第306話 ラーメン、カフェ、時々、仁義
三連休の初日。
あかね、まゆ、真映、つばめの四人は、この日のために、ある壮大な(?)計画を立てていた。
まず、駅前に新しくできた、行列必至の有名豚骨ラーメン店で腹ごしらえをし、その後、まゆが前々から行きたがっていた、川沿いのお洒落なカフェで優雅なティータイムを過ごす。そして、その帰りにもう一度、同じラーメン屋に寄って、今度は違う味のラーメンで一日を締めくくる。
計画立案者は、言うまでもなく、あかねと真映。あまりにも炭水化物に偏ったその無茶苦茶な行程に、つばめは少しだけ眉を下げたが、まゆが「楽しそう」と微笑んだので、異論はなかった。
集合場所は、まゆの家。
あかねがチャイムを鳴らすと、すぐに、まゆのお母さんが温かい笑顔で出迎えてくれた。
「あかねちゃん。おはよう。いつも、うちのまゆがお世話になって」
「やだなぁ、おばちゃん! こちらこそ、わたしがまゆに遊んでもらってるんですよぉ」
もうすっかり家族同然の、気心の知れた挨拶。
「それにしても、弓道部がお休みだなんて、本当に珍しいわね」
「ほんとに! だから、この貴重な機会を逃さず、思いっきり遊ばないと!」
そんな、穏やかで馴染み深い会話の中に、突然後ろから、竜巻のような勢いで声がなだれ込んできた。
「いや〜、おばさんっ! あの宇宙人部長は、今日も元気に練習してるんですよ〜!」
振り返ると、少し遅れて到着した真映が、すでに会話の輪の中心に立っていた。
「あ、あら、おはよう」
突然の乱入に、まゆのお母さんが少しだけ驚いたように声をかける。
「こら、真映! まずは、ちゃんと自己紹介せんかい!」
あかねが、慌てて真映の頭を軽くはたく。
「おばちゃん、すいません。こいつ、いつも弓道部の規律を、たった一人で乱してる問題児でして」
あかねの言葉に、しかし真映は悪びれもせず、むしろ得意満面で、すっと背筋を伸ばした。そして、まるで時代劇の舞台役者のように、深々と腰を落としてみせる。
「厚かましくも、お控えを頂戴いたしたく存じます。お控えなすって、ご挨拶させていただきます。
手前、生国は熊野の山中、住まいはここ光田にございます。
杏子一家、あかね組の若輩者、人呼んで、"疾風の真映"と発します。
お見知りおかれまして、今後とも、よろしくお頼み申し上げます!」
あまりにも本格的で、流麗な仁義。その突拍子もない自己紹介に、あかねは額に手を当てて天を仰ぎ、まゆのお母さんは、きょとんとして目を丸くしている。
静寂が、玄関先に訪れた、その時だった。
「……下拙も、当家のしがない者でござんす。どうぞ、お控えください」
小さいが、凛として、そして可愛らしく芯の通った声。
声のした方を見ると、ゆっくりと玄関に出てきた、まゆが、くすくすと、鈴を転がすように笑っていた。
普段の物静かな彼女からは、到底想像もつかない、ウィットに富んだ完璧な切り返し。
その瞬間、こらえきれずに、まず、まゆのお母さんが大きな笑い声を上げた。
「まあ! あなたたち、なんて楽しいクラブなの! 部長の杏子さんは、すごく大人しくて、おしとやかな方だとばかり思っていたわ」
「いえ、母上どの! それは、世を忍ぶための、仮の姿なのでございます! あの幼稚園児の皮を被ったお姿は、部長のかりそめのすが……いてっ!」
あかねの、強烈なチョップが、さらに暴走しようとする真映の脳天に炸裂した。
「お前は、ええ加減にせえよ!」
そう言いながらも、あかねの口元は、もう笑いを堪えきれていない。
そこへ、最後の一人、つばめがやってきた。
ぎこちなく、しかし丁寧に、彼女は頭を下げる。
「おはようございます。はじめまして。小鳥遊つばめ、と申します。……あの、つぐみの、妹です」
「まあ、つばめさん。おはよう。ふふっ、本当にお姉さんにそっくりね」
短く挨拶を交わしたつばめの姿を見て、あかねは、しみじみと、そして心底、安堵したように呟いた。
「……つばめ。お前が、今日このメンバーに居てくれて、ほんとうに良かったよ」
「え、あ、はい? なにか、あったんですか?」
「いや、なんでもない、なんでもない」
あかねは、ぶんぶんと首を横に振る。常識人(ツッコミ役)が、自分一人ではないという事実が、これほどまでに心強いとは。
「じゃ、おばちゃん、行ってきますっ!」
四人は、まゆのお母さんに軽く手を振って、最初の目的地、ラーメン屋へと出発した。
先頭を歩くのは、真映とつばめ。真映は、今から向かうラーメン屋がいかに評判が良く、スープが濃厚で、替え玉システムが素晴らしいかを、身振り手振りを交えて力説している。
その後ろを、あかねが、まゆの乗る車椅子を、ゆっくりと、そして優しい手つきで押していた。
二、三歩進んでは、後輩たちが、頻繁に後ろを振り返って、まゆに声をかける。
「まゆさん、ここに、ちょっとだけ段差ありますよ!」
「まゆさん、寒くないですか?」
「まゆさん、お腹空きましたよね!」
「あかね先輩の車椅子の押し方が乱暴な時は、いつでも言ってくださいっ!」
「おい、お前ら! そんなに後ろばっかり気にしてたら、前見てなくて、自分らが転ぶぞ!」
あかねが注意すると、真映がくるりと振り返り、またもや芝居がかった口調で応えた。
「真映が前を見ずに転ぶとは、これいかにっ! 弓引きの風上にも置けませぬな!」
「だめだ、こいつ、なに言っても通じへん……。部長じゃなくて、わたしは、真映こそが宇宙人である、という説を、本気で提唱したいわ、まったく」
あかねの、愛情のこもった嘆き節。
その言葉を聞いて、まゆは、車椅子の上で、けらけらと、楽しそうに笑っていた。
その笑い声は、冬の澄んだ空気に、どこまでも、どこまでも、温かく響き渡っていた。




