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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
293/432

第293話 異国の姉妹と、心の言葉

その夜、杏子の家の浴室からは、普段は決して聞こえることのない、賑やかで楽しげな水音と、弾けるような笑い声が漏れていた。アンナ一人ではさすがに、ということで、ソフィアももちろん一緒に泊まることになったのだ。


湯船から立ち上る、檜の清々しい香りが混じった湯気の中で、三人はまるで本当の姉妹のようにじゃれ合っていた。日本の深い湯船に、最初は少し戸惑っていたアンナも、すぐにその心地よさの虜になったようだった。

「Kyoko! "Katso! Ankkaa!" (見て! アヒルさん!)」


祖父が、杏子が小さい時に遊んでいたお風呂用のおもちゃを、出してくれたのだ。

杏子が遊んでいたおもちゃ、それを聞いてアンナは大興奮。

アヒルのおもちゃではしゃぐ。その無邪気な姿に、ソフィアが「アンナ、お湯を飛ばしたらダメよ」と(たしな)めながらも、その口元は優しく微笑んでいた。杏子は、そんな二人を、ただただ愛おしそうに見つめている。肌に触れるお湯の温かさ以上に、この幸福な光景が、杏子の心を芯から温めていた。


客間に敷かれた三つの布団。真ん中にはアンナが陣取ったが、お風呂から上がってしばらくすると、アンナはもぞもぞと杏子の布団の中にもぐり込んできた。杏子は、もちろんそれを拒否したりはしない。にこにこと笑って、その小さな身体を優しく受け入れた。

「ソフィアも、こっちに来て」

アンナは、杏子にべったりと寄り添いながら、今度は姉を手招きする。さすがに一つの布団に三人では入りきらない。ソフィアは苦笑しながら、もともとアンナがいた布団に移動すると、杏子の布団との隙間をなくすように、ぴったりと身を寄せた。


「ふふっ。なんだか、バランスが悪いわね」

ソフィアが笑う。「アンナの布団に、私たち二人が寄り添った方が、安定するんじゃないかしら」

「やだっ! 杏子の布団がいいの!」

アンナはそう言うと、自分は杏子の方を向いてべったりとくっついたまま、空いている方の手を伸ばして、ソフィアのパジャマの袖をぎゅっと掴んだ。そして、二人の体温を左右に感じながら、満足そうに、そして安心しきったように、ゆっくりと目を閉じていく。


「……毎日、こうして三人で寝たいなあ」

寝息に変わる直前の、夢うつつな声で、アンナが呟いた。


不意に、アンナが杏子を見上げて、覚えたての、拙い英語で話しかけた。

“Kyoko… I love your house.” (杏子…あなたのお家、大好き)

杏子は、少し驚きながらも、優しい英語で返す。

“Thank you, Anna. I'm so happy to hear that.” (ありがとう、アンナ。そう言ってもらえて、すごく嬉しいよ)

“And… your grandpa is very funny!” (それと…あなたのおじいちゃん、すごく面白い!)

“Yes, he is.” (うん、そうでしょ)


その、通訳を介さない直接のやり取りを、ソフィアが微笑ましそうに見守っていた。

「ふふっ。英語は、やっぱり世界共通語ね」

その言葉に、アンナはむくりと顔を上げた。

「わたし、お姉ちゃんみたいに、日本語ももっと勉強したい。……杏子の言葉だから」

その健気な言葉を最後に、アンナは満足したように、穏やかな寝息を立て始めた。


アンナの寝息だけが、静かに響く部屋。その穏やかな音を聞きながら、ソフィアと杏子は、小さな声で言葉を交わし始めた。


「家族との久しぶりの旅行だったから、すごく楽しかったけれど……正直、弓のことも、気になっていたわ」

ソフィアが、ぽつりと本音を漏らす。

「分かる。わたしはソフィアとは違って、たった一泊だったけど、それでも、道場の空気が恋しくなったもの。

ソフィアは、本当にすごいね。全く違う国に来て、言葉も覚えて、一人で……」

「Kyokoも、同じじゃない。ご両親と離れて、おばあ様のために、こうして頑張っている」


その、誰もがそう思うであろう言葉に、杏子は、静かに、ゆっくりと首を横に振った。

「ソフィア。それね、みんなにもよく言われるんだけど……本当は、違うのよ」

「そうなの?」


「うーん……。すごく、難しいんだけど……。『おばあちゃんのため』、じゃなくて、これは、わたしが、やりたかったことなの」


杏子の声は、夜の静寂に溶け込むように、どこまでも穏やかだった。しかし、その一言一言には、静かな湖の底で決して揺らぐことのない、硬い岩のような意志が込められていた。


「うん」

ソフィアは、ただ、静かに相槌を打つ。

「わたし、おばあちゃんと一緒になりたいの。おばあちゃんみたいに、しっかりしてて、優しくて。だからおばあちゃんがやってたって知った、弓を始めたの。

そのついでに、おばあちゃんが唯一持っていない、全国大会の金メダルを、プレゼントしたいの。おばあちゃんは銀メダルだったから」

それは、他者のためという「優しい義務感」ではない。杏子自身の内側から、どうしようもなく湧き上がってくる「純粋な渇望」。彼女のあの揺るぎない強さの、本当の源泉だった。


「お父さんやお母さんだけじゃなくて、おじいちゃんにも、おばあちゃんにも、すごいワガママを言ったんだって、今になって思う。わざわざ、おばあちゃんの育ったこの家に、家族みんなで引っ越してきて……。この家は、ひいおじいちゃんとひいばあちゃん、おばあちゃんの両親ね。がずっとそのまま住んでて、そこにきたの。もう今は天国だけど。

おじいちゃんが、すごく頑張って、お父さんとお母さんを説得してくれたの。だから、認めてくれた二人にも、本当に感謝してる」

「おばあ様は、なんて?」

「おばあちゃんは、いつもみたいにニコニコして、黙ってわたしの好きなようにさせてくれた」

「おじい様は?」

「すごく、うるさく応援してくれた。ふふっ」

杏子は、楽しそうに笑った。


「今、何か困っていることはないの?」

「うん。おばあちゃんはまだまだ元気だし、おじいちゃんも、去年は倒れてびっくりしたけど、今はすっかり元気になったから。毎日、本当に楽しくやってる」

「そう。でも、もし何か困ったことがあったら、いつでも言ってね」

「うん。ありがとう。ソフィアもね。だって、ソフィアもわたしと一緒じゃない。エリックさんとリーサさんと暮らしてる。ソフィアもなにか困ったことがあったら言ってね」

「もちろん」


「ソフィアは、もう日本語が完璧だね」

「ありがとう。杏子のおじい様のおかげかしら」

二人は、くすくすと笑い合った。

「今度、わたしにも、フィンランド語、教えてね」

「アンナが、絶対にあなたと英語で話せるようになるって頑張っているから、英語の方が、効率的かもしれないわよ?」

「うん。でも、わたし、ソフィアとアンナのこと、もっと、もっと、知りたいから」


その、あまりにも真っ直ぐで、誠実な言葉に、ソフィアは一瞬、息を呑んだ。そして、親友の顔を見つめながら、まるで独り言のように、母国語で、そっと囁いた。


“Minä rakastan sinua.”(杏子、大好き)


「え? なに?」

きょとんとする杏子に、ソフィアは、少しだけ照れたようにはにかんだ。

「……『おやすみ』って、言ったのよ」


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