第253話 ソフィアファミリー
午前練習の終了を拓哉コーチが告げる。
皆が弓を置き、ほっと一息ついた。
公式練習は午前中だけ。午後は、自由参加の自主練習。
とはいえ、だれも帰ろうとはしない。
光田高校ではお馴染みの風景だ。強制はだれもしないものの、なんの迷いもなく、いつも当然のように杏子が練習するから、いつのまにか誰もが当然のように参加する。
真映すらも、文句を言いながら、いや、文句を言いたいがために、常に参加しているようでもあった。
年内最後の大きな大会を終えたこともあり、さすがに拓哉コーチも、休養も練習のうちだ、と帰るように促すが、杏子には全く効果がないようだ。
とはいえ、お昼休憩はさすがにあるので、和らいだ雰囲気の中、ソフィアが杏子の元に歩いてきた。いつもの穏やかな笑みの中に、どこかはにかみが混じっていた。
「Kyoko! えっとね、ちょっとお願いがあるんだけど…」
杏子はタオルで首元の汗を拭いながら顔を上げる。「ん?なに?」
「実は、家族が今、日本に来てるの。今日、練習を見たいって。大丈夫かな? というか、もう来る気なんだけど」
杏子は目を丸くし、すぐに満面の笑みに変えた。
「えっ!ほんと? もちろん大丈夫!と思うけど、すぐコーチに言ってくるね!」
そしてそのまま、稽古着のまま走り出した。
数分後。
拓哉コーチのひと声で、部員たちがざわざわと動き出す。
「お客様が来られる。椅子を出して。冬の道場は寒いからなあ。毛布も出すように」
と、防寒具で着膨れしている拓哉コーチが指示を出す。
「絶対あれ、自分が毛布欲しいんだ」
真映がきっちりと突っ込むと、拓哉コーチは続けて
「あと、道場の前も少し片付けとこか」
真映が「これ以上どこを掃除すんのかな」とぼやきつつも、あかねに叱られて素直に動く。
つばめは、庭掃除用のほうきを手に持って張り切るも、なぜかバランスを崩して盛大にこけ、場がほんのり湯気のようにあたたかくなる。
そして、やってきたソフィア一家。
まず先頭に現れたのは祖父エリック。渋いグレーのコートにマフラーを巻き、威厳に満ちた姿だが、隣に立つ祖母リーサに「姿勢が硬い」と小声で注意される。
続いて、父ヨハン。いかにも理工系の真面目な雰囲気を漂わせ、興味津々といった様子で道場の構造や的場との距離を細かく見て回る。
母ミーナは着物を意識したコートを着て、すっかり日本文化に馴染んだ雰囲気で、差し入れとして軽食を持ってきてくれた。
そして、弟ラウリ。黙ってスマホをいじりながらも、チラチラと弓道部のメンバーを見ている。
最後に、妹アンナ。杏子を見るなり、「これが姉ちゃんを奪った女か…」と敵意丸出しで杏子を睨む。「姉ちゃんを返せっ」と杏子に詰め寄るが、言葉の分らない杏子は、いつも通りおだやかにニコニコしている。
「可愛いね、ソフィアにそっくりだね」
杏子がそういって、頭を撫でようとするも、アンナはさっと避ける。
「照れてるんだ~。かわい~」
アンナの言葉に少しハラハラしていたソフィアは、ほっとした表情を見せて、訳さないことを決めた。
ピルッカ(犬)ももちろん同伴。道場に入ろうとして杏子止められ、外でリードに繋がれるも、まるで「入れてもらえるはずだったのに…」という表情で、じっと中を見つめていた。
アンナが「この寒いのに、氷のように冷たい女だ」と、呟く。杏子は相変わらずニコニコしつつ、犬を撫でていた。
杏子はソフィアに「ねえ、みんな優しそうだね」と伝える。
ソフィアは小さく頷いて、「うん。日本に来てくれてうれしい」と呟いた。
練習は、普段より少しピリッとしていた。
見学者の目があることで、皆が自然と背筋を伸ばす。弓を引く音、放たれる矢の音、的に中ったときの「トン」という音が、普段よりも少しだけ澄んで聞こえるようだった。
エリックが見守りながら「この一瞬の静と動の切り替わり……これぞ美だ」と深く頷いた。
ラウリは思わず「俺も……弓道、やってみようかな……」と呟く。
アンナは杏子の射を見て、なにかを感じたのか、表情が和らいだ。
そして、ソフィアに
「おねえちゃん、わたしも弓、やる」と宣言した。
「"Kyoko, olet kaunis."」(綺麗だ)
ソフィアは笑いながら「Kyoko、アンナが、杏子はすごく綺麗だって」と伝えた。
杏子は真っ赤に照れていたが、すかさず真映が
「弓を引く姿が綺麗ってことですよねっそれだけですよねっ。ほんとはわたしの方が、きれ・・・」とちゃかしだすと、あかねが首根っこを抑えた。
練習は通常通りに進むも、ソフィアと杏子は、ソフィアの家族のところで、いろいろと弓道の解説をしていた。いつもはこんなとき、必ずその役を引き受ける、まゆと一華、そして栞代は、コーチと話し込んでいるようだった。
ソフィアは、杏子の隣に立って、小さな声で言った。
「ありがとう。みんな、わたしのことも、わたしの家族も、受け入れてくれて」
杏子は笑って「うん、だって、もう仲間だもん」と答えた。
練習を見ていると、ラウルとアンナが弓を実際に引きたい、とゴネだす。
ラウルは、すぐにゲームのアーチェリーゲームを教えたらそれに夢中になっていたが、アンナはなかなか強情だった。
それを見た杏子が、ソフィアに頼んだ。
「ソフィア、アンナに訳してくれる?」そう言って、アンナに話し始めた。
「アンナ、わたしが弓を始めたのはアンナと同じ年。だから、アンナも弓を始められるよ。でも、実際に弓を引き始めたのは、それから2年ぐらい掛かったよ。ソフィアも、実際に弓を引くまで、4カ月掛かってる。弓は危険だから、それぐらい練習がいるんだ。アンナはできる?」
「それとも、おもちゃの弓でいい? それなら、すぐにでもできるよ」
アンナは黙って聞いていた。
それからしばらくして、ソフィアの家族が練習が休憩に入るタイミングで帰ることになった時、アンナがゴネだした。
「"Kyoko, mennään yhdessä kotiin!"(一緒に帰ろっ)」
杏子の弓を引く姿に惹かれ日本行きを決めたソフィア。アンナも同じなんだな、と不思議な気持ちにあった。
結局、夕食にお邪魔する、ということでアンナを納得させたが、何度も何度も確認して帰るアンナに、杏子は、ソフィアが少し羨ましくなった。
「ソフィアは、一緒に帰らなくてもいいの?」
「わたし、家族が日本観光するから、それに付き合うから、しばらく練習休むんだ。だから、今日はその分しっかりやっていこうと思う」
「そっか。それにしても、アンナって可愛いね。いいなあ」
「杏子、わたしも久しぶりに会えて嬉しいからすっかり忘れてたけど。欲しいならあげる」
と言ってケラケラ笑った。




