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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
283/433

第283話 初詣

元旦の朝。世界から全ての音が消え去ったかのように静かで、空気は硝子細工のように澄み切っていた。障子を開けると、真っ白な息が陽光にきらめいて、すうっと空に溶けていく。

杏子は、リビングでそわそわと自分の指先を見つめていた。今日は、初射会。一年で最初の矢を放つ、弓引きにとっては何よりも大切な日。


去年の今頃は、こんな晴れやかな気持ちで新年を迎えられるなんて、思いもしなかった。祖父が倒れ、家族全員が不安の霧の中にいた。弓道どころか、笑うことさえ忘れてしまいそうだったあの日々。それに比べれば、今年のこの穏やかさは、まるで奇跡のようだった。


鏡に映る自分の姿を見つめながら、杏子はふと、この慣れない装いのきっかけを思い出していた。

初射会の開催が決まった日、いつものように真映が悪戯っぽく笑って言ったのだ。

「ねえ、部長! 年に一度の特別な日なんですから、いつもの弓道着じゃなくて、みんなで着物を着て、拓哉コーチをびっくりさせちゃいましょうよ!」

その一言は、あっという間に皆の心に火をつけた。普段は厳しい稽古に明け暮れる彼女たちも、やはり年頃の女の子だ。気づけば、その楽しげな提案は、全員一致で可決されていた。


ただ一人、栞代だけが、少し寂しそうに眉を下げていたのを、杏子は見逃さなかった。

「……オレ、そういう時に着ていくような着物なんて、一枚もないぜ」

「多分、大丈夫。まかせて」

いつもとは立場が逆になったように、杏子が力強く栞代に告げていた。


その夜、杏子が祖母に相談すると、祖母は皺の刻まれた目元を優しく細め、にっこりと笑って言った。

「あら、それなら心配いらないわ。杏子ちゃんのお母さんが、あなたの年頃に着ていた着物があるのよ。背丈も、今の栞代ちゃんとそっくりだから、きっとよく似合うはず」

電話越しの母も、「あの子が着てくれるなら、箪笥で眠っている着物も喜ぶわ。そのまま持って帰ってもいいわよ」と、快く了承してくれた。


そして、まだ朝の光が斜めに畳を照らす時間に、栞代は杏子の家を訪れた。

「あけましておめでとうございます」

凛とした挨拶も早々に、居間に敷かれた座布団の上で、祖母による着付けが始まる。古い桐箪笥から取り出された深い藍色の小紋は、ほのかに樟脳しょうのうの香りを放ち、眠りから覚めたばかりのように、しっとりとした空気を纏っていた。


「少しきゅうくつに感じるかもしれないけど、すぐに慣れるわよ」

祖母の優しい声と共に、帯がきゅっと締め上げられる。襟元がすっと整えられ、背筋が自然としゃんと伸びる。鏡に映る、いつもとは全く違う自分の姿に、栞代は照れくさそうに笑った。


一方、杏子もまた、祖母が若い頃に着ていたという晴れ着に袖を通していた。祝いの席にふさわしい、深紅の地に可憐な小花模様が散らされた、華やかな一枚。驚くほど祖母と体型が似ているせいで、その着物は、まるで杏子のためにあつらえられたかのように、寸分の狂いもなく身体に馴染んでいる。鏡の中の自分は、少しだけ大人びて、知らない誰かのようにも見えた。その感覚が、なんだかとても、くすぐったい。


「杏子……すっごい、似合ってる……」

栞代が、素直に感嘆の声をあげる。

「栞代も! 本当に、まるで自分の着物みたいだよ」

二人は顔を見合わせ、はにかむように笑い合った。


「おう、馬子(まご)にも衣装とは良く言ったもんじゃのう」

祖父がにやにやしながら二人を見ている。

「おじいちゃん、その言葉はあんまり使わない方がいいよ」

「どうしてじゃ?」

「その『まご』って言葉、孫じゃないんだよ」

「あり。てっきりぱみゅ子は何を着ても似合うって意味だと思ってたわい」


やがて、まだ慣れない草履の足取りで、二人は近所の小さな神社へと向かった。石畳は朝の冷気を含み、参道の草木は白く霜をまとっている。着物の裾を少しだけ持ち上げて歩くと、からん、ころん、と草履の歯が石を叩く音が、澄み切った新年の空気に心地よく響き渡った。


境内では、すでに弓道部の仲間たちが集まっていた。普段の道着姿とは全く違う、色とりどりの華やかな装いに、あちこちで歓声が上がる。

「杏子部長、すごい……! まるで、映画の主人公みたいです!」

楓が、瞳をきらきらさせて駆け寄ってくる。

「あの、一緒に写真撮ってもらっていいですか?」


「栞代先輩も、めっちゃ綺麗! まるでおしとやかな大和撫子やないですか! ……まあ、中身は全然違うけど!」

真映の、褒めているのかからかっているのか分からない言葉に、栞代は「ひとこと余計なんだよっ」と照れ隠しに腕を組んだ。


まゆもとても綺麗だ。それに。

車椅子のハンドリムには、金と銀の水引きが美しく巻かれていた。背もたれには小さな門松の造花がクリップで留められ、車輪のスポークには折り紙で折った小さな鶴がいくつも揺れている。控えめながらも心のこもった装飾が、新年への希望を静かに物語っていた。


「へへへっ。結構綺麗だろ?」

あかねが鼻高々だ。「今度はわたしにも教えてね。一緒に飾りつけしたいよ」杏子が、少しむくれながら、まゆの手を握った。


「ぶちょおおお~~~。そういうのは全員でしないとぉ~」真映も口を尖らせる。


一同は、二拝二拍手一拝の作法で手を合わせ、静かに新年の誓いを立てる。それぞれの胸の内に秘めた願いは、言葉にしなくとも、ただ一つ。


記念にと、写真を撮る手が止まらなかった。


初詣を済ませ、清々しい気持ちで神社を後にする。次に向かうは、彼女たちの聖地、光田高校の弓道場。冬の柔らかな陽光が、希望に満ちた彼女たちの晴れ着姿を、優しく照らし出していた。


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