第317話 ゴンタなおばあちゃんと、変人ホイホイの引力
夕暮れの光が消えかけた頃。中田先生の道場での長い一日が終わった。杏子が練習の最後の一礼を終え、一段落したのを見計らって、祖父が声をかける。
「送ってきたぞ」
「あ、ありがとう、おじいちゃん。お疲れさま」
「そろそろ、今日は帰るか」
栞代もゴム弓を置き、道着の埃を払う。師弟のように並んで素引きをしていた杏子と祖母も、練習を終えた。中田先生に全員で深々と礼を言うと、先生は、今日一日の賑わいを思い返すように、柔らかな笑顔を見せた。
「やっぱり、高校生がいる道場はいいねえ。久しぶりに、本当に楽しかったよ」
その言葉に、杏子の祖父が、悪戯っぽく笑う。
「先生。多分ですけど、明日、弓道部全員、ここに押しかけますよ」
「あら。まあ。やんちゃな子が多いんだねえ」
中田先生は、そう言うと、杏子の祖母に向かって、懐かしそうに微笑んだ。「あの頃を思い出すねえ」
「あの時も、本当に、賑やかでしたから」
祖母も、その視線を受けて、恥ずかしそうに目を伏せる。
「そうそう。特にヒノカン(火野美佐子)とラン(嵐堂玲子)が、ほんっとうにうるさくてな。控室でも、道場でも、所構わず騒ぎまくるもんやから、わたしが何度、竹刀持って怒鳴りつけたことか」
「その時、おばあちゃんはどうしてたの?」
杏子が、興味津々で身を乗り出す。
中田先生が、にこにこしながら話す。
「杏子のおばあちゃんはな、全然うるさくはなくて、一歩引いてた。一見大人しかったんや。でもその実、その二人に、きっちり手の込んだイタズラを仕掛ける、十分すぎるほどの『ゴンタ』(いたずら小僧)やったんやで」
「ええーっ!?」
杏子の素っ頓狂な声が、道場に響いた。
「せ、先生っ! そ、その辺で……!」
いつもは泰然自若としている祖母が、この時ばかりは顔を真っ赤にして慌てている。
「なに、ええじゃないか。二人の矢筒から、こっそり矢を抜き取っては、羽根の色が違うのを混ぜてテレコ(入れ違い)にしておく。ゼッケンの裏に、読めそうで読めない、変な川柳を落書きする。お茶だと言って、こっそり砂糖をひとつまみ入れる。ギリ粉(滑り止め)入れの底に、見えないように変なシールを貼っておく。手拭いに、これまたわざわざ変な刺繍を勝手に追加する。きっちりと手間隙かけてたな……まだまだ、あるんやで」
「ええええーっ!?」
杏子は、目の前の穏やかな祖母と、その悪戯の数々が、どうしても結びつかない。
「せ、先生っ! もう、本当に、その辺で……!」
「わははははっ! な、杏子。言うたやろ。『やんちゃじゃなけりゃ、矢は当たらん』のや!」
中田先生は、心底楽しそうに笑った。
「うーん……。しかし、ぱみゅ子にそういう悪戯っ気がないのは、ちゃ~んと、わしのこの真面目な血が、正しく流れている証拠なんやなあ」と祖父がドヤ顔。満足げに頷くと、栞代が、すかさずツッコミを入れた。
「どこがだよっ。そもそもその代わり、杏子には『変人ホイホイ』っていう、世にも恐ろしい特殊能力があるだろ」
「な、なんじゃ、そりゃ?」
「だって、真映とか、一華とか、今日の楓もそうだけど、どうも普通じゃないだろ。一番まともそうに見えるつばめだって、あのつぐみの妹なんだから、タダ者じゃない。まともなのが寄り付かないんだよ。まともなのは、オレしか居ねえな」
「どこがじゃ」
いつものように仲良くケンカする、祖父と栞代。
「おお。そういえば、あの真映さんは、ヒノカンとラン、二人を足して割ったぐらいのうるささとセンスを持っとる、実に楽しい子じゃないか」
中田先生が、懐かしい教え子を思い浮かべるように、深く頷く。
「杏子も、部長として、大変じゃのう」
「い、いや、わたし、何もしてないんです……」
杏子は、そう答えながら、それよりも、祖母の意外な一面を知ることができて、なぜか嬉しくて堪らなかった。
中田先生と祖母の、長い長い別れの挨拶(と昔話)が終わり、祖父の車に全員が乗り込む。
「さて、腹も減ったし、今日は外食でもして帰るか?」
祖父がそう声をかける。杏子は、隣の栞代に尋ねた。
「栞代、どこか行きたいところ、食べたいもの、ある?」
すると、栞代は、少しだけ考える素振りを見せ、きっぱりと言った。
「いや、今から、スーパーに買い出しに行こう。外食もいいけど、今日は、オレが材料を買って、オレが作って、みんなに御馳走するよ」
「おお、それはええのう!」
祖父が同意する。
「だが、まてまて。それじゃ栞代だけに負担がかかる。よし、こうしよう。今から買い出しに行って、みんなで、それぞれ好きなものを作って食べる、というのはどうじゃ!」
祖父がそう提案すると、杏子も「それがいい! その方が、絶対楽しい!」と、その案に賛成した。
かくして、一行はスーパーへと向かった。カートを押す栞代の周りで、祖父が「今日はカニ鍋か!」と言い出したり、杏子が「卵が特売だ」と喜んだり。その、あまりにも賑やかな買い出しは、あっという間に終わった。
杏子の家の、温かい台所。
いきなり人数が減って、寂しい思いをしているだろう、と、杏子の祖父の心情をすっかり理解している栞代は、この時とばかりと、積極的に祖父に仕事を振った。
「おじいちゃん! その大根、皮むいて!」
「なぬ、わしがか?」
「つぐみが心配してたよ。おじいちゃんはなにもできないって。ほら、まずは練習!」
「むむむ……」
「ほら、やればできるじゃん!」
「ふん、その気になればわしはなんでもできるんじゃ!」
栞代が、文句を言ったり、褒めたり、的確に祖父を振り回しながら、料理の戦力として組み込んでいく。
その横で杏子は、そんな二人を微笑ましく見ながら、祖母と一緒に、一品一品、丁寧に料理を仕上げていた。
食卓は、さながら合宿の夜のように、賑やかで、笑い声が絶えなかった。
食事が終わると、祖父が、待ってましたとばかりにトランプを取り出した。昨夜の雪辱を果たすべく、様々なゲームを提案し、そのたびに、勝者がめまぐるしく入れ代わった。
昨夜は、六人もの少女たちで溢れかえっていた客間は今夜は使わず、杏子の部屋で栞代と二人だけ。
「しかし、驚いたな」
布団に入り、栞代が、ぽつりと呟いた。
「おばあちゃん、高校時代は、ほんとに楽しかったんだろうな」
「うん。意外だったなあ。あんなにいっぱい、いたずらしてたなんて」
「ま、それも全部、いい思い出なんだろうな。……杏子も、今を、ちゃんと楽しめよ」
栞代の優しい言葉に、杏子が頷いた、その時。
二人の枕元に置いてあったスマートフォンが、LINEの通知音を響かせた。
開いてみると、あかねからだった。
『みんなで話し合った結果、やっぱ明日練習したい。中田先生のところに、うちら全員で行くことにしたわ! よろしく!』
そのメッセージが届いて、数秒も経たないうちに、今度は紬から、メッセージが届いた。
『ソフィアと話した。明日、中田先生の道場に行く。』
「……あら。やっばりだね」
杏子の口から、声が漏れる。
「もう一日、みんな遊べたのにな……。どうやら、最終日は、結局全員で練習することになったな。おじいちゃんの予想通りか。」
栞代は、そう言って、呆れたように、しかし、最高に楽しそうに笑った。そして、何かを思い出したように、杏子を見た。
「……なあ、杏子。オレ、お前の特殊能力、もう一つ忘れてたわ」
「え?」
栞代は、天井を見上げながら、言った。
「お前の射は、なぜか、見たやつを、やる気にさせるんだよな。居てもたっても居られなくなるというか。あの、練習嫌い(?)の真映にまで、あれだけ効くんだから、相当なもんだよ」
「……ううん。真映は、意外とマジメだよ」
「そうか?」
杏子は、携帯端末をそっと置くと、明日、またあの道場が、大好きな仲間たちの声でいっぱいになる光景を思い浮かべ、そっと、目を閉じた。




