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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
291/432

第291話 アンナの訪問

始業式を明日に控えた、冬の穏やかな午後のことだった。杏子が台所で祖母の手伝いをしていると、玄関のチャイムが軽やかに鳴った。扉を開けた瞬間、小さな旋風のような影が、杏子の足元へと勢いよく飛び込んできた。


「Kyoko~~!」


それは、アンナだった。艶やかな栗色の髪を揺らし、両腕を思い切り伸ばして、杏子の腰にしがみつく。見上げた大きな青い瞳には、きらりと光る涙が膜を張っていた。


「アンナ……!」

杏子は驚きながらも、その言葉にならない想いの全てを受け止めるように、黙ってその小さな体を抱きしめた。胸にすり寄せてくる温もりと、懐かしいシャンプーの香り。それを、まるで壊れやすい宝物のように、そっと抱きしめ返す。


毎日のように、ビデオ通話で顔を見ていた。笑い合いもしたし、眠る前には「おやすみ」だって交わしていた。けれど、画面越しでは決して伝わらないものが、確かにここにはあった。体温、鼓動、そして、ぎゅっと握りしめられたエプロンの裾から伝わる、寂しさの全て。その小さな指の力強さに、杏子は胸が締めつけられるような愛おしさを覚えた。


「アンナ、泣いてるの?」

「En mä itke, en!……(泣いて、ないもん)」

強がるように答える声は、微かに震えていた。


すぐ後ろから顔を覗かせたソフィアが、苦笑しながら通訳を添える。

「『Kyokoに会えなくて、本当にさみしかった!』ですって。毎日、電話していたのにね」


リビングに移ると、アンナはすぐに自分の鞄をごそごそと漁り始めた。

「これ! これ、Kyokoにプレゼント!」

差し出されたのは、ちりめん細工の小さな布袋。中には、可愛らしい舞妓姿のキャラクターが描かれた根付ストラップと、淡い桜模様のハンカチが入っていた。


「わぁ……すごく、かわいい。En… mä… itke?」

その片言の響きに、アンナが一瞬きょとんとしたあと、ぱっと花が咲いたみたいに笑顔になった。

杏子が目を細めると、アンナは「でしょ!」と言わんばかりに得意げに胸を張る。

「おそろい! わたしのはピンクで、Kyokoのは水色!」

そう言って、自分の鞄に付けたピンク色の根付を、得意げに揺らして見せた。


その微笑ましい光景を見ていた祖母は、ふわりと笑顔をこぼした。

「まあ、本当に仲良しさんねぇ」

祖父は祖父で、アンナから金平糖の入った綺麗な小箱を受け取り、まるで子どものようにはしゃいでいた。

「おおっ、これか! 京の都の金平糖は、色が美しいのう! ほれ、ぱみゅ子、後でわしにも少し分けておくれ」

「もう、それは全部おじいちゃんのだよ」

杏子が笑うと、アンナは

「Ei, ei! Se on vaan Kyokon! ぜったいに、わけちゃだめ!」

と小さな拳を握りしめ、真剣な顔で首を横に振る。その姿がまた可愛らしくて、リビングは温かい笑い声に包まれた。


やがてアンナは、堰を切ったように、この数日間の旅の思い出を語り始めた。ソフィアがその後ろから、「アンナ、ちょっと待って。順番に、ゆっくり話して」となだめながら、その言葉を一つ一つ、丁寧に紡いでいく。

古都で見た雪化粧の寺社の荘厳さ、アニメの聖地で手に入れたガチャポンの景品、そして、大都会のきらめく夜景……。目を輝かせ、全身を使って表現するアンナを見ていると、まるで旅そのものが、彼女の中でまだ生き生きと動き続けているかのようだった。


杏子は、その言葉の一つ一つに、微笑みながら頷き続けた。

(こんなに夢中になって、話してくれるなんて。ありがとう、アンナ)

リビングには、弾むような笑い声と、金平糖のほのかな甘い香りが広がっていた。


アンナが熱弁を振るっている間に、祖母は夕食の準備をしていた。


テーブルの上には、温かい湯気が立ちのぼる。

煮物の甘辛い匂い、出汁のきいた味噌汁の香り、黄金色の卵焼き――どれも杏子と祖母が心を込めて作った家庭の味だった。


その中に、一皿だけ異彩を放つ料理がある。

素朴なライ麦色の小さなパイ――フィンランドの郷土料理「カレリアパイ」だ。

ソフィアが事前に「アンナが大好き」と教えてくれていた。祖母と杏子が初めて挑戦してみたのだ。


「……これ、ほんとに作ってくれたんだ?」

ソフィアが驚きの声をあげる。

「レシピを見ながらだけどね。アンナが喜んでくれたらいいなと思って」

杏子が少し照れながら答えた。


アンナは、もう黙っていられない。

「Kyoko~~!」

と叫びながら杏子に抱きつき、そのまま勢いでカレリアパイをひと口。


「ん~~っ!」

頬をふくらませながら、両手でグーサイン。

祖父母も思わず笑い、ソフィアは小さく肩をすくめた。


「これ、わたしとおばあちゃんで作ったの。難しかったけどね」

杏子が説明すると、アンナはぱっと顔を輝かせた。

ソフィアが少し味見をしようとすると、

「Ei, ei! Se on vaan Kyokon!(だめだめ!これは杏子の!)」

まるで独占権を主張するかのように叫ぶ。


「いや、ちょこちょこ味見はしたんだけど……」

杏子が苦笑すると、食卓は一気に笑いに包まれた。


夕食の卓には、杏子と祖母が心を込めて用意した料理が並んでいた。

白い湯気をのぼらせる味噌汁、黄金色の玉子焼き、つやつやと輝く白米。

どれも杏子がいつも食べている「日常の食卓」そのものだった。


「アンナのリクエストで、Kyokoのいつも食べているものを用意して貰ったんだけど、大丈夫? 食べられる?」

ソフィアが心配そうに問いかけると、アンナはぷいと顔をそむけ、

杏子の袖をぎゅっとつかんでから、小さな声で言った。


「Kyoko to onaji no tabemono ga ii…(杏子と同じものがいい)」


その瞬間、祖母の顔に微笑みが広がる。

実は、もしアンナの口に合わなかった場合に備えて、

トマトソースのスパゲティやマッシュポテトを別に用意していたのだ。

だが、それを出す必要はなさそうだった。


そのあと、恐る恐る味噌汁に手を伸ばすアンナ。

湯気をふうふう吹きながらひと口すすり――「んんっ?」と首をかしげる。

少し塩っけのある風味と大豆の香りが、初めての体験だった。


見慣れない味噌の風味に、戸惑いが隠せない。

旅館でも、アンナは特別食を用意してもらっていたから、初めての体験だった。


だが、向かいに座る杏子がにこっと笑い、

「Onko hyvää?(おいしい?)」と囁くように声をかけると、

アンナはぎゅっと唇を結び、こくんと頷いた。


「……Hyvää!! (おいしい!)」

無理やりでもなく、精一杯の笑顔で。


次に玉子焼き。

ひと口かじった瞬間、アンナの目が丸くなる。

「"Yummy! Sweet! I love it!"

思わず英語が飛び出す。ソフィアが通訳するまでもないと、笑う。

祖父母も目を細める。いつもの料理、とは言われていたが、アンナに向けて、少し甘めに作っていたのだった。皿に身を乗り出して、「もっと、もっと!」と杏子の袖を引っ張る。


アンナはその後も、慣れないながらも箸を動かし、

白米をひと粒も残さず食べきった。


「すごいなぁ、アンナ。日本の子と変わらんくらいだ」

祖父が目を細めると、アンナは胸を張り、杏子の隣で得意げに笑う。

煮物をつつく祖父も、「これは世界一の食卓じゃ」とご満悦。

ソフィアは、妹と杏子のやりとりを眺めながら、目尻を下げて微笑んでいた。


用意されていたスパゲティとマッシュポテトは、結局手をつけられることはなかった。

翌日の祖父母の昼食になる予定だ。


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