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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
299/433

第299話 宇宙人に還る日

夕暮れの空に、空港へ向かうエリックの車の赤い尾灯が、小さな点になるまで。杏子は、身じろぎもせず、じっとその光を見送っていた。やがて、その最後の光が、地平線の向こうへと吸い込まれるように消えた瞬間。ずっと堪えていた何かが切れたように、彼女の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。


隣に立つ栞代が、その震える肩を、そっと抱きしめた。

「杏子、泣いていいんだ」

杏子は、こくりと一度だけ頷き、首を横に振った。それでも、後から後から、涙は溢れて止まらない。


「じゃ、じゃあ、お先に失礼しますっ!」

無理やり作った明るい声で、真映が自転車に飛び乗った。けれど、走り去っていくその背中は、小刻みに揺れていて、必死に涙を堪えていることが、誰の目にも明らかだった。紬と栞代は、黙って杏子の両脇を固めると、ゆっくりと、彼女を家まで送り届け、それぞれの帰路についた。


家の前で、杏子は一度、大きく深呼吸をした。手の甲で、涙の跡をきっちりと拭う。祖父に泣き顔を見せると、必ず自分を見失って大騒ぎすることを知っているからだ。

それだけは、避けたかった。しっかりしなきゃ。わたしが、しっかりしないと。


そう自分に言い聞かせて、玄関の扉を開けた、その先に──信じられない光景が広がっていた。


「うわーん! アンナちゃーんっっ! アンナちゃーんっっ!」


リビングのソファで、大きな身体を子供のように丸め、わんわんと大泣きしている祖父の姿があった。


「ああ、なんて可愛かったんじゃあ! もう一人、あんな孫がほしいのう! ぱみゅ子の、ちっちゃい頃に、そっくりじゃった〜!」

その、あまりにも情けない号泣っぷりを前に、杏子は一瞬ぽかんとして、それから、自分の涙も忘れて、思わずその大きな背中を「よしよし」とさすっていた。


台所から顔を出した祖母は、いつも通り落ち着いた笑みを浮かべていたが、その目元がほんのりと赤いことを、杏子は見逃さなかった。

(……そうだよね。おばあちゃんも、寂しいよね)

あんなに可愛くて、一生懸命で、辿々(たどたど)しい日本語を、必死で覚えようとしていた、遠い国の小さな女の子。嵐のようにやってきて、この家にたくさんの光を置いて、そして、あっという間に、いなくなってしまったのだから。


それにしても、祖父の涙は尋常ではない。杏子の胸には、こみ上げてくる悲しさと、妙なおかしみが、ぐちゃぐちゃに入り混じっていた。

「ぱみゅ子ぉ〜! はやく、ひ孫を産んでくれえ〜!」

「……え?」

とんでもないことを言い出した祖父に、杏子は、涙の跡がまだ乾かない顔で、真顔のまま訊ねた。

「……はやく、産んでもいいの?」


その、あまりにも純粋な問いに、祖父は、はっとしたように泣き止んだ。

「い、いやっ! 永遠に産まんでええっ! お嫁にも、絶対に行かんでええっ!」

必死で前言を撤回する祖父の姿に、杏子と祖母は、とうとう声を上げて笑い出した。


昨日まで、三人で分け合って食べたおかず。三人で入ったお風呂。三人で、身を寄せ合って眠った布団。

その一つ一つの温かい記憶が、夜になって一人になると、胸に迫ってくる。寂しさと、愛おしさが、寄せては返す波のように、心を揺らした。


杏子は布団に潜り込むと、栞代に、そして瑠月さんに、順番に電話をかけた。他愛もない話をする。ただ、その声を聞いているうちに、胸の奥で固まっていた寂しさが、少しずつ解けて、涙も、いつしか穏やかな笑いに変わっていった。

瑠月は受験生だから、最後少し謝ると、瑠月はいつもの優しい声で「気にしなくていいのよ。いつでもかけてきて大丈夫だからねっ」と言ってくれた。


翌朝。

杏子の祖父は、いつも通り、掛け布団をあらぬ方向に蹴っ飛ばし、布団をまるで無視したかのような姿で、大きないびきをかいて眠っている。その無防備な寝顔の横に立ち、杏子は、元気いっぱいの声をかけた。

「おじいちゃん! さっ、散歩、行くよっ!」


朝にめっぽう弱い祖母とは違い、杏子は朝に強い。いつも「わしに似たな!」と喜ぶ祖父は、昨夜の涙で真っ赤に腫れた目をこすりながらも、もそもそと起き上がり、杏子と同じということを証明するように着替え始めた。


冬の冷たい空気に頬を叩かれながら、二人は、肩を並べていつもの道を歩く。昨日まで、その真ん中で甲高い声を響かせていた、小さな友人の姿は、もういない。

(……ま、その分、おじいちゃんがうるさいから、結局あんまり変わらないな)

杏子は、心の中で小さく笑った。


「なあ、ぱみゅ子。ひ孫の名前は、何にするかのう? いっそのこと、結婚はせずに、産んでしまうかっ!」

帰り道、祖父が、またしてもとんでもない爆弾を投下し、杏子は盛大にため息をついた。そんな、いつも通りのやり取りをしながら家に帰ると、朝に弱いはずの祖母は、もうとっくに起きていて、温かい朝食の準備をしながら、二人の帰りを待っていた。


食後、栞代が迎えに来て、二人で早朝練習へと向かう。

冬の朝日が、長く影を落とす、見慣れた通学路。


──そうだ。こんな毎日だったんだ。

賑やかで、夢のような一週間が終わって、いつもの、かけがえのない日常が、また、ここから始まる。


道場に立ち、ゆっくりと弓を構えた杏子の姿は、昨日までの涙の跡など、微塵も感じさせなかった。

真剣な表情。美しい姿勢。凛とした佇まい。そして、彼女がそこに立つだけで、道場全体の空気を一変させてしまう、圧倒的な存在感。


その姿を、少し離れた場所から見つめていた真映が、畏敬の念を込めて、ぽつりと呟いた。


「…………宇宙人に、戻った」

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