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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
272/432

第272話 逆襲






湯気の名残を纏ったまま、杏子がリビングに現れた。

肩まで下ろした髪はまだ半分濡れていて、柔らかな桜色のパジャマの袖口から、ほんのり火照った手がのぞいている。

その姿を見た瞬間、ソファに腰掛けていた楓の目が、まるで花火のようにぱあっと弾けた。


「……パジャマの杏子部長……!」

楓は口元を押さえ、瞳を潤ませて見上げる。

「これが…生きていてよかったと思える瞬間なんですね……」


「楓さ~ん、あんたさっき晩ごはんでも同じこと言ってなかった?」

隣の真映がすかさず突っ込む。

「ていうか、そのテンションで一晩もつの? 酸欠で倒れないでくださいよ」


杏子は苦笑しつつ、「もう…」と頬をかく。

祖母がそのやりとりを横目で見ながら、湯気の立つ急須を盆に載せてやって来た。


「お風呂上がりは体を冷やさないようにね。ほうじ茶にする? それともホットミルク?」

その声に、楓と真映が顔を見合わせる。


「私はほうじ茶で!」

「私もほうじ茶でお願いします!」

二人が同時に手を挙げると、真映がふいに思い出したように祖父の方を向き、真顔で言った。

「ていうかおじいちゃん、宇宙戦士はお茶じゃなくて宇宙食じゃないんですか?」


「誰が宇宙戦士じゃ!」

祖父の即ツッコミが、部屋の空気を弾けさせる。

楓がくすくす笑い、真映は「いや〜でもおじいちゃん、絶対そういう設定似合いますって」と余計な火種をまく。


その横で杏子は、何の迷いもなく「ミルクで」と答えていた。

祖母が「あら、いつも通りね」とほほ笑む。

楓はそれを聞いた瞬間、また心を撃ち抜かれたように胸に手を当て、声を震わせる。


「あの…やっぱり私も、ミルクでいいですか……?」

「え、さっきほうじ茶って――」

真映が半分あきれ顔を向けるが、祖母は優しくうなずき、「もちろんよ」と温めた牛乳を注いでくれる。


湯気と甘い匂いがふわりと立ちのぼり、冬の夜のリビングはさらに温もりを増していった。

真映はほうじ茶を啜りながら、「やっぱ宇宙戦士の燃料はミルクだったか…」と呟き、祖父にすかさず睨まれる。


このあと何かが始まる――

そんな予感だけが、ほのかに漂っていた。



-------------------------------

杏子は温かいミルクの入ったお揃いのマグカップを二つ、運んできた。一つを楓に渡し、横に腰を下ろした。手元の白いマグカップを両手で包み込んでいた。中には温かなホットミルク。湯気がほわりと立ちのぼり、乳脂のやわらかな香りが鼻先をくすぐる。


「楓、聞きたいこととかある? 不安なこととかある? いつでも聞いてね」

と静かに声をかける。


湯気の向こうから、杏子の優しい声が届く。楓は、その声だけで胸がいっぱいになってしまった。憧れの人が、すぐ隣にいる。自分と同じマグカップで、同じホットミルクを飲んでいる。その奇跡のような事実に、楓はただただ感激し、言葉を発することができない。杏子の顔を見ては、慌てて下を向き、けれどまたすぐに、盗み見るようにちらりと杏子に視線を送る。その繰り返しだけで、彼女の心は幸福の波に揺れる小舟のようだった。


その穏やかな空気を、テーブルの向かい側から突き破る声がした。

お茶をすすっていた祖父が、にやりと笑いながら、真映に向き直ったのだ。


「真映さん。さきほど車の中で、一度に二本の矢を引けば的中率が上がる、という画期的な提案があったじゃろ? これから最高200%じゃ」

「ええ! 我ながら、世紀の大発見、ナイスアイデアだと思います!」

胸を張る真映に、祖父は大きく頷いてみせた。

「うむ。まさしく、その通り。わしも、全面的に賛成じゃ」

「さすがおじい様! 分かってらっしゃる!」

真映は、自分の理論が認められたことに満面の笑みを浮かべる。祖父の力強い援護。しかし、それは、これから始まる壮大な独演会の、ほんの序曲に過ぎなかった。


「しかしじゃ」

祖父の顔から、すっと笑みが消え、険しい表情になる。

「今の日本の弓道界は、実に傲慢じゃ」

「?」

真映は、黙って次の言葉を待った。


「いいか。サッカーでも野球でも、近代スポーツというものは、明確なルールブックに従い、その中で死力を尽くして相手を打ち負かそうとする。しかし、弓道は違う。『自分との戦い』だとかぬかす。なるほど、それはその通りじゃろう。認める。

じゃが、それならなぜ、的中数を競うのだ? なぜ他人と競うのじゃっ。おかしいじゃないか。自分が敵だというのなら、どれだけ自分が成長したのか、そのことのみに注目すべきじゃ!」


「は、はあ……」

「結局は他人と競わせるくせに、『精神性が大事』『自分に打ち()てなどと、お為ごかしをぬかす。わしゃ、そういう弓道界の体質が、大嫌いなんじゃ」

「それなら一切競わさずに、審査だけしておればいいじゃないか。わしゃ、段位審査も審査で大嫌いじゃが、まだ、筋は通っておるっ。的中せずとも、段位は取れるという噂じゃしな。しかるにっ。なぜ他人と競う必要があるのかっっ。そこの整合性はどうなっておるのかっっ」


意外な展開に、真映の目が白黒する。


「だから、わしは、真映さんの画期的な『二本矢システム』におおいに賛同する。革命じゃ! 弓道界のゴルゴ13じゃっ。しかしじゃ。悲しいことに、今の弓道界では、その革命的な試みは、多分『失格』になって、道場から追放されて、『お前のかあちゃんデベソ』とか『あんぽんたん』とか『とんちんかん』などと、何も考えたこともない、戦わないやつらから心無い罵声を浴びせられることじゃろう!」


「は、はあ!?」

「なぜじゃ! わしもそう思う! いいか、わしはこの日のために、弓道競技規則を隅から隅まで読み込んだ! だが、どこにも『二本の矢を同時に引いてはならない』などとは、一言も書かれてはおらんのじゃっ!」


祖父は立ち上がり、テーブルをバンと叩いた。その熱量に、真映の肩がびくりと跳ねる。

「なぜ、規則で禁止されていないことをして、失格にならねばならんのじゃ! それこそ、弓道が欠陥競技であるという何よりの証明ではないか!」

「い、いいか、真映さん。確かに競技規則には、『人に向けて引いてはならない』という鉄則も、実は書かれておらん。これは、弓道がそもそも人を殺める武器たったことへの出自を忘れて隠蔽しようとする国家の陰謀じゃ。乗り越え、変貌し、今は立派なスポーツであることは誰もが認める。だからこそ、これはきちんと明記しなけりゃならんことじゃ」


「それが『常識』だというなら、二本の矢を引くことは? それも『常識』で禁じられているというのか? そもそもその常識とやらは誰が決める? 弓道に相応しくないなどというあやふやな基準を、誰が決めるのじゃっ。弓道界お偉さまか? お偉さまの寵愛さえ受ければ、なんでもありか?」


「そんなことでは、新たな技は未来永劫生まれん! 自分たちのうったてた「理想」とやらに、固執すればよいっ。なのにじゃっっ。なのにじゃぞっっ」

祖父のボルテージはますますあがる。真映はもう口を閉じることもできない。


「伝統だけが大事だと言いながら、連盟が認めた射型以外のものは審査対象にするなどと、言うこともコロコロ変わる! 弓道は日本古来、それぞれの土地、それぞれの人物が磨きをかけてきた。独自の射型も沢山あるのじゃっ。自分たちが決めたものが正統だと勝手に決め、他は異端と排除するっ。なんじゃそりゃ。競技だから、的に当てる以外、何があるのじゃっ」


「結局、弓道連盟というのは、自分たちの決めたルールに逆らうやつは許さん、という独裁者の集まりに他ならんのじゃ!」


真映の目は、もう完全に泳いでいた。いや、そんな、めっちゃ本気で怒らなくても。わたし、そんなこと、ちっとも思ってもないし……。


「確かに、二本を同時に引いて、狙ったところに的中させるのは至難の技であろう。しかし、そういった無謀な挑戦の果てにこそ、新しい道は拓かれるのじゃ! 革命とは、そういうことなんじゃ! それを、最初から頭ごなしに拒否するとは何事か! 高校弓児(きゅうじ)たちを、全員自分たちの思い通りに動かさん限り、気が済まんのか、あのおいぼれどもは!」


「ぶ、ぶちょ〜……」

助けを求めるように、真映の涙目の視線が杏子へと向けられる。


「真映さん! わしは、君を支持するぞっ!」

しかし、祖父の熱弁は止まらない。


「日本高校弓道界には、今こそ革命が必要なんじゃ! それには、相当な修練が必要じゃろう! 妨害もあるじゃろうっ。数多の困難が、君の前に立ちはだかるであろう! しかし、真映さん! わしは君に協力する! 全力で応援するっ。だから絶対に諦めてはならん! 日本弓道界に、二本矢の真実を見せてやろうではないかっ!」


「ぶ、ぶちょぉぉぉ〜〜〜!」


真映の悲鳴にも似た声が、リビングに漏れた、その時だった。

杏子が、静かに立ち上がった。

「おじいちゃん」


いつものおっとりした声と違い、その凛とした声に、堰を切った濁流のように溢れ出ていた祖父の言葉が、ぴたりと止まる。

「真映、困ってるよ。もう、その辺にしてあげてね。明日は大事な納射会なんだから。おじいちゃんも、見に来てくれるんでしょ? さ、そろそろ寝よっ」


杏子がそう言って微笑むと、あれだけ燃え上がっていた祖父は、まるで魔法が解けたかのように、ふっと我に返った。

「……おお、そうじゃったな。」

杏子は、その返事を聞くが早いか、ふらふらになっている真映と、完全にフリーズしている楓を抱えて、二階へと上がっていった。


一人リビングに残されたおじいちゃんは、まだ熱弁の興奮が冷めやらないのか、顔が赤い。

「おーい、雅子ちゃん。悪いが、冷たいお茶を一杯、もらえんかのう……」

「目の前見てみてっ」


二階の客間で、真映はまだ魂が抜けたようにふらふらしていた。

「ぶ、部長……。おじい様って、いつも、ああなんですか……?」

杏子は、楽しそうにクスクスと笑いながら答えた。

「真映が、面白いおもちゃを見つけたみたいに挑発するからだよ」

「ええっ!?」

「さ、明日のために、早く寝ましょう」


その優しい微笑みは、この家の真の支配者が誰であるかを、雄弁に物語っていた。

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