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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
275/433

第275話 親善試合

冬の澄んだ空気は、試合の熱を吸い込んで、まだほんのりと温もりを残していた。その静寂を破るように、川嶋女子の香坂監督の静かな声が場内に響き渡る。


「以上をもちまして、本日の親善試合は、両校同点、引き分けといたします」


その瞬間、川嶋女子の陣営から、抑えきれない不満のざわめきが広がった。

「え……」「嘘でしょ……」「勝負は、まだついてないじゃないですか!」


その声の中心にいたのは、一年生ながらAチームに名を連ねる逸材、西園千景だった。小柄な身体とは不釣り合いな、猛禽のように鋭い瞳が、まっすぐに監督を射抜く。彼女は、勢いよく手を挙げた。


「監督! 決着をつけさせてください! 相手が全国準優勝校だって、我が校が負けるはずがありません! これは、夏の借りを返す絶好の機会なんです!」


香坂監督が、やんわりと宥めようとする。だが、西園の闘志は収まらない。

「こっちは逃げるつもりなんてないのに、引き分けなんて……! まるで、勝負から“逃げられた”みたいじゃないですか! ここは、私たちのホームですよ!」


その挑発的な一言に、光田高校の何人かの肩が、ぴくりと反応した。

そして、その中でも一番早く火がついたのは──もちろん、朔晦(たちごり)真映だった。


「はぁあぁ~? ちょい待てやぁ〜、今なん言うたん? 誰が逃げた言うんや? うちらが逃げる訳ないじゃん!」


一気にボルテージは上がり、その声には怒りが満ちていた。川嶋女子の一年生も、一歩も引かずに食い下がる。

「でも実際、勝負は終わっていません。なら、最後までやるべきです!」

「なんやそれ、“挑発したらお前ら絶対乗ってくる”っちゅう、そない浅ぁ〜い作戦かいな!」

真映が指を突きつけると、相手はふんと鼻で笑った。

「現に乗ってきてるじゃないですか」

「ぐぬぬぬっ……!」


真映はぐっと言葉に詰まり、悔しそうに唇を噛んだ。横で楓が「真映ちゃん、落ち着いて……」と心配そうに袖を引くが、彼女は完全に戦闘態勢に入っている。


「ええで、ほなやったろやないか! こっちにはウルトラ…う、宇宙…杏子部長がおるん、知らんのかいっ!」


「おい真映、興奮するなって」

拓哉コーチが慌てて制止するが、もう遅い。両校の熱気は、完全に火花を散らすまでに燃え上がっていた。

「霞先輩! やっちゃってください!」

「部長! 見せつけてやりましょうよ!」

それぞれの主将に、応援の声が飛ぶ。


その喧騒の中心で、拓哉コーチと香坂監督は、静かに視線を交わした。二人は苦笑しつつ、ほんの数歩だけその場を離れ、小声で打ち合わせを始める。二人の周りだけが台風の目のように静かで、その外側では両校の選手たちの熱意が渦を巻いていた。


「……このままでは、収まりがつきませんね」

「ええ。親善試合どころか、火に油を注いでしまいました」

「では、こうしましょう。彼女たちの希望を汲んで、代表を一人ずつ出し、それで決着をつける」

「それがいいですね。互いに面子も立つ」


二人が戻ると、香坂監督がパンと手を打ち、声を張り上げた。

「では──両校の希望に応え、代表者を一人ずつ出して、これで決着をつけます!」


地鳴りのような歓声が、冬空に響き渡った。

川嶋女子から、静かな闘志を瞳に宿した前田霞が選ばれる。

そして、光田高校は──拓哉コーチが杏子を指名した瞬間、真映は天を衝くようにガッツポーズをした。


「よっしゃああああ! 部長、遠慮なんかいらんでぇ! 本気本気、見したれやぁああ!」

「真映ちゃんが、一番楽しそうにしてるね」

楓が呆れたように言う。


その場の空気は、もう完全に“親善”という名の優しい衣を脱ぎ捨てていた。

だが──誰も、それを悪いことだとは思っていなかった。それは憎しみ合うような殺伐としたものではない。最高の好敵手との、心からの歓喜の咆哮だったのだから。


冬の空は、雲ひとつない青の奥で凍えるほどに澄み渡っていた。


両校の部員たちは、静かな闘技場(コロッセオ)の観客のように半円を描き、息を殺して中央の二人を見つめている。誰一人として、立ち上がる気配も、声を出す者もいない。張り詰めた静寂の中、真映だけが口を半開きにしたまま、「うわー……」と感嘆なのか緊張なのか判別不能な声を漏らしたが、隣の楓に強く袖を引かれ、はっと口をつぐんだ。


誰もが固唾を呑むこの場面で、光田の一華は冷静に二人を観測し、思考していた。

(うちの部長は外さない。ならば、結果は勝ちか、引き分け。あなたのお手並み、拝見させていただきましょう)

そして、川嶋の西園千景もまた、全く同じことを思っていた。


吐く息は白く、的の向こうに立つ前田霞の背筋は、剃刀のように鋭く、微塵も揺るがない。対する杏子は、皆に担ぎ出されたのがまだ信じられないといった様子で、困りきった顔のまま、おずおずと射位へと歩みを進めていた。その足取りは少し震え、いかにも頼りなげに見える。


「あれがほんとに部長の杏子さん? 大丈夫か? 大会で圧倒してたのは影武者か?」

西園は、信じられないものを見るように目を丸くしていた。


だが、光田高校の部員たちは、誰一人として動じない。いつものことだ、とばかりに、静かにその変身の時を待っていた。


「では……始めます」

拓哉コーチの低く響く声が、冬の空気を震わせた。


一射目


杏子が、判を押したように正確な足踏みに入った、その瞬間。彼女を包む空気が一変した。深く息を吸い込み、肺の奥まで満たした冷気が、逆に意識を極限まで研ぎ澄ませていく。肩の力を抜き、矢を番え、静かに弓を引き分けていく――。的の中心と視線が重なった瞬間、世界の全ての音が消えた。


弦の震えが、冬空に小さな雷鳴を轟かせる。

放たれた矢は、見えない軌道に導かれるように一直線に走り、的の白を割り、ど真ん中へと突き刺さった。乾いた破裂音が、鼓膜に心地よく残る。


霞もまた、微動だにせず、寸分違わぬ場所を射抜いた。

観客席から拍手が響くが、両校の部員たちの瞳は、さらに鋭さを増して二人を見つめるだけだった。特に川嶋女子の、特に一年生は、西園は、初めて目の当たりにする杏子の姿に理解が追いついて居ないようだった。


二射目


空気の密度が、一段と増したように感じられる。

杏子の指先は冷え切っているはずなのに、矢を掴むその感覚だけは、不思議なほどに温かい。

霞が、矢を番える速度をほんのわずかに遅らせた。杏子の呼吸に干渉しようという、高度な心理戦だ。

杏子はその意図を肌で感じ取りながらも、自らの呼吸のリズムを一切乱すことなく、静かに弓を引き切った。

二本目──。再び中心を射抜く音が、ほとんど同時に、しかし確かに二度、道場に響き渡った。


三射目


小さな風が、射位を通り抜けていく。冬の日差しが少し傾き、的の中心を照らす角度が、先ほどとは微妙に変わっていた。

杏子は、無意識のうちに狙いをコンマ数ミリ修正する。

それを見た霞は、眉一つ動かさない。しかし、その口元だけが、ごく僅かに緩んだ。(……また、強くなっている)

二人の矢が放たれた瞬間、光が弦の軌跡をなぞったかのように見えた。

またしても両者、的中。


四射目


最後の矢を番える寸前、杏子の意識の片隅で、(おばあちゃん、見てるかなあ)という思考が、水面の泡のように、ふと浮かんで消えた。表情が一瞬優しく穏やかになったことは、祖母だけが見抜いた。

霞の呼吸も、観客の微かな衣擦れの音も、すべてが研ぎ澄まされた感覚の中に溶け込んでいる。

(これが、今の私の、すべて)

引き絞った弓が、冬の空に完璧な弧を描く。

澄み切った弦音が響き渡り、矢は、まるで最初からそこにあったかのように、的の中心へと吸い込まれた。

霞もまた、全く同じ瞬間、寸分の狂いもなく的を射抜いた。


静寂。

一瞬、世界から時間が消え去ったようだった。

やがて二人は、互いに矢を納め、静かに、そして深く一礼を交わす。その短い仕草の中に、「今のわたしの全て」という、言葉にならない確信と、互いへの最大限の敬意が宿っていた。

その瞬間、堰を切ったような大きな拍手が、二人を包み込んだ。


引き分け。

それでも、もう誰も不満の声は上げない。この勝負が、単なる勝ち負けという矮小な物差しでは測れない、至高の何かを観る者すべての心に残したからだ。


感極まった真映が、「やっぱ部長は……宇宙人。ウルトラマン……!」と涙声で呟き、隣で楓が同じように瞳を潤ませながら、「違います、天使です」と静かに反論する声だけが、どこまでも青い冬の空に、優しく溶けていった。




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