第250話 焼肉パーティー その3
宴もたけなわ、グリルの炭火がまだ赤々と残る頃。
杏子の祖父は、コップに入った焼酎(のふりをした烏龍茶)をちびちびやりながら、楽しそうな焼肉の様子を見ていた。
生徒たちがワイワイと盛り上がる一方、焼肉店の隅のほう――わりと静かめの「コーチ席」では、少し違ったテンションの会話が繰り広げられていた。
指導の先生、コーチ陣の交流もなかなか楽しそうだ。厳敷高校の笛野透新任コーチが、拓哉コーチにいろいろと訊ねていた。不動監督と東雲コーチは長年のライバル関係の割りには、仲が良さそうで、盛り上がっていた。
若手、ベテラン、中堅、新人。弓道界でのキャリアもキャラもばらばらな4人の指導者が、ちょっと恨めしそうにノンアルコールビールを片手に、肉をつつきあっている。
「いやぁ……拓哉こーチ、光田高校の選手たち、ほんとに伸び伸びしてて。技術はもちろん、雰囲気も素晴らしいですね」
柔らかい口調で感心したよう厳敷高校の笛野透が言う。春から正式に就任が決まった、まっすぐな優男系コーチ。人を責めることが物理的にできない仕様。
「ありがとうございます。でも、それは僕より生徒たちの力です。僕は…引っ張るっていうより、引かれっぱなしなんですよ、いつも」
涼しい顔でそう答えるのは、光田高校の拓哉コーチ。クール系指導者だが、よく見ると端々に生徒への信頼がにじんでる。さすが、光田高校が誇る“寡黙な名サポーター”。
「ふっ、控えめか。それがあんたの長所でもあり、ちょいとズルいとこでもあるよな」
と、苦笑しながら焼き網をひっくり返したのは、鳴弦館高校の東雲コーチ。中堅らしい柔軟さで空気を読み、場の温度を調節する名コーチ。旧知の間柄らしく、隣に座るベテランに「ほんと、変わらないな」とぼやかれていた。
「……指導者は、生徒を“導く”立場でありながら、彼らから学ぶことも多い」
ゆったりとした口調で話すのは、鳳城高校の絶対的な存在、不動監督。弓道界では知らぬ者はいないほどの人格者。話すだけでみんなの背筋が伸びる。
今夜もやっぱり、他の3人の会話に自然と芯を通していた。
「苧乃欺が抜けて、ようやく生徒たちが笑うようになりました」と語る笛野に対し、東雲が肩をたたいて「お疲れさま。現場の空気が変わると、部活ってほんと変わるよな」と返す。
「厳敷高校、変わりましたよ。まだ未熟ですけど、子たちが前を向けるようになってくれて。それだけで、胸が熱くなる瞬間があるんです」
目を細める笛野の言葉に、拓哉は小さく頷きながらグラスを持ち上げる。
「僕も、そう思います。きっと、生徒の一射が、僕たちの姿勢を一番映すんでしょうね」
不動がにこやかに応じる。
「……君たちはまだ若い。だからこそ、正直な姿勢が生徒を育てる。己の技術だけではなく、その“在り方”も見せてやってほしい」
場に一瞬、心地よい静けさが流れる。
……が。
「あっ、すいません。不動先生、そろそろ焼き野菜もどうですか? 食べないと火、通りすぎて炭になります」
「……む?」
「ここ、焼肉屋なんで、監督の金言が炭まみれになる前に回収しましょう」
東雲の絶妙なツッコミに、笛野が吹き出し、拓哉がクスッと笑う。
不動も苦笑して、「……そうだな。焼肉と弓道、どちらも火加減が命だ」と、トングを握った。
東雲のセリフを聞きながら、鳴弦館高校のこのツッコミ芸は、篠宮かぐやさんだけじゃない、校風かもな、と一人で笑いを堪える拓哉コーチだった。
こうして、コーチたちの交流もまた、味わい深く、静かに、でも確かに熟していくのであった。
真映、詩織と侃々諤々、喧々囂々とやりあい、一息ついたかぐやが、杏子の祖父母を見つけ、やってきた。
「……威勢のいい元気な娘じゃのう。あの真映さんと五分にやりあうとは」
すると、その“威勢のいいの”が、ズイっと割り込んできた。
「なんやじいちゃん、うっが褒めたっが? ほんなこっじゃろ? うっは男前じゃっで? じいちゃんもな、孫がうっじゃったらよかっち思たっがな〜っ!」
祖父は少し口元をゆるめて、
「いやいや、わしは杏子みたいな出来すぎた孫で幸せもんじゃ。まあ、杏子も、かぐやさんみたいに、押しが強かったら、どうなっていたかのう?」
「いやいやいやっ! 杏子ちゃんは、あんまんまでよかっが! あいやでよかっが! あいやが、よかとじゃっが!!」
「あれ? えらい褒めるやないか……」
「じいちゃん、ただな! うちが男じゃっどしたらよ、杏子ちゃんにば告白しちょっど! 嫁っこにすっでよ!
じゃっどん、残念やっが… うちは女子じゃっど〜! 直行一本やりじゃっで! 乙女心っちゅうもんが、ここにあっが! わっぜ悪かっど、許しちゃってくいやいっ!」
じいちゃん、吹き出す。
「いや、正直でええ娘やな。杏子もかぐやさんと戦えて幸せもんや」
ちょっと照れたように肩をすくめるかぐや。
「じいちゃんよぉ、今んはな、杏子に花ば持たせたっけどよ、次んはそげん甘かごっじゃなかど!
悪かっけど、こっからはガチん勝負させてもらうっでぇ!
そんでな、おばあちゃん? ひょっとして杏子ちゃんのおばあちゃんね?
はぁ〜もう、そっくりすぎて腰抜かすとこじゃったばいっ!
やっぱ血筋っちゅうもんはバケモンやっど〜!」
祖母は穏やかに微笑んだ。
「やっぱ、こげんおしとやかっふうしてても、実はじいちゃんばしっかり足ん下に敷いちょっじゃなかとけ?
うちんじいちゃんもな、黒曜練弓流ん家元じゃっち威張っちょっけど、家ん中じゃおばあちゃんにペッタンコよ!
なんせな、実んこつ言うっと、おばあちゃんの方が弓ん腕も上やっど〜。
家計簿もばっちりつけさせられちょっど。数字の鬼ばい、うちんばあちゃん。
あっ、でもこれナイショなっ!?
じいちゃんが聞いたらな、"そいは沽券に関わっど〜!"っち大騒ぎすっでな〜、ほんのこてっ!」
祖母が溜まらず吹き出したかと思えば、いつの間にかやってきた栞代が大声で笑ってる。
杏子もやってきて、無言で祖父母の間にスッと座る。焼肉の煙にまぎれて静かに笑っていた。そして、ようやく、楓も杏子と同じテーブルに来て、杏子の好きなカルビをよそってた。
杏子の祖父は、牛タンをひっくり返し口に運ぶと、にやりと笑った。
次のカルビを慎重に網に置くと、かぐやがすかさずその横からトングを持ってきた。
「じいちゃん、去年はなんかいろいろ大変やったっち聞いとっど。
身体は大事にせなあかんっど〜。そいけ、肉ばっかい食べっくいや! わっぜーうまかやっど!」
妙に祖父に構うかぐやを見て、杏子は、実はかぐやもおじいちゃんっ子なんだなって思った。同じところがあるんだと、ますます親近感を抱いた。
「うちに任せときなっせ! 肉ん一枚一枚、ぜーんぶ最高に焼いちゃるけんっ!
これ食うたら、あと百年は元気バリバリで生きっがよっ!」
そんなやりとりをしっかりと見ていた、鷹匠と真壁。
しんみりしてるようだったので、栞代が少し不思議そうな視線を向ける。
その視線に気がついた鷹匠が、
「ほんとは、かぐやは寂しかごあっですたい。鳴弦館んために、黒曜練弓流からは破門ち扱いされて、ごじいごばあからも離れて寮で暮らしちょります。
会えんわけじゃなかっですけどね、中学まではずーっと一緒じゃったですから、その分、ぽっかり心ん穴があいちょっかもしれんです。
たぶん、その寂しかとが、直行くんにぶつかってしもうたんじゃろなぁ。」
としんみりと話した。
かぐやの、あの過剰なほどの明るさ。
あれは、寂しさの裏返しなんだと気づいた瞬間、栞代の胸にふっとあたたかいものが灯った。
いつもは遠い存在に感じていたかぐやが、少し近くに思えた。
「ま、そいでわたしと真壁が、ぴったり寄っちょっですけどね。最近はもう、すっかり調子乗っちょっですよ」
と、鷹匠は笑いながら言った。
かぐや「杏子ぉ、うちが焼いもしたタレ漬けカルビもあっで? やわらかさっちゅうとはな、愛情度で決まっちょっち言わるっが!」
杏子「……うーん。じゃあ、楓の焼いてくれたの食べるっ」
かぐや「ちょっ、なっ、なんちゅうこっかいなあっ!!」
杏子「タレが焦げすぎだよおっ。楓、慎重だもんね。」
かぐや「焦げたっち言わんとよっ、炙ったっち言いよっが! 楓んはタレん足らんっち、こげな薄味な、はじめて見たどーっ!!」
じいちゃん「そっちのほうが素材の味が活きるんじゃ……」
かぐや「ならじいちゃん、次はなに食わすっち思っちょっとけ? 杏子はやっぱ楓にまかすっが。じいちゃんが次ん食いもん、うちが焼いちゃるっで、好いちょっもん、言うてみんしゃい!」
杏子「じゃあ、おばあちゃんの分はわたしが焼いたげる。おばあちゃん、ハラミが好きだったよね」
こうして焼肉大戦争は、静かに、しかし粘っこく続いていくのであった。
青春と脂身がはじける、奇跡の一夜――。
杏子は、静かに胃腸薬の準備をした。




