日やっと分かった気がする。あれは──みんな弓道に打ち込んでるっていうより……『杏子』という人間に打ち込んでるんやな」


「さすが杏子の『変人ホイホイ』にまんまと引っかかっただけあるな」

あかねがそう茶化した。


「……いやあれは……。うん。引っかかるわ。しゃあない」

遥のその完敗宣言とも言える言葉にその場にふわりと柔らかな笑いがこぼれた。


その時だった。

「おばあちゃーーんっ!!」


慌てて着替えたのだろう、少し服の裾が乱れた杏子が駆け込んできた。その姿はもはや先ほどまでの孤高の射手の面影などどこにもない。


「もう杏子ちゃん。そんなに慌てなくても大丈夫。ほら、襟が曲がってる」

祖母は笑いながら孫娘の襟元を優しく直した。


杏子は目をくりくりとさせて尋ねる。

「どうだった? わたしちゃんとできてた?」


祖母はその問いにそっと微笑んで頷いた。

「ええ。素晴らしかったわ。……あのかぐやさんも本当に素敵だった。お互いをどこまでも高め合う本当にいい時間だった」

「うんっ! かぐやさんすっごかったんだよ! ほんとうにすごかったの!」

たった今死闘を繰り広げたばかりの好敵手のことを、まるで自分のことのように誇らしげに語る杏子。その純粋で無垢な姿に遥と澪は思わず顔を見合わせて笑った。


「……なるほどね」

「……こりゃ惚れるわけだ」

そこへ栞代がやってきた。


「おじいちゃん。東雲監督の指示で杏子の道具一式は控室にそのまま置かせてもらってる。悪いけど持って帰ってもらっていいか?」


「おうもちろんじゃ。わしのぱみゅ子の大事な分身じゃからのう。大切に運ぶぞ」


「ありがとう。ほんとに助かった。……あ,それと紅茶また飲ませてな」


栞代はそう言って、全員を連れて、バス停に急いだ。もちろん、東雲監督、そして、久住校長にも、丁寧に挨拶をすることは忘れてはいない。


光田高校のメンバーが鳴弦館高校を後にしたその頃、控室では。祖父母が真壁主将と鷹匠、そして先ほどまで獣のように吠えていたかぐやと顔を合わせていた。


「あっ、杏子のおじいちゃん、おばあちゃんでございもすか?

杏子になにかあったとですか?

あの子、また一段と強うなっちょっです。

わたしもなぁ、自信あったどん、

正直な話、次の矢は外しちょったと思いもす。

……杏子には、絶対に内緒でお願いしもすね」


それを聞いて祖父の方は嬉しそうに頷いていたが、祖母は

「かぐやさん、ありがとう。謙遜がお上手ね。でも、上手な人と引くとそれだけで上手になるもの。今日、杏子が素晴らしかったのは、かぐやさんのおかげです。

今度は春の練習試合かな? そして夏の高校生活最後の公式戦、楽しみにしています。

今日は本当にどうもありがとう」


「まっ正面から打ち起こすんは、杏子が日本一ち言うてよか。あやつの射ん姿ぁ、ほんに神さぁ見ゆっと。

あまつが光田ば選んだんも、杏子がおっでけやっちゅうんは、よう分かっど。

鳳城も、うっちも、斜面が主やけん、しゃあなかこっちゃ。

ばってん、あまつが入っでくっどな、光田はほんに驚異になっど。

……じゃっどん、うちは負けん。負けっとは思っちょらん」


「こいは、ほんにうれしかごたっです。杏子さんと打ち合えたっちゅうて、心ん底から喜んじょります。

わたしからもお礼ば言わしてくいやんせ。

ほんに、ありがとうございました。」

鷹匠が頭を下げる。


かぐやは名残惜しそうに、また話していた。

「おばあちゃん、おじいちゃん、きょうはほんに来てくれてありがとごわした。

弓も完璧でなかと、ほんのこて完璧にはならんけん。おばあちゃん、絶対に試合は見に来てくいやい。うちは、まだまだ強うなるど。また会おな、約束やっど!」


何度も何度も深く頭を下げる祖母。その凛とした姿に真壁もかぐやも自然とその背筋を正した。


何度も何度もお礼をして、祖父母は鳴弦館高校をあとにした。

祖父のスマホにも、祖母のスマホにも、杏子から「気をつけて帰ってね」と何度も何度も送られてきていた。


光田高校のメンバー一行は、予定通りのバスで、点呼時間に間に合った。

紬とソフィアを自由にしてくれた、二人の班のほかのメンバーに、栞代たちは何度もお礼を言っていた。


すぐに夕食が始まる。

そして入浴。今日は、大浴場に全員で出向いた。

まゆを気遣う一行。

あいかわらず騒ぎまくるあかねと遥。

まゆのそばにぴったりと張りつく杏子、澪。

全員のバランスを整える栞代。


光田高校の貸し切りだという安心感も手伝って、湯気の向こうまで笑いが満ちた。

同じ時間帯に入っていた別班の子が、ふいに校歌を口ずさむ。

「いっしょに歌お!」

誰かが応じ、気づけば大合唱になっていた。白い湯気の上で、声だけがきれいに重なる。


修学旅行最後の夜。

部屋に戻ってもその興奮はなかなか冷めない。話は次から次へと沸いてきて尽きることがなかった。


まゆが杏子に、祖父から預かった水筒を手渡す。

杏子は、慣れた手つきで紅茶を暖めなおした。沸騰させないように。

「淹れたては、ほんっとに美味しいから、絶対に飲みに来てねっっ」

マグカップを遥と澪に配りながら、何度も何度もくり返す。


栞代が「うん。それはほんとなんだ。おじいちゃんの淹れる紅茶は、確かに一級品だ。人間、一つぐらいは取り柄があるもんだからなあ」わざとらしく肩をすくめると、杏子は頬をふくらませた。

「いいとこ、いっぱいあるもんっ」


それを聞いた遥と澪は笑い出し「ほんとに行っていいか?」と訊ねる。

「うんっっ」

杏子の明るい声が部屋いっぱいに跳ねた。


クラブの話、修学旅行で訪れた施設の話、澪の彼氏の話、迫る期末テストの話、好きな音楽の話、と笑いの輪は永遠に尽きないように思われた。

けれど杏子は、さすがに疲れていたんだろう、みんなの楽しそうな会話を子守唄に、いつの間にか眠ってしまっていた。


眠る杏子の存在は、気づけば話の中心になっていた。

「杏子の夢、叶えたい」「全国、必ず優勝する」

栞代、あかね、まゆが口々に言い、遥も澪も頷いた。

「私らも全力で、そこへ行く」


「わたしには見えるっ。金メダルを首から下げて嬉しそうなおばあちゃんが」

「おじいちゃんはどーすんだ?」

「おじいちゃんにはオレの分、貸したるか」

「返ってこないかも」

「ま、ええわ。そん時は、一生紅茶淹れてもらうわっ」



「ほんっとに幼稚園児だな。お母さんになった気分だろ」

そんな声を受けながら、布団を整え、そっと杏子を寝かせる。


無防備で穏やかな寝顔。栞代は、人指し指の先でほっぺたをぷにぷにと触れ、優しく前髪を払い、ふっと笑った。

「……ほんと、すげぇよ。おまえは――ぱみゅ子」


そして誰にも聞こえない声で小さく呟く。

「……でも。必ず越えるからな」

寝息しかないはずの杏子の口元が、一瞬、嬉しそうにゆるんだ。


部屋の窓を南国の静かな夜風が優しく揺らした。空には一番星が一つ静かにまたたいていた。

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