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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
289/432

第289話 幻の星座、一夜の戦い

「ただいまー」


その声が響いた瞬間、静まり返っていた家に、ぱっと明かりが灯ったかのような温かい空気が広がった。

「おかえりなさい、杏子ちゃん」

台所から顔を出した祖母が、にこやかに迎える。対照的に、リビングのソファに陣取る祖父は、分厚い新聞を広げたまま、顔も上げようとしない。その、あからさまに素っ気ないふりをしている横顔に、杏子はくすりと笑った。


リビングに入り、改めてその大きな背中に声をかける。

「おじいちゃん、ただいま」

「……お、おお。ぱみゅ子か。帰りおったか。どうじゃった、旅行は。楽しかったかい?」

新聞から顔を上げた祖父は、さも今気づいた、と言わんばかりの表情だ。

「うん。すごく楽しかったよ。そういえば、昨日、栞代と真映と楓が来たんでしょう? どうだった?」

「ふん。もう、喧しくてかなわんかったわ。せっかくぱみゅ子が居らんのじゃから、静かにゆっくりしようと思っとったのに、すっかり予定が狂ってしもうたわい」

「そっかあ。でも、みんな、すごく楽しかったって言ってたけどなあ」

「ま、まあ……ほんの少しは、楽しかったかもしれんのう」

口ではそう言いながらも、その目尻は隠しきれないほどに下がっている。


「じゃあ、着替えてくるから、みんなでお土産食べようね」

「おお。ゆっくりでええぞ、ぱみゅ子。わしも、ここでのんびりしたいんでな」


(今の今まで、『ぱみゅ子はまだか』『連絡はまだ来んのか』と、部屋の中を熊よろしくうろうろしていたくせに……)

その妙な見栄っ張りな姿を、台所の祖母も、リビングに戻ってきた両親も、微笑ましく見守っていた。


「うん、わかったよ、おじいちゃん」

杏子は、そんな祖父の心を分かった上で、いつものように静かに受け流す。

「あ、おじいちゃん」

「なんじゃ、ぱみゅ子。やはり、わしに会えて嬉しいんじゃのう」

嬉しそうに身を乗り出す祖父に、杏子は、悪戯っぽく笑いかけた。

「その新聞、逆さまだよ」

「えっ!?」

慌てて新聞の上下を確認する祖父。

「……ウソだよ」

「う、うぬぬ……!」

その、あまりにも平和で、見慣れたやりとりに、部屋中が温かい笑いに包まれた。


夕食の準備が始まると、自然と、女組と男組に分かれた。

杏子と母、そして祖母が立つ台所からは、楽しげな話し声と、とん、とん、とリズミカルに野菜を刻む音が聞こえてくる。一方、リビングで待つ父と祖父の男組は、テレビの音だけが響く、静かな時間を過ごしていた。


「おじいちゃんも、お父さんも、何か話したらどう?」

ひょっこりと顔を出した杏子がツッコミを入れるが、二人は「あ、ああ」「うむ」とだけ言って、また黙り込んでしまう。

(親子なのに、いまさら照れてるのかなあ)

その不器用な沈黙もまた、この家族の形なのだと、杏子は不思議な気持ちで眺めていた。


やがて、食卓には五人分の料理が並んだ。それは、この家に一年のうち数日しか現れない、幻の星座のようだった。旅行先での出来事や、昨日、栞代たちが巻き起こした小さな嵐の話で、食卓は大いに盛り上がった。


食事が終わり、両親がそろそろ仕事先へ戻る準備を始めると、杏子の表情に、ふと寂しさの影が差したのを、祖父は見逃さなかった。

「よし!」

祖父は、テーブルをバンと叩いた。

「それでは、我が家の伝統に則り、これより大富豪大会を開催する! なんせ、五人でやるのが一番楽しいからのう!」

「いや、父さん、もうそんな時間ないよ」

父が呆れたように言うが、祖父は聞かない。

「許さんっ! このわしに勝ってからでなければ、この家から一歩も出すわけにはいかん!」

それは、孫娘の寂しさを少しでも紛らわせようとする、彼の不器用で、最大の愛情表現だった。


かくして始まった、家族対抗戦。

相変わらず、祖父の強さは圧倒的だった。対抗できているのは、時折鋭い手を見せる母くらい。父も祖母も、そして杏子も、勝敗よりも、この賑やかな時間を楽しんでいるようだった。


「これじゃあ、本当に帰れないな」

父が困った顔をすると、隣の母が、何やらその耳元で囁いた。その瞬間から、ゲームの流れが少しずつ変わり始める。父が、母を勝たせるために、巧みにアシストを始めたのだ。


「ふっふっふ。どうやら、夫婦で協力して、このわしを玉座から引きずり下ろそうと画策しておるようじゃな。じゃが、このわしには、そんな小細工は全てお見通しじゃ! やれるものなら、やってみい!」

強がる祖父だったが、その表情には、いつもの余裕はない。カードの強さだけでなく、会話や表情、視線の全てを駆使して、必死に王座を守ろうとしている。

その姿に、杏子は笑いながらも、言った。

「お父さんとお母さん、協力してるの? なんだかずるーい! わたし、おじいちゃんに協力しよっと!」

しかし、カード交換のたびに「うーん、どれがいいかなあ」と真剣に悩んでいるような杏子は、残念ながら、強力な援軍にはなり得なかった。


そんな三者の高度な(?)心理戦を、祖母だけは、我関せずと、ただマイペースにカードを切っていた。


そして、その時が訪れた。

いつしか、母と祖父の対決になっている。誰もが固唾を呑んで見守る中、祖母が、何の気なしに、一枚のカードを場に置いた。その一枚が、祖父の戦略を、偶然にも、完璧に打ち破った。

「あっ」


思ってもみなかった方向からの攻撃に、祖父は完全にペースを狂わされ、あっけなくトップの座から転がり落ちた。

「な、なんでじゃあ……! おばあちゃん、なんでわしを止めるんじゃ!」

「え? 何があったの?」

結果的に、身を挺して夫を止めた張本人は、自分が何をしたのか、全く気づいていないようだった。


「あーあ。おじいちゃん、負けちゃったね」

「す、すまん、ぱみゅ子……。全ては、おばあちゃんのせ……いや、しかし、これもまた勝負じゃ」

「うん。考えたら、トランプって、そういうものだよね」

杏子は、妙に納得したように頷いた。


ゲームが終わり、祭りの後のような、少しだけ寂しい空気が流れる。

「お父さん、お母さん、またね」

杏子は、寂しさを胸の奥にしまい込み、精一杯の明るい笑顔で二人を送り出した。


「おじいちゃんとおばあちゃんを、よろしくな。何かあったら、すぐに連絡するんだぞ。すぐに帰ってくるから」

二人はそう言い残して、夜の闇へと出発していった。


今の時代、いつでも顔を見て話すことができる。連絡だって、こまめに取れる。

それでも、すぐそばに居ないという事実は、やはり、少しだけ寂しい。

けれど、これも、自分が望んだことなのだ。


おばあちゃんと同じ高校に行きたい。

おばあちゃんと同じ弓をしたい。

そして、おばあちゃんが届かなかった金メダルを、おばあちゃんにプレゼントしたい。


部屋に戻り、一人、窓の外の暗闇を見つめながら、杏子は改めて思う。

祖父母と暮らし、祖母と同じ弓道場で、仲間たちと共に、自分の全てを弓道に捧げる。それは、両親と離れるこの寂しさと引き換えにしてでも、彼女自身が選び取った、かけがえのない時間。


高校生活、最後の一年がはじまった。

その一日一日を、一射一射を、大切にしよう。

杏子は、夜空に向かって、静かに、そして強く、心に誓うのだった。

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