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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
324/433

第324話 謝罪の礼と、真昼の道場

懇親会の会場は、食欲をそそる焼き魚の香ばしさが漂い、冬の冷えた胃袋を、優しく、しかし、たやすく掴んでくるようだった。湯気を立てる大鍋、冷たい湯呑の外側についた水滴、あちこちのテーブルで弾けるOBたちの朗らかな笑い声。

その、温かいカオスの入り口に、現役部員の一団が、すっと音もなく現れた。

そして、その中央にいた杏子が、一歩前に出る。


「本日は、誠に、失礼をいたしました。女子部長の杏子と申します」


杏子は、深く、深く、頭を下げた。その声は、式典の時のように震えてはおらず、凛とした、静かな強さを湛えていた。隣には、彼女を守るように栞代が立ち、その後ろには、まるで一本の竹のように背筋を伸ばした部員たちが、ずらりと並んでいた。


その異様な、しかし、あまりにも真摯な空気に、会場のざわめきが、すっと引く。

高階宗一は、その席から、ゆっくりと立ち上がった。厳格な顔つきのまま、彼は、杏子たちに向かい、同じように、深く、そして完璧な一礼を返した。それは、まるで、鞘から抜き放たれた刀身のような、鋭く、美しい礼だった。


「……こちらこそ、突然の無茶をさせ、すまなかった。非礼は、私にあった」


言葉は、短かった。だが、その短さには、一切の言い訳の余地を消し去る、絶対的な重みがあった。(あれは、中田先生からの、杏子を試すための指示であったが、そのことを、この場で口にするつもりは、毛頭ない)

杏子が、驚いて顔を上げる。その大きな瞳が、信じられない、といったふうに見開かれた。栞代の口角が、ほんの、ほんのわずかだけ、満足そうに上がるのを、杏子は視界の端で捉えた。


「……ありがとうございます。わたし、精一杯、頑張ります」

杏子は、そう言うのが精一杯で、また、深く頭を下げた。高階は、その表情を変えぬまま、ただ、一言を加えた。


「さきほどの一矢、見事だった。君が、この部の部長である理由が、よく分かった。……あれほどの矢は見たことがない。ただ、今は、懇親の場だ。もし、よければだが、明日、私の家まで、来てはくれんか。少し、話がしたい。お友達と、ご一緒に」


その、あまりにも予想外の誘いに、杏子が戸惑っていると、背後で、真映が「(よしっ!)」と、無音でガッツポーズをするのを、栞代が、肘で、容赦なく制した。まゆが、小さく「よかった」と呟き、紬が「それは、わたしの課題ではありません」と、なぜか少し嬉しそうに笑い、楓は「部長……!」と、すでに涙ぐんでいる。


その時だった。

「な、らんちゃん。見たか?」

「せやせや。ええ矢見たら、こっちの酒が、美味いわ!」

ヒノカンとらんちゃんが、顔を真っ赤にして、大声で笑っている。

「ところで杏子ちゃん! さっき、まーちゃん(杏子の祖母)がな、あの、旦那さん(杏子の祖父)が、怒り狂って手がつけられんからって、先に連れて帰ってしもたんや! せっかく、久しぶりにゆっくり話せると思ったのになあ!」

「そやそや! わたしらのトシになったら、いつお迎えがくるかもワカランのやから、話せる時に、話しとかんとなあ!」


その言葉に、杏子は、祖父の、あの湯気を立てていた顔を思い出し、(……おじいちゃん、大分、怒っただろうなあ)と、思いを馳せた。

栞代もまた、(そういえば、あのカオスな場面で、よく、おじいちゃんが飛び出してこなかったな)と、改めて不思議に思っていた。(杏子のことなら、後先考えずに突っ込んでいく、おじいちゃんが。よく、おばあちゃん一人で、止めることができたな)

──その時、引退した冴子、沙月、瑠月の三人が、必死で祖父を羽交い締めにして、抑え込んでいたことを、彼女たちが知るのは、もう少し、後のことである。


場は、すっかり和やかな空気に解けていく。滝本顧問が、巧みにその流れを作り、「では、このあとは、親睦の時間といたしましょう」と声をかけると、OB・OGたちは笑顔で卓に戻り、現役部員たちは、再び、深く一礼をして、その場を退出した。


懇親会場を抜けると、冬の空気は、すでに、夜の匂いを帯びていた。

まだ、時計の針は、六時を少し回ったところ。だが、日は、とっぷりと沈みきっている。吐く息は、街灯の光に、真っ白に浮かび上がった。


杏子が、数歩先を歩く、拓哉コーチの背中に、小さな声で、呼びかけた。

「……あの、コーチ」

「ん?」

「今日の分、わたし、弓を引いてないんです」

その声は、ためらいを含みつつも、どこか、切実だった。

拓哉は、肩をすくめ、盛大なため息を、一つ。

「……お前なぁ。本当に、弓中毒やな。……だが」

彼は、何かを思い出したように、道場の鍵を取り出した。

「そういや、新しく入った、このLED照明設備、まだ夜間に試してなかったな」


「一時間だけだぞ」

拓哉コーチが、そう念を押すと、部員に、歓声が上がった。

「よっしゃ! 今日、オレも、ゴム弓触ってないからな!」

栞代が、腕をぶんと回す。

「えーっ!? 今から、また練習するんですか? わたし、もう、完全に、お家に帰るモードなんですけど!」

真映が、心底、嫌そうに声を上げた。

「いや、真映は帰っていいぞ。というか、みんな、無理しないで、帰っていいんだからな」

栞代がそう言うと、楓が、即座に呟いた。

「いえ、わたしは、練習したいです」

「おーおー。どうせお前は、杏子部長と、一秒でも長く一緒に居たいだけだろうが」

真映がツッコむと、図星だったのか、楓は、真っ赤な顔で、こくりと頷いた。

「杏子部長が射るなら、当然、わたしも残ってデータを取ります」

一華が、タブレットを構える。

「システムを動かすなら、わたしも勉強しないと」と、まゆが、あかねを見上げる。

「はいはい。一心同体やから、わたしも、もちろん、残りますよ」

あかねが、笑う。

「お姉ちゃんに、今日の試合の詳細と、夜間練習の報告もしないと」と、つばめ。

「……照明に美しく映える、ソフィアは、綺麗だろうな。それを見届けるのは、わたしの課題ですね」

紬とソフィアが、二人で頷き合った。


「……ほら、真映も、行こ?」

杏子が、そっと、真映の袖を引いた。

一人だけ、帰るという選択肢はもちろん、ない。

「……親分の、ご命令とあらば! たとえ、それが、火の中、水の中、この、凍えるような、夜の道場の中であろうとも! どこまでも、お供いたしますっ!」

真映が、くるりと踵を返し、ビシッと敬礼してみせる。その、あまりにも見事な手のひら返しに、全員が、どっと笑った。


暗闇の中、弓道場の扉を開けると、真新しい木の香りが、ひんやりと、そして、清々しく、漂った。

拓哉コーチが、壁のスイッチを入れる。

その瞬間。

ぱっ、と、冬の夜の射場が、真昼のように、眩い光に包まれた。

蛍光灯の、あの青白い無機質な光とは違う、どこまでも自然光に近い、清浄な白。影が薄く、弓を握る手も、狙う先の的の目も、全てが、鮮明に、鮮やかに、浮かび上がる。


「すごい……! まるで、お昼みたいです……!」

楓が、目を丸くする。一華は、すでにタブレットを操作しながら、その瞳を、興奮に輝かせていた。

「……素晴らしい。照度、均一性、申し分ありません。では、システムを、起動します」


天井に設置された、いくつもの小さなカメラが、静かに、赤いランプを灯す。射場の端末が、低い電子音を立てて、命を吹き込まれたかのように、動き出した。

伝統ある道場が、一瞬にして、科学と伝統が融合する、未来の舞台へと、その姿を変貌させた。


「……やっぱり、この最初の一矢は、部長から、ですね」

一華が、迷いなく、そう言った。全員の視線が、杏子へと集まる。

杏子は、一瞬だけ、頬を赤らめたが、何も言わず、静かに立ち上がった。

さきほどの射とはまた違う、仲間に見せるだけの射。服装もさきほどと違い、練習用の簡易なものだ。でも、それはとても大切な一射だった。


床を踏みしめる、その足取りは、もう、昼間の式典で小さく震えていた、あの少女のものではなかった。

矢を番え、呼吸を整えた、その瞬間──道場の空気が、再び、変わった。


純白のLEDの光に、そのシルエットがくっきりと浮かび上がる。その姿は、まるで、古い絵巻物から抜け出してきた、一人の、孤高の武人のように、凛として、美しかった。

甲高い矢声が、冬の静寂を切り裂き、放たれた矢は、光の軌跡を描くかのように、一直線に、的の中心を、射抜いた。


「…………さすがだな」

拓哉コーチが、思わず、そう口にする。

栞代は、越えようと自ら決めたその壁が、いかに高く大きく巨大なものであるか、今更ながら実感した。


「よし、それじゃ、全員でやるか!」

栞代が声をかけると、部員たちは、待ってましたとばかりに、それぞれの立ち位置についた。

カメラの赤いランプが、彼女たちの動きを追い、放たれる矢の軌跡を、逃さず記録していく。

楓は、隣に立つ杏子の姿を、盗み見るように、必死に的へと集中する。

つばめは、遠くにいる姉を思い出すように、深く、深く、呼吸し、

真映は、「さっきの、ヤジを飛ばしたおっさんへの怒りを、この矢に込めるんや!」と、闘志を燃やしていた。


新しい光に包まれた、夜の道場。

冬の冷気と、彼女たちの熱気が、混じり合い、弦音と、矢音だけが、清々しく、響き渡っていた。

それは、式典の延長でもあり、そして、光田高校弓道部の、新しい時代の幕開けを告げる、始まりの調べでもあった。

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