第26話 県大会前日
県大会の前日。光田高校弓道部の部室には、独特の緊張感と静かな熱気が漂っていた。
地区予選では3位以内に入れば県大会に進めたが、県大会から全国大会に進む枠はたったひとつ。優勝しなければならない。拓哉コーチは、これまでの道のりを思い返していた。
去年の新人戦で地区予選を突破した冴子、沙月、花音の3人。だがその前の春の団体戦は5人制。奈流芳瑠月を加えても団体戦に必要な人数が足りなかった。そのことも考慮し、拓哉コーチは小鳥遊つぐみを全力で勧誘して入部にこぎつけた。これで人数は揃った。来年、冴子と沙月が最上級生になった時、新入部員次第では、十分に勝負できる。勝機もある。そう思っていた。なんといっても、自分がコーチになってから、三年目、まさしく勝負の年になるはずだった。
だが、杏子の入部──これは予想していなかった。つぐみに匹敵する、いやそれ以上の努力型の実力者。それは、個人で十分全国に通用する実力であることを示している。その存在が、来年の目標を、今年の目標に塗り替えていた。
拓哉は静かに目を閉じる。
全国を目指すのは、本来は来年のはずだった。全く予想していない展開だったな、と改めて思った。滝本先生は、どこまで予想していたのかな。まさか杏子がここまでの実力の持ち主だったとは思わなかっただろうな。ただ、瑠月には少し可哀想な展開になってしまったな。だが、見事に個人戦出場権を得た。思い切ってやってほしい。
このチームには、天才肌のつぐみと圧倒的な努力を重ねることができる杏子という両エースに加え、去年から努力を積み重ねてきた冴子、沙月、花音がいる。そして個人戦に瑠月。それぞれが強く成長し、同じ目標に向かう姿は、指導者として胸を打たれるものだった。
男子チームは主に滝本先生が見ていたが、もちろん自分も接している。男子チームは、女子に比べたら劇的な展開はないかもしれないが、こちらも、丁寧な努力を重ねてきたいいチームだ。男子の目標は入賞ではあるが、全員自分の持てる力を全部発揮してほしい。
その結果が明日出る。自分の試合の時よりも、緊張することがあるなんて。
この日の練習は、疲れを残さないよう軽めに抑えた。その後、全員でのミーティングとイメージトレーニングを行い、試合形式の最後の練習で20射中17射を記録。優勝も十分狙える結果に、チーム全員の士気は高まっていた。
ミーティングの終盤、明日の集合時間などを確認すると、マネージャーの雲雨まゆが手を挙げた。普段おとなしい彼女が何を言うのか、部員たちは少し驚いた様子だった。
「……みんなの練習を見てて、本当にすごいって思いました……。努力する姿に毎日感動してます。私も、すごく勇気をもらいました。勇気を出して、マネージャーになって良かったです。マネージャーにしてくれてありがとう。明日は必死で手を叩いて応援します。頑張ってください!」
声帯にトラブルを抱えるまゆが、真っ赤な顔で懸命に話す姿に、場が一瞬静まり返った。まゆがこんなに長く話す声は、今まで誰も聞いたことが無かった。瑠月が目をまっ赤にしながら「ありがとう」と涙声で応えまゆの肩を抱き、花音が続き、全員が口々に感謝の言葉を述べた。
「これでやらなきゃ男じゃねえな!」
男子部員の叫びに、つぐみがすかさず「じゃあ私も男ってことか?」と笑いを誘い、部室は一気に和やかな空気に包まれた。
しばらくその余韻を楽しんでいたが、拓哉コーチが全員を外に連れ出した。荷物も何も持たず、そのまま外に出ると、そこには3年生たちがきちんと列を成して立っていた。頭には鉢巻きを締め、制服でもないのに詰め襟を着て、表情も固くしていた。
「光田高校弓道部、県大会突破を祈願し、三三七拍子を送ります!」
3年生たちが声を揃えてエールを送り始めた。「フレー、フレー、光田高校!」──そして名前を一人ずつ呼び上げる声が響き。そして最後に校歌を歌い上げ、深々と頭を下げた。
同じ三年生の花音はその場で涙をこぼしていたが、2年生や1年生の間には少し戸惑う空気もあった。特に一年生は、自己紹介の時に杏子に行った嫌がらせを思い出し、自分勝手に振る舞っていたことに複雑な心境だった。今更?
その記憶がよぎる中、栞代が静かに声をかけた。
「嫌なこともあったけど、ちゃんと受け取ろう。ここに来るまで、相当勇気が要ったと思う。」
杏子は特に表情を替えなかった。何を思っているのか読み取ることはできなかった。
その時、3年生の咲宮さくらが、杏子のもとへ駆け寄ってきた。
「杏子、今まで本当にごめん。弓道を真剣に取り組むようになって、やっと少し分かったんだ。弓道ってこんなに楽しいんだって。そして、杏子の努力も……分かった気がしてる。本当にごめん。明日は、全力で頑張って!」
杏子は一瞬、咲宮さくらを見つめた後、深く頷いた。栞代が見つめ、あかねが明るく微笑んだ。紬はじっと下を向いたままだ。きっと、それはわたしの問題ではありません、と呟いているのだろう。そう思うと、やっと杏子の表情が緩んだ。
部員たちは、それぞれが自分の決意を胸に抱いた。明日、最高の結果を出すために、全員が一つになった瞬間だった。
「明日、ここに戻ってきた時には、優勝旗を持ってる。優勝旗、イメージできるか?」
拓哉の言葉に、全員が力強く頷いた。
光田高校弓道部の新たな歴史が始まろうとしていた。




