第303話 三連休の計画と、友情と姉妹がまけたもの
弓道場が工事のため、今週末からの三連休は、完全に立ち入り禁止。
その、普段ならば絶望的な響きを持つはずの知らせは、しかし、今の光田高校弓道部員たちの前では、どこか楽しげな「議題」へと姿を変えていた。
「さて、どうしたものか」
という拓哉コーチの呟きを号令とするかのように、彼女たちの休み時間の作戦会議は、驚くほどスムーズにまとまっていく。まるで、流れ出した水が、ごく自然に、それぞれの器へと収まっていくかのようだった。
「じゃあ、オレと杏子は、いつも通り、中田先生の道場にお邪魔させてもらおうか」
栞代が言うと、杏子はこくりと頷く。二人にとって、弓を引かない休日など、選択肢にすら存在しないのだ。
「わたしとソフィアは、彼女の家で、年末年始に録り溜めたアニメの一挙鑑賞会を開催します。これ以外はどんな課題も、わたしの課題ではありません」
紬が、いつも通りの無表情で、しかし有無を言わせぬ力強さで宣言する。
「異論なんて、あるわけないじゃない!」
ソフィアが、満面の笑みでそれに続いた。
「じゃあ、うちらは、女子らしくカフェ巡りでもしよか」
あかねが、隣に座るまゆにウィンクする。
「駅前に、新しくて、お洒落なカフェができたんよ。まゆ、行きたがっとったやろ?」
「うん……行ってみたい」
まゆが、小さな声で、しかし嬉しそうに頷いた。
その、穏やかで完璧な計画に、待ったをかけた者がいた。
「待ってください、あかね先輩!」
真映だった。
「まゆ先輩の車椅子を押したり、荷物を持ったり、屈強な男手……いえ、女手が必要なはずです! この朔晦真映、お供します!」
「いや、いつも、まゆとは二人で行動しとるから、全く問題ないで?」
あかねが、きっぱりとそう言い張るが、真映はそれを完全に無視した。
「ただし! そのカフェに行く前に、駅前の豚骨ラーメン屋に付き合ってくれるなら、という条件付きです!」
「……お前、それが言いたいだけやろ! ラーメン屋に、一人で行くのが寂しいだけやないか!」
あかねの鋭いツッコミが飛ぶ。しかし、その時、まゆが、あかねの袖をくいっと引いた。
「……あかね。わたしも、ラーメン、食べたいな」
その、天使のような、しかし、この場においては決定的な一言に、あかねは天を仰いだ。
「……分かったわ。ほな、ラーメンも、カフェも、三人で行こか」
「いえ、先輩! ここは、一年生カルテット全員で行きましょう!」
真映がそう言って、楓とつばめ、一華を手招きする。いったんは、その賑やかな六人での休日の計画で、話はまとまりかけた。
しかし。
「……あの、あかね先輩」
それまで黙っていた楓が、おずおずと手を挙げた。
「杏子部長は、三連休、どうされるんですか?」
「杏子? ああ、あの子はいつも通り、中田先生のところで、みっちり練習するんやない?」
その答えを聞いた瞬間、楓の瞳が、きらりと輝いた。彼女は、意を決したように立ち上がると、杏子のもとへと駆け寄った。
「杏子部長! もし、もしご迷惑でなければ、わたしも、中田先生の道場に、ご一緒させていただいても、よろしいでしょうか!」
その、あまりにも必死な形相に、杏子は少し驚きながらも、にこりと微笑んだ。
「うん。もちろん、構わないよ。一緒に頑張ろうね」
「は、はいぃぃぃぃっ!」
許可を得た楓は、その場で崩れ落ちるように床にへたり込み、天を仰いでガッツポーズを繰り返している。まさに、狂喜乱舞。
その様子を見ていた真映が、裏切られた、と言わんばかりの声を上げた。
「おい、楓! どういうことだよ、お前! ラーメンより、部長を選ぶっていうのか!」
その、ギャグとしか思えない怒声に、あかねは、やれやれと肩をすくめた。
「しゃあないやろ、真映。古来より、友情は、愛に負けるもんやで」
その名言(?)に、部室にひとしきり大きな笑いが起こった、その直後だった。
それまで静観していた一華が、すっと手を挙げた。
「あの、すみません。私も、やはり杏子部長の方へ行かせていただきます」
その、予想外の申し出に、全員の視線が一華へと集まる。
「えーっ! 一華まで裏切るの!? わたしの豚骨ラーメンより、部長のデータの方が大事だって言うの!?」
真映の悲痛な叫びに、一華は、少しも表情を変えずに、淡々と答えた。
「いえ。あなたの言う豚骨ラーメンに含まれる旨味成分のデータ化にも、一定の学術的価値があるとは思います。ですが、それ以上に、杏子部長が、いつもと違う道場という環境変化の中で射る。その際の、パフォーマンスの差異を記録できる、またとない好機を、アナリストとして見逃すわけにはいきません」
その、あまりにも理屈っぽく、大真面目な宣言に、あかねは、またしても天を仰いだ。
「……あんたの場合は、愛やのうて、完全に『研究対象』としてやもんなあ」
かくして、中田先生道場組は、杏子、栞代、楓、そして一華という、練習色の濃いメンバーで固まった。
その夜、遠く離れた小鳥遊つぐみは、妹のつばめとLINEでメッセージを交わしていた。
『──というわけで、今度の三連休は、道場が工事で使えなくなっちゃったの』
そのメッセージを見た瞬間、つぐみの指が止まった。光田高校が、三日間も練習をしない? 公式練習ならまだしも、あの部員たちが、自主練習まで完全に休むとは、到底信じられない。
『工事で閉鎖? じゃあ、杏子は、中田先生のところに行くのか?』
つぐみは、確信を持ってそう打ち込んだ。
『うん。そうだよ。栞代先輩と、あと楓と一華も一緒に行くみたい』
『そうか。……よし』
つぐみは、ベッドから飛び起きた。
『わたしも、行く』
その短いメッセージに、つばめは驚いた。
『えっ?』
『うちの部も、成人式の関係で、二日間は、練習が休みになった。今から、杏子に連絡を取る』
『は? 休みなら、わたしがそっちに行こうか?』
『いやいや、わたしが行くから、それでいい』
『……でも、うちには、来るわけにはいかないよね?』
その、妹からの遠慮がちな問いに、つぐみの胸が、ちくりと痛んだ。離婚してつばめと暮らしている母と、自分は、あまり折り合いが良くない。母が暮らすあの家に、今の自分が足を踏み入れることは、できなかった。
『まあ、さすがに、家には行けないけど』
『じゃあ、どこかで待ち合わせしようよ! わたしたちも、ラーメンとカフェに行くことになってるんだけど、それ、キャンセルしてもいいし……』
妹の、その健気な優しさが、嬉しい。しかし、つぐみは、静かに首を横に振った。
『いや。つばめは、友達との時間を、ちゃんと大切にしろ』
『じゃあ、そのあとで、少しだけでも会う?』
『……いや。お前とは、またいつでも会えるだろ。でも、杏子とは、なかなか会えないからな。今回は、杏子と、少し話がしたい。あいつ、全国にもブロック大会にも出てこなかったから、試合もしてみたい』
『えー……。妹のわたしより、杏子部長を選ぶの?』
画面の向こうで、妹が、少しだけ唇を尖らせているのが、目に浮かぶようだった。つぐみは、苦笑しながら、メッセージを打ち込む。
『まあ、今回は、な』
しばらくして、つばめから、返信が届いた。
『……姉妹愛が、負けた。……なんか、今のわたし、真映の気持ちが、すごくよく分かる』
その、少しだけ拗ねたような、でも、全てを理解してくれている優しいメッセージに、つぐみは、思わず笑みをこぼした。




