第270話 宇宙人とウルトラマンと子守唄
夜の帳が下りつつある街を、杏子の祖父が運転する車は滑るように進んでいく。後部座席の窓からは、店の灯りや信号機が、尾を引きながら次々と後方へ走り去っていく。エンジンのかすかな唸りと、シートから伝わる心地よい振動が、移動式の小さな劇場のような空間を支配していた。そして、その舞台の主役は、もちろんこの人だった。
「いいですか、おじい様! わたし、杏子部長が的を外したのを、一度も見たことがありません! それは一体、なぜだと思われますか?」
助手席から、真映が満面の笑みで祖父に問いかける。後部座席の紬は、静かに前を見つめていた。その隣では、杏子が窓に頭をもたせかけている。
「さあな。多分、真映さんが練習中によそ見しとるからじゃないか?」
祖父の、からかうような返答。
「お、お、おじい様! し、し、失礼ですよっ! この、青春の真っ只中をひた走る、光り輝く花の女子高生を捕まえて!」
頬をぷうっと膨らませる真映が見える気がして、杏子と紬はクスクスと笑う。図星、と二人の心の声がぴったり重なった。
「そうじゃなくてですね! おじい様は、失礼ながら、全くもって大事なことが分かっていません!」
「ほう。どんなことじゃ?」
「今、ここにいるこの、平々凡々として取り立てて目立つこともない外見は、杏子部長の『世を忍ぶ仮の姿』なんです!」
「わしゃ、ぱみゅ子ほどかわいい子は見たことないけどのう」
「あ、いや、そういうことではなくて! 普通の人間の姿をしている、ということです!」
「なるほど。それで?」
真映は、ごくりと喉を鳴らし、芝居がかった仕草で胸に手を当てた。
「いいですか、おじいちゃんっ。ここで、おじいちゃんには大変ショックなことをお伝えしなければなりません。ほんとは、わたしもこんなことは言いたくないんです。でもこれは、世界平和のためなんです。どうか、お許しください」
「お……おう」
祖父の運転する手が、心なしか硬直する。
いつのまにか、おじい様がおじいちゃんになってる。
「おじいちゃん、杏子部長は、ほんとはおじいちゃんのお孫さんじゃないんですっ!」
「な、な、何を突然言い出すんじゃ! 正真正銘、ワシの孫じゃわいっ!」
「いえ、絶対に違います。なぜなら……部長は、地球人ではないからですっ!」
「は?」
ドロドロとした昼ドラのような展開を想像したのだろうか、祖父は全く違う方向からの主張に、完全に面食らっていた。
「部長は宇宙人なんです。これは、我が光田高校弓道部の部員、全員が認めている公然の秘密なんです」
「は、はあ……」
「あっ、ごめんなさい、おじいちゃん! わたしの表現が悪かったです。正しくは、部長は、宇宙人に乗っ取られているんです!」
「はあ?」
「考えてもみてください! どんな時でも揺らぐことのない、あの神がかり的な的中率! それに比べて、普段のあまりに幼稚な、いえ、幼い、うーんと、いたいけない……いえ、あまりに幼気ない無邪気な、純真無垢すぎる、ちゃんと成長しきれているのか心配になる、とても女子高生とは思えない言動!」
むちゃくちゃなことを言っているな、と紬は呆れる。だが、横目で見た杏子は、もうすでに真映の指摘した通りの、ぼんやりとした微睡みの世界に入っており、その言葉は全く頭に届いていないようだった。心地よい車の振動と、真映の熱弁が、彼女にとっては極上の子守唄になっているらしい。
「絶対に同一人物だとは思えません! 普段は、おばあ様の作ってくださったお弁当にいちいち感動して、一つ一つのおかずがいかに好きか、そんなどうでもいいことを熱心に伝えてくる幼稚園児と、あの的前に立った時の覇王のような部長が、同一人物だなんて! 世界中の誰も信じません!」
「わしゃ、思っとるけど」
「な、なんですって! じゃあ、おじいちゃんも宇宙人の仲間だったんですね!」
「う……。まあ、そこはそれでいいから、話を先に進めてくれ」
「でもまあ、おじいちゃん、安心してください。どうやら、部長に取り憑いている宇宙人は、地球人の敵ではないらしいですっ!」
「はあ」
「というか、まだ敵という証拠が見つかっていないだけかもしれません。現在、一華がその全勢力を傾けて、研究しております。一華の仮説では、部長は全部が宇宙人で、普段の姿は我々を油断させるための擬態、ということですが……」
一華なら、本当に研究しているかもしれないな、と紬は思った。全く自分の課題ではない話を、それでも興味深く聞き入ってしまう。できれば、この話の結末を聞くまでは、家に着かないでほしい。
「ですが! わたしは、人類を助ける天使として、別の仮説を立てました! 部長に取り憑いている宇宙人は、ウルトラマンなんです!」
「懐かしいものを知っとるのう」
「多分、昔のウルトラマンとは違って、変身アイテムは一つじゃないと睨んでいます。弓、弽、胸当て。その三つが揃った時に、変身するんです」
「いつもと同じ顔だし、格好だけどのう?」
「そこが、進化したウルトラマンなんです! 外見は全く変わらない! そして、なぜ部長の矢は的を外さないのかっ!」
真映は、一度だけ息を吸い、声を潜めた。
「これはまだ、一華も掴んでいない、わたし独自の研究結果です。おじいちゃんにだけ、特別にお伝えします」
わたしも杏子も聞いているけど、まあいいか、と紬は心の中でツッコんだ。
「的を外すと、地球が崩壊するからですっ!」
紬は、噴き出しそうになるのを、ぐっと奥歯を噛み締めて堪えた。肩が小刻みに震える。
「ウルトラマン部長は、それを防ぐために、絶対に外せないという、過酷な試練を自らに課しているのです! なんて素晴らしいんでしょう! わたしたちの部長は、人知れず地球を守っているんですっ!」
祖父はもう、返事をするのも面倒になったのか、黙って運転している。
「そこで、不肖ワタクシ真映は、杏子部長の力となるべく、一つの案を考えました。それは、地球のために、もう上がりようもない部長の的中率を、さらに上げる方法です! 誰も思いつかなかった画期的な方法です! なんて素晴らしいわたしなんでしょう!」
「それは!」
「それは?」
さすがにそこは気になったのか、祖父が短い相槌を打った。
真映は、最高のクライマックスを演出するように、たっぷりと間を取ってから言った。
「一度に、二本の矢を引くことです!」
その瞬間、車は、まるでこのセリフのために止まったかのように、ゆっくりと速度を落とし、紬の家の前で停車した。
「じゃあ、ここで」
紬がシートベルトを外し、ドアを開ける。
「紬、また明日ね」
うとうとしていた杏子が、ぼんやりと目を開け、眠そうに目をこすりながら言った。その無防備な姿を見て、紬はふっと笑みをこぼす。
「それは、わたしの課題です」
「え?」
まだ頭が働いていなくて意味が分からず、きょとんとしている杏子に向かって、紬は続けた。
「わたしの課題ではないんですが」
その視線の先には、満足げな顔で胸を張る真映と、今にも夢の世界に旅立ちそうな杏子がいる。紬は、嵐の中に残していく親友に、最大限の祈りを込めて言った。
「明日まで、無事でいてね」




