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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
285/432

第285話 初射会 つづき

大きな拍手と共に、年明け最初の緊張感が、ふわりと解けていった。初射会は、ひとり一射。部員たちは、張りつめた空気の中で順番に矢を放ち、的を射抜く乾いた音と、惜しくも外れる悔しい音が、交互に道場に響き渡った。


ここ一番で、驚くような集中力を見せてくるのが、今の光田高校弓道部の強さだった。しかし、ただ一人、真映の放った矢は、的の縁を惜しくもかすめ、安土へと吸い込まれていった。彼女は努めて平気な顔で、「まあまあ、こんな日もあるっしょ!」と両手を広げておどけていたが、杏子は、すれ違いざま、その耳元にだけ聞こえるように、小さな声で囁いた。

「すごく、惜しかったね。今日の姿勢、今までで一番綺麗だったよ」


その瞬間、真映の胸の奥に、じわりと熱いものが広がった。ちゃんと見ていてくれる人がいる──その揺るぎない事実が、どんな慰めの言葉よりも、心に深く、そして温かく刺さった。

道場の隅で、一華は静かにその光景を見ていた。何も言わない。ただ心の中で、(そう。データの上でも、真映の射癖は大幅に改善されている。的中率も、ここ一ヶ月で急激に上昇中だ)と、冷静に頷くだけだ。数字は嘘をつかない。それがマネージャーとしての彼女の仕事であり、誇りでもあった。今年の目標は決まってる。杏子部長の、あの完璧な姿勢チェックを、感覚ではなく数値に落とし込むこと。新しく導入される撮影機器で、彼女の全てをデータ化してみせる。


やがて全員が射を終え、男女両部長による新年の目標も示された。道場に、拓哉コーチの朗らかな声が響き渡る。

「よし、今年も始まったな。じゃあ──雑煮、できてるぞ。遠慮するなよ!」


その合図で、部員たちは控室へと雪崩れ込んだ。そこには、大きな寸胴鍋から、湯気と共に鰹出汁のいい香りが立ち上っていた。焼いた角餅の香ばしさが混ざり合い、冬の冷たい空気を柔らかく満たしていく。滝本顧問の指導のもと、一華も手伝って仕上げられたというその雑煮は、どこか懐かしい、家庭の温かさを感じさせた。


「コーチは、もちろん見てただけですよね?」

誰かが尋ねるより早く、真映がすかさずツッコミを入れる。

「絶対、何もしてませんよね!」

道場がどっと笑いに包まれる中、拓哉コーチは悪びれもせずに肩をすくめた。

「俺は、応援係だ」

(……おじいちゃんと同じこと言ってる)

杏子は、みんなの笑い声の中で、一人静かに思った。


しかし、着慣れない晴れ着に身を包んだ女子部員たちは、雑煮を食べる手つきもどこかぎこちない。

「あ、袖が……! こぼさないようにしないと」

「帯がきつくて、あんまり入らないかも……」

そんな可愛らしい悲鳴があちこちから漏れ、お椀を持つ仕草さえ、どこか慎ましく見えた。


それに比べて──持ち寄ったお菓子の前では、彼女たちは別人になった。

テーブルに並べられた甘味の山を前に、全員の瞳がキラキラと輝き、「遠慮」という言葉は、遥か彼方へと飛んでいったようだった。


杏子は、祖父が「ぱみゅ子の後輩たちに」と、またしても買いすぎてしまったみかんを、文字通り山のように持参していた。

「……これ、どうやっても減る気がせえへんな」

あかねが苦笑しながらも、その手は止まらない。そのあかねと、隣に座るまゆが差し出したのは、紅白の美しい練り切りだった。

「見た目重視や! 可愛いやろ!」と胸を張るあかねに、「柔らかいから、みんな食べやすいと思って」と、まゆが優しく微笑む。二人の息は、いつもぴったりだった。


栞代の前には、杏子の祖母が「栞代ちゃんに」と、昨夜のうちに用意してくれていた手作りのパウンドケーキが置かれている。家庭の事情を知っていて、何も用意できない自分のことを、さりげなく支えてくれる──その温かさに、彼女は言葉にできない感謝を覚えながら、一切れを大切そうに口に運んだ。


紬が持参したのは、素朴な干し柿だった。

「少し、地味すぎたかな、と思ったけど」

「ううん、これが一番落ち着く。美味しい」

杏子がそう言って微笑むと、紬の頬が少しだけ赤らんだ。(そういえば、おじいちゃんも干し柿が好きだったな。少し、持って帰ってあげようかな)と杏子は思う。


一年生組も負けてはいない。

真映は「これが一番確実で、一番みんなが好きなやつです!」と、ドヤ顔でコンビニのプレミアムシュークリームを並べる。その黄金色の山に、ひときわ大きな歓声が上がった。

楓は、少し緊張した面持ちで、手作りのクッキーの包みを開いた。

「杏子先輩のおばあ様のケーキを真似てみたんですけど……その、あまり自信は……」

一口食べた杏子は、にっこりと目を細める。

「すごく美味しいよ。優しい味がする。今度、うちで一緒に作ろうか」

その一言で、楓の頬は一気に紅く染まり、クッキーの甘さよりもずっと甘い幸福感が、胸いっぱいに広がった。


そして、つばめは、丁寧に包まれたアルミホイルをほどき、ほかほかと湯気の立つ焼き芋を差し出した。

「杏子先輩、焼き芋が好きだって……姉さんから、聞いたので」

その言葉に、杏子は思わず笑みをこぼす。

「……つぐみ~。余計なことまで妹に吹き込んで……!」

照れくさそうに頬をかきながらも、その表情はどこか嬉しそうで、場にはまた、やわらかい笑いが広がった。


食べる音、笑い声、着物の裾が擦れる、かすかな音。その全てが、新年最初の温かい記憶として、道場の古い柱や畳に、優しく刻み込まれていくようだった。


雑煮の椀を片付けながら、一華は、ほっと胸を撫でおろしていた。普段は記録や道具の管理に徹する自分が、こうして調理に加わるのは珍しい。けれど、滝本顧問に包丁の握り方から教わり、飾り切りの人参に挑戦した時間は、思っていた以上に楽しかった。「一華さん、すごく器用なのね」と褒められた時の、胸の奥のくすぐったさが、まだ残っている。


そんな感傷に浸っていると、真映がシュークリームを頬張りながら大声で叫んだ。

「いやぁ~、やっぱり正月は甘いもんに限りますね!」

「お前は、正月じゃなくてもいつでもやろ」

あかねが即座に突っ込み、周囲はまた笑いの渦に包まれる。


一華は、少し離れた場所から、その光景を静かに見渡していた。楓のクッキーを励ますように食べ、紬や栞代の不器用な笑みをやわらかく受け止め、真映の暴走を笑顔で見守っている──どんな場面にも、その中心には、必ず部長としての杏子の姿があった。

(……やはり、この弓道部は、杏子部長がいてこそ、成り立っているな)

胸の奥で静かにそう呟きながら、一華は筆記用具を手に取り、今日の記録をまとめ始めた。


「一華ちゃんも、ちゃんと食べなさいよ」

まるで、自分の祖母のような優しい調子で、滝本顧問が声をかけてくれた。

「はい……でも、記録も、残しておきたくて」

「真面目なのねぇ。でもね、あなたみたいに、見えないところで頑張ってくれる人が、一番大事なのよ」

その言葉に、一華の胸は、じんわりと温かくなった。


やがて、拓哉コーチがゆっくりと腰を上げた。

「よし。そろそろ片付けようか。このままだと、食べすぎて走りたくなってくるやつが出てきそうだ」

「いやいやいや、絶対に走りませんから!」

真映が全力で否定し、またしても大きな笑い声が広がった。


冬らしい、澄み切った夕暮れだった。

西の空は薄紫に染まり、道場の外には、新しい一年が静かに待っている。

その時、杏子がすっと立ち上がり、皆を見渡した。

「みんな。今年も、よろしくお願いします」

その声は、凛としていながらも優しく、部屋の空気を一瞬で、しかし心地よく引き締めた。


あかねが、笑ってその肩を叩く。

「こら部長、そんなに改まると、こっちが緊張するやんか」

「でも……こうして、みんなで新しい年を迎えられるのは……ほんとうに、嬉しいから」

杏子のその言葉に、誰もが、静かに頷いた。


(前部長の冴子先輩、沙月さん、瑠月さん、素敵な先輩方が、この部の土台を作ってくれた。でも、杏子。お前が、この弓道部を本当に変えて、ここまで支えてきたんだ)

栞代は、親友の横顔を見つめながら、改めて、そう思った。


それぞれが、新しい年に新しい想いを抱きながら、笑い合い、残った菓子をつまむ。道場は、最後まで、温かい光と、甘い匂いと、そして仲間たちの笑顔に包まれていた。その全てが、新しい一年を迎えるための、最高の前祝いとして、皆の心に深く、深く刻まれた。

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