第300話特別記念スピンオフ 吾輩は犬である。
吾輩は犬である。名前はピルッカ。犬種は確かフィニッシュ・ラップフンドとかいう、人間が好んで用いる分類法に属するらしいが、吾輩にしてみれば、吾輩は吾輩である。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。物心ついた時には、ソフィアという人間なる種族の若い娘に抱き上げられておった。以来、彼女が吾輩の主人であることに相違ない。
この主人、なかなかの変わり者であった。フィンランドの長く静かな夜を、何やら四角い板状の機械――画面とか称するらしい――ばかり見つめては、「アニメ!」「ニッポン!」と意味不明の音を発するのである。日本という現地版を見てはニホンゴのセリフを繰り返し、覚えようとしている。吾輩の言葉こそ学ぶべきであろうに、人間とは実に奇妙な習性を持つものよ。しまいには、エリックという祖父に送ってもらった画面の中に映る「杏子」なる娘の姿に心を奪われ、ついにはその「ニッポン」なる島国へ、単身渡ると言い出した。犬として言わせてもらえば、いかなる理屈で、この吾輩よりも、画面の中の杏子なる女が尊いという結論に至るのか、不可解千万である。
しかしまあ、家にはアンナとラウリという、これまた珍妙ながらも優しい兄妹がおったゆえ、フィンランドでの日々も、さほど退屈はせなんだ。ゲームなる遊戯に夢中の兄ラウリに、寂しがり屋のアンナが度々ちょっかいをかけては、甲高い声で叱られておる。そのアンナも、姉ソフィアが例の熱病に浮かされておる時は、素直にその横で同じ画面を眺め、意味不明の音声を、早くから耳に馴染ませておった。姉妹そろって「言い出したら聞かぬ」という頑固な性質は、血というものの不可思議さを、吾輩に教えてくれた。
ところがある日、吾輩の平穏は突如として破られた。狭苦しいケージなる箱に押し込められ、天地も分からぬほどの長い旅を経て、かの「ニッポン」なる国へ連れてこられたのである。空港とかいう場所で、一年ぶりに再会した主人ソフィアの姿を見た時、吾輩としたことが、自らの尾がちぎれんばかりに振れてしまったのは、一生の不覚と相成った。
やがてアンナが、姉を奪った元凶たる杏子に対し積年の、といっても離れて一年に満たないぐらいだったが、「勝負!」と息巻いていた。よし、吾輩も一発かましてやらねばなるまい。噛みつくのは流石に大人気ないゆえ、足元にささやかなる縄張りの主張でもしてやろうか――と目論んでおったのに、何を思ったか、アンナはものの数分で、その杏子なる女に陥落してしまった。あまつさえ、姉妹そろって杏子の信奉者になるとは。犬ながらに、開いた口が塞がらぬとはこの事である。
道場の外から、その噂の杏子を観察する機会があった。なるほど、弓を持つ姿は、どこか人間を超越した聖人の如き静謐さを纏っておる。しかし、ひとたび弓を置けば、どこか我が主人アンナにも似た、無邪気で頼りなげな表情を見せる。ふむ。これならば、あの単純な姉妹が心を許すのも、無理からぬことか。
その後は、エリックという「じいさん」、リーサという「ばあさん」と共に、留守番を仰せつかる日々が続いた。とはいえ、この吾輩がおれば、アンナが寂しがる隙などないはず。そう思っておったのに、あろうことか、あの杏子までもが、毎日のように遊びに来るではないか。おい、アンナよ、この吾輩の温かい毛皮は、お前だけの特権ではなかったのか。……だがまあ、杏子に撫でられてみれば……ふむ。これは、さほど悪くない。むしろ、心地よい。
楽しい日々は矢の如し、とはよく言ったものである。再び狭いケージの旅路。アンナは元気をなくしたが、我が輩は支えた。やがて画面越しに杏子と語らううち、再び笑顔を取り戻す。
そしてアンナは、あろうことか、自分も弓を学ぶと言い出した。かの杏子のようになりたい、の一心らしい。人間が何かに執着する様は、時に滑稽で、時に痛ましい。泣き、喚き、的を外しては、吾輩の毛皮に顔をうずめて、その悩みを打ち明けてくる。まったく、迷惑な話である。だが、吾輩ほどの賢犬になると、人間のその弱さをも、大目に見てやる度量というものを、持ち合わせているのだ。
ある夜のこと、アンナは、画面越しに杏子とその祖父なる老人と話しておった。杏子は、自分が弓を始めた頃の話をして聞かせていた。二年も基礎練習ばかりで、いざ的前に立っても、全く中らずに泣いてばかりであったこと。それを見かねた祖父が、彼女にこう諭したという。
「結果を見てはいけない。なぜ、弓をしたいのか。その始まりの気持ちを思い出すんじゃ」と。
杏子の始まりは、「祖母と同じ弓をしたい」「祖母が持っていない金メダルをプレゼントしたい」という、純粋な願い。祖父は言った。「祖母と同じ弓をする、それだけでも、お祖母様は十分に嬉しいはずじゃ。金メダルは、その結果として、後からついてくるものに過ぎん」と。
結果ではなく、その道程こそが尊いのだと。人間とは、かように面倒な理屈をこねる生き物であるらしい。
しかし、驚くべきことに、アンナはその杏子の話を聞き、己の始まりの気持ち――「杏子のようになりたい」「姉のソフィアを喜ばせたい」という、単純な願いを思い出し、それだけで、すっくと立ち直ってしまったのである。まったく、単純な生き物よ。
ついにはアンナが、「ニッポンの高校に通いたい!」と、例によって突拍子もないことを言い出した。本気らしい。ニホンゴなる言語も、会話に関しては問題がない。あまつさえ、兄のラウリまでもが留学すると言い出し、なんと一家で移住する運びと相成った。人間という種族は、仲が良いにも程がある。
七年ぶりに再会した杏子は、なんと母になっていた。あの杏子なる女に、子を産み育てるという、極めて動物的な能力があったとは、驚きである。その伴侶たる雄が何者かは知らぬが、あれほど杏子を溺愛しておった祖父が、よくもまあ、嫁に出すことを許可したものだと、吾輩は感心した。
その祖父も、今ではすっかり曾祖父となり、かつて杏子に向けていた愛情の全てを、今はその曾孫に注いでおる。そのデレデレとした有様に、吾輩は呆れるばかりである。「ぱみゅ子、ぱみゅ子」と鳴いておった老人が、今ではその子孫に「ぱみゅ代、ぱみゅ代」と夢中。人間の愛情とは、かくも移ろいやすく、目先の新しいものに飛びつく習性があるらしい。まったく、気分屋な種族であることよ。あとその、ネーミングセンス。聞いてるこっちが恥ずかしくなる。
――ああ、人間というやつは、どこまでも騒がしく、理解に苦しむことばかりで、そして、どうしようもなく、愛おしい。
……おっと、もうこんな時間か。吾輩も、随分と年を取ったものだ。近頃は、どうにも眠気が強い。最後に、アンナが、かのニッポンの高校で、初めて自己紹介をした時に言ったという、あの言葉を思い出して、この筆を置くこととしよう。
「金メダルを取って、お姉ちゃんにプレゼントしたいです。」
──犬ながらに、胸が熱くなるではないか。




