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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
326/432

第326話 刀身の礼と、栗饅頭の和平

こうして、杏子と栞代、二人きりでの、高階会長宅への訪問が決まったのだった。


冬の冷たい風が、ひゅう、と吹き抜ける坂道を、二人は並んで歩いていた。日はすでに傾き、住宅街は、夕食の準備が始まる前の、静かな時間に包まれている。やがて見えてきた、ひときわ大きな瓦屋根の家。その、重厚な門柱には、「高階」という二文字が、黒々と、威厳を持って掲げられていた。


「……ここ、だな」

栞代が、低くつぶやく。


杏子は、自分の心臓の音を聞きながら、ぎゅっと、手に握りしめた手提げ袋を見下ろした。中には、祖母が「これを持って行きなさい」と持たせてくれた、手作りの栗饅頭が、行儀よく収まっている。謝罪の印。それが、今は、ずしりと重い。


昨日の、あの場面が、どうしても頭から離れない。

突然の指名に、声も出せず、立ち尽くしてしまった、自分の不甲斐なさ。そして、そのせいで、部員たちに、あんな無礼な振る舞いをさせてしまったこと。


「……やっぱり、すごく、緊張するね」

杏子が、か細い声で漏らすと、栞代は、横目でちらりと彼女を見た。

「ほれ。お守り」

そう言って、ポケットから取り出したのは、弓の形を模した、小さな木製のキーホルダーだった。

「ちょっとは、効果あるだろ」


「……ありがとう。でも、この、小さなキーホルダーの分だけかも?」

杏子は、自嘲気味に、そう言って笑おうとした。

「それだけでも十分だ。オレも、いつでも、横に居るしな」

栞代の声は、いつも通りだった。

「いつも、そうだろ。杏子が弓を持ってない時は、オレが、お前の盾になる。だから、何も心配するな」


放り投げられたその言葉に、杏子は、ふっと、息を吐いた。ぶっきらぼうだが、温かい。肩にのしかかっていた重い何かが、軽くなるのを感じた。


二人は、意を決して、表門のインターホンを押した。静かな電子音の後、「はあい」という柔らかな声がして、門が開く。現れたのは、きっちりと上等な和服を着こなした、品の良い女性だった。高階会長の、奥様だろう。

「あらまあ、ようこそ、来てくださいました。寒い中を、ありがとう。さ、どうぞ、中へ」


案内された客間は、清浄な空気に満ちた、完璧に手入れされた和室だった。障子越しの柔らかな光が、畳の目に、淡い影を落としている。床の間には、禅の言葉が書かれた、凛とした掛け軸。その中央に、昨日と同じ、厳格そのものの表情をした、高階宗一が、座っていた。


(……考えてみたら、この人も、おばあちゃんと同じ、光田高校の、あの弓道場の卒業生なんだ)

そう思うと、不思議と、目の前の厳格な人物との間に、細い、細い、繋がりが生まれたような気がした。


「いらっしゃい」

短い、その一言で、室内の空気が、ぴんと張りつめる。

杏子は、膝を折り、畳に両手をつくと、深く、深く、頭を下げた。


「昨日は……突然のことで、わたくし、大変、失礼をいたしました。そして、わたくしたち部員が、会長に対して、数々の無礼を働いたこと、誠に、申し訳ありませんでした」


声は、緊張に震えていた。けれど、杏子は最後まで、顔を上げずに、丁寧に言葉を紡ぎ切った。

隣で、栞代も、同じように、深く頭を下げている。


高階は、腕を組み、しばし、沈黙した。

時間が、止まったように感じられる。杏子の心臓だけが、まるで、的へと向かう矢のように、この静寂の中で、強く、速く、打っていた。


やがて、高階が、重い口を開いた。

「……私も、昨日は、少し急ぎすぎた。現役の部長が、一体、どんな人物なのか。この目で、確かめたい、と思ったんだ。だが、その方法を誤った。あの場で、君を、不必要に追い詰めてしまったのは、私の、失策だ」


杏子は、思わず、顔を上げた。

厳しい表情は、変わらない。だが、その声には、嘘偽りのない、確かな誠意が、込められていた。


「君の、あの最後の矢は、ほんとに見事だった。……なるほど、あの、やんちゃな部員たちが、全員、あれほどまでに、君を『守ろう』とする理由が、よく、分かったよ」


隣で、その言葉を聞いていた栞代の口角が、ほんのわずか、上がった。


「杏子さん」

高階は、その視線を、真っ直ぐに、杏子へと投げかけた。

「これから先、君は、もっと多くの重圧を背負うことになる。それでも、折れずに、立ち続けてほしい。それが、部長というものだからね。……できますか?」


杏子は、一瞬、その言葉の重みに迷った。けれど、隣にいる親友の気配を感じ、静かに、そして、強く、頷いた。

「……はい。がんばります」

その答えに、高階は、初めて、ほんの少しだけ、満足そうに、頷いた。


「よし。……ありがとう」


その一言で、張り詰めていた空気は、ようやく、和らいだ。奥様が、お茶と、上品な菓子を運んできて、場の雰囲気も、少しずつ、柔らかくなっていく。


「栞代さん、だったね。君から見て、杏子部長は、どうだい?」

「はい。典型的な、『背中で語る』タイプ、ですね。みんなが、どれだけ騒いだり、遊んだりしていても、杏子が、すっと弓を引くと、その一瞬で、道場の空気が、変わるんです」

「うん。昨日のあの矢は、本当に素晴らしかった。……正直、嫉妬するほどにね。私が高校時代、あんなに上手だったかと言われれば、とても、そんなことはなかった。さすが、中田先生が手塩にかけた愛弟子だと、心から感服したよ」

そう言って、豪快に笑うその姿は、不思議なほど、あの中田先生の、あの時の笑顔と、そっくりだった。


((……もしかして、この会長も、高校時代は、相当の「やんちゃ」だったんじゃ……?))

杏子と栞代は、同時に、全く同じことを、思っていた。


「うわっ! ……これ、おいしい~っ!」


その時、静かに、杏子たちが持ってきた栗饅頭を、一口、ほうばった奥様が、素っ頓狂な声を上げた。

「あなた! あなた、これ、すごく美味しいわよ! 食べてみて!」

そうして、奥様は、高階会長に、小皿を、ぐい、と差し出した。

「ほほう、どれどれ」

会長も、その勢いに押されたように、一つ、口に入れる。

「……おお。これは、確かに、美味しい。こんな、上品な甘さの栗饅頭を売っている店が、この近所にあったかな。地域の店は、ほとんど、把握しているはずだが」

「いや~ね~、あなた。これは、杏子ちゃんの、おばあ様の手作りよ」

「お、おお、そうか! ……と、いうことは、雅子さんが、作ったのか。そうか、そうか。いやあ、彼女、高校時代は、あんまり目立たない、大人しい子だったけど、わしが卒業したとたん、一気に、実力を伸ばしてきたからなあ。……もしかして、わしは嫌われてたんかな? がはははは」

「あら、やだ。それで、全国大会で準優勝ですもの。あなたが、いなくなったおかげね。さすが会長、貢献してるわ~」

奥様が、けらけらと、楽しそうに笑った。


その、あまりにも容赦のない、奥様のツッコミ。厳しい顔を続けていた高階会長が、一瞬、微笑んだように杏子には見えた。

(……なんだか、素敵だな、この御夫婦)


「あの、会長」

「なんだい?」

「あの……また、おばあちゃんの高校時代の話、聞きに来てもいいですか?」

「ああ、いつでも、いらっしゃい。……その、栗饅頭を持ってね」

「あ〜あ! もう、威厳が、台無し!」

奥様が、また、楽しそうに、つっこんでいた。


帰り道。

高階家の、あの重厚な門を出たと同時だった。

「……ふぅぅぅ……。怖かったぁぁぁぁぁ」

杏子は、その場に、へなへなと座り込みそうになるのを、大きく、息を吐いて堪えた。

栞代は、そんな親友の背中を、軽く、バン!と叩いた。

「いやいや、全然、そんな風には見えなかったぞ。よく、堂々と言えたよ、杏子」

「う、うん。途中から、おばあちゃんの話になって……。おばあちゃんのことを思い出したら、なんだか、急に、勇気が出たんだ」

「ほう。意外と、それが、コツかもしれんな。弓を握ってない時も、常におばあちゃんのことを、思い出す、と」

「うん!」

「……おじいちゃんのことは、絶対に、思い出しては、ならん、と」

「もう、栞代~! うちのおじいちゃんだって、高階会長御夫婦に負けないぐらい、楽しいんだから~!」

「知ってる、知ってる。おばあちゃんの、日々の、血の滲むような努力のおかげでな」

「んも~!」


杏子は、そう言いながら、冬の夕暮れの空を、仰ぎ見た。その空は、どこまでも、どこまでも、高く、澄み切っていた。


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