第287話 太陽のいない日の惑星たち
そうして話が一段落した頃、栞代がすっくと立ち上がった。
「よし。それじゃあ、おじいちゃん。オレが、デートしてやるよ」
「は?」
「ちょっと出掛けるぞ。用意してきな」
「な、なんじゃ、いきなり」
「いいから、いいから」
栞代はそう言って、有無を言わさず祖父に着替えてくるよう促した。
祖父が部屋に行ったのを見計らい、栞代は、祖母に向き直って、にこりと笑った。
「おばあちゃん。真映と楓はここに置いていきますから、草むしりでも、トイレ掃除でも、肩たたきでも、杏子の代わりだと思って、遠慮なくこき使ってやってください」
楓が続く。
「一番大変で、イヤなことを手伝わせてくださいね、おばあさまっ!」
その悪戯っぽい笑顔に、真映は一瞬、びびった顔をしたが、祖母は穏やかに微笑んだ。
「まあ、この家で一番大変なのは、おじいちゃんの相手をすることなのよねぇ」
その一言で、真映の顔も、ぱっと笑顔に転じ、栞代と楓は、顔を見合わせ、笑いを堪えていた。
栞代が祖父を連れて向かったのは、近所のショッピングモールだった。買い物かごには、新鮮な野菜や肉が次々と入れられていく。
「ほう。好きなものをおばあちゃんに作ってもらおうという算段か。栞代も、なかなか策士じゃのう」
「何言ってんだよ。これは全部、おばあちゃんの好物。ちゃんと杏子にリサーチ済みなんだ」
「ほう。好きなものの材料を買い物するのか。それはそれで、良いアイデアじゃのう」
「だから、何言ってんだよ。これ、おじいちゃんが作るんだよ」
「は、はあ?」
「安心しろって。オレも、楓も手伝うからさ。……まあ、真映は、あまり期待できないけどな」
栞代はそう言って、からりと笑った。やや意気消沈した祖父だったが、「二人でこうして買い物してると、まるで新婚の夫婦に見えるかのう?」とすかさず立ち直ったことを言っては、栞代に「見えるわけねーだろっ!」と、いつも通り元気なツッコミを返されていた。
「ぱみゅ子となら、見えるんじゃけどのう?」
「んなわけねーだろ」
楽しい雰囲気は、新婚顔負けだ。
その頃、家では、真映が「さあ、何からお手伝いしましょうか!」と腕まくりをしていた。
「いいのよ、ゆっくりしてて。あなたたちも、お家でのお手伝いから逃れてきたんでしょう?」
祖母の優しい言葉に、真映は慌てて首を横に振る。
「いえ! ここでゆっくりお菓子でも食べたいのは、やまやまなんですが、そうすると後できっちりと栞代先輩にヤキを入れられますから!」
「え? 栞代ちゃんって、そんなに怖いの?」
「部長が天使のように優しすぎる分、栞代先輩は鬼のように怖いんですっ!」
真映がいかにも、という顔で大げさに言う。
「そんなことないです、おばあ様。栞代先輩も、すごく優しいです」
楓の真剣なフォローに、祖母は微笑ましそうに目を細めた。
結局、三人は水屋の整理整頓を手伝うことになった。そこで、真映と楓は、この家の歴史の一端に触れることになる。祖母が、若い頃に陶芸に興味を持ち、自分で作ったという器の数々。今、祖父と杏子が毎日使っているご飯茶碗も、その時の作品なのだと。自分たちが何気なく目にしていた食器に、そんな温かい物語が練り込まれていたことを知り、二人はいつになく、神妙な気持ちになっていた。
そうしているうちに、栞代が祖父を連れて戻ってきた。
「さあ、夕食の準備を始めるぞ!」
栞代の号令一下、四人はキッチンに立つ。
「栞代先輩、意外と家事、手際いいんですね」
「ふっふっふ。実はオレ、何でもできるんだぜ」
軽口を叩きながらも、その手つきは確かだった。
「わしは、応援係でもええかのう?」と逃げ腰の祖父を、なだめすかしながら動かすのも、栞代の役目だ。楓は、言われた通りにもくもくと材料を切り、味付けの最終確認は、祖父が行う。
手伝おうとする祖母を、「今日くらいは、ゆっくり休んでてください」と栞代が制すると、それを見た真映が、「わたしが、おばあ様のお話相手になってますっ!」と言って、エプロン姿のまま、ちゃっかりと椅子に座ってしまった。
(まあ、いっか)
栞代は小さく呟き、料理の手は休めなかった。
食卓には、見事に、祖母の好物ばかりが並んだ。
「……まあ。すごいわ。ありがとう、みんな。すごく、美味しい」
祖母は、心から嬉しそうに、そう言った。
「今度、わたしに、お料理を教えてくださいっ」
楓が懸命に言うと、祖母は「ええ、いつでも」と優しく応える。
「でも、これなら、ソフィアさんのところに行ったほうが、絶対に楽だったなあ」
真映がぼそりと呟いた。
「ほう? それはどういうことじゃ?」
祖父が不思議そうな顔をする。
「いや、ソフィアさんのところも、今ソフィアさんが旅行中で寂しいだろうからって、紬さんとあかねさんとまゆさんが、遊びに行ってるんですよ。向こうは、みんなでお菓子作り、って言ってましたから。苦手な料理よりは、そっちのほうが良かったなあって」
「おまえは、どっちにしろ何も手伝う気ないだろっ!」
栞代の鋭いツッコミが飛ぶ。
「ほらーっ! おばあ様ーっ! 栞代先輩、こわーい!」
真映は、さっと祖母の背中に隠れた。
その光景を見て、食卓は、温かい笑いに包まれた。
太陽がいなくても、惑星たちは、互いに光を照らし合い、そして、変わらぬ愛情でそこにある恒星の周りを、確かに巡っていた。杏子がいない、杏子を育てたリビングは、その日、一日中、幸せな光で満たされていた。




