第247話 混沌
「杏子さん、栞代さん、紬さん……ほんとうに、お見事でした。」
麗霞の声はいつも通り落ち着いていた。心からの賛辞を贈る。
「ありがとうございます。麗霞さん、優勝、おめでとうございます。」
杏子は、悔しさよりも、ちゃんと挨拶できてるかどうかが気になるらしい。
「栞代、ちゃんとできてるかな?」と小声で確認すると、
「大丈夫やって、杏子。」と栞代が笑う。
栞代も紬も、胸の奥では銀メダルが悔しい。
けれど杏子は、初めて手にした銀メダルを指先で撫でて、まるで宝物みたいに微笑んでいた。優勝して金メダル。杏子の夢は寸前で叶わなかった。けれども、杏子の顔に落胆の色はない。
いつも通り、少し幼く、穏やかだった。
「杏子、オレが外さなければ……」
「杏子……わたしの課題が、わたしの課題だったのに……」
紬の無表情に、かすかに滲む苦しそうな影。
「ふふっ。」
杏子は、ふわっと笑った。
「二人とも、変だよ。団体戦はみんなの結果なんだよ? つぐみもそう言ってたもん。」
一呼吸置いて
「それに、結果はたまたま、だよ。たまたま、ここまでは運が良くて、ここで運が悪かったね」
「だけど、杏子。オレ、なにか掴んだ気がして、ちょっと慢心したんだ。それで・・」
「栞代。栞代はすごかった。紬もね。わたしね、二人と一緒に弓を引けて、すごくうれしかったんだよ。こんなご褒美まで貰えたし……ありがと。」
杏子は心から言った。好きな矢が引けた。そして今の最高の自分を表現できた。おばあちゃんにも見てもらえた。
あとは、全部、たまたま、だ。
だが、栞代と紬は、そうでは無かった。
紬と栞代は、責められるよりその優しさの方がつらかった。
確かに差は紙一重だった。だが、同時にそれは、紙一重の差があったという厳然たる事実を突き付ける。
どうすればその差を埋めることが出来るのか。
栞代は、そして紬も、同じ問いを胸に抱えていた。
栞代は、自分の僅かな慢心が敗北を招いたと知っていた。それは技術的な問題ではなく、心の隙間だった。技術と気持ち。どちらかが欠けても結果はでない。改めて杏子の凄さを思った。そしてその出発点は「おばあちゃんを喜ばせたい」それだけなのだ。純粋な気持ちの強さを今更ながら思い知る。
一方の紬は、冷静さを保ちながらも、この敗北が、自分の中に隠された熱意を呼び起こしたことを感じていた。感情を排した射だけでは、届かない場所がある。彼女は、静かに、しかし確かに、その熱を矢に乗せる術を探し始めた。
表彰式を終え、控室から出た三人を、歓声が取り囲む。光田高校の仲間たちが口々に讃える。
「最高だった!」
「最後の一射、鳥肌立ったよ!」
その声の嵐の中、杏子は祖母の元へ走る。
「おばあちゃん、見てた?」
「もちろんよ。杏子ちゃん、どんどん綺麗になって……誇らしいわ。」
顔を真っ赤にしてよろこぶ杏子。
「わたしね、おばあちゃんと一緒になれたよ!」
銀メダルを渡す杏子。祖母が涙ぐみ、瑠月が背を撫でていた。
祖母にとって、半世紀以上ぶりに見る、銀メダルだった。
そこへ――
「さあ、部長!」
真映が満面の笑顔で叫んだ。
「今日はこれから、夏の高校総体優勝祝勝会を、先取りしまーすっ!」
「……え?」
杏子がぱちくりと瞬くと、真映は勝手に続ける。
「場所は、おじいちゃんがもう予約済み! さ、行きましょうっ!」
「ちょっ、ちょ待てぇやっどォォーー!!!」
体育館の通路に、えげつない声が響いた。
篠宮かぐや、再登場。
「ほんなこて! ちゃんと挨拶して帰ろか思うたらよぉ! なんか変なこつ聞こえたど!
なんな? 夏ん総体ん優勝祝賀会すっち? なんじゃそら!?
そいなら、うちらが出席せんばいかんやっどが!」
真映、呆れ顔で返す。
「……なに、かぐやさん。焼肉食いたいだけちゃうん?」
「アホん言うなぁぁぁ!! 焼肉ば食いたかっち思っとっとか!? そいじゃなかっで!
優勝祝賀会っち言うたど! うちらがおらんやったら意味なかち、そい言いよっとじゃっど!」
「いやいや、優勝するのは光田高校やし? かぐやさんが祝福してくれるならええけど?」
「なに言いよっとか! 優勝すっとは、うちら鳴弦館じゃっで!
真映! そいはなぁ、うちらが祝福さしてやっどっが!」
――いや、何言ってるかほぼ分からないけど、妙に伝わる気迫。
かぐやの世話人の鷹匠が、すかさずぺこぺこ。
「すんもはんねぇ、かぐやがね、よかこつ決めてしもうて、気持ちが高なっとっもんで。」
真映はもうノリノリ。
「ほんなら鳴弦館さんも一緒にどーです? おじいちゃん、席いける?」
杏子の祖父が、笑って頷く。
「この展開はもうお見通しじゃ。ワンフロア貸し切っとる。なんぼ増えてもええ」
「ほんなら決まりっ!」
「真映、あんた賢なったなぁ! 当たり前やっど、行くにきまっちょっやっ!
なしてか言うたらなぁ、うちらの優勝祝賀会じゃっでなぁぁぁっ!」
後では、拓哉コーチ、滝本顧問、東雲コーチが慌ててたが、どこ吹く風。
「ちょ、待てや!」
今度は鳳城高校のヤヤコシ問題児・黒羽詩織がずいっと出てきた。
「夏の総体の優勝パーティーやと? なんで優勝高校のあたしたちが居ないのに成立すんのよ!」
……もう、このパターンに全員慣れきっている。
口を開きかけた真映を制して、杏子の祖父はポケットからすっとメモを出し、手渡した。
「ほれ、ここでやるから。麗霞さんを忘れず連れてくるんじゃぞっ」
そいえばこのおじいちゃん、麗霞さんのファンだっけ? 栞代はなんやかんやいいつつ、用意万端、自分の理想の方向に話を持っていくおじいちゃんに感心していた。
「……は?」
詩織が固まる間に、横からあかねがにやりと笑い、スマホを差し出す。
「LINE交換しとこ。連絡いるやろ?」
つばめがこれ幸いとつぐみに連絡し、なんやかんやと厳敷高校も参加することになった。
鳴弦館、鳳城、光田、厳敷、そしてつぐみ。
ライバルたちが、焼肉という魔法の言葉で一つになる、奇跡の瞬間を迎えることになった。
真映は、食事量でビビらせたる、と闘士満々だった。




