第237話 準決勝前
観客席の一角、冬の陽が窓越しに差し込む場所には、光田高校弓道部を愛する人々が、静かに集まっていた。射場の緊張が張り詰めるほどに、ここだけはどこかあたたかい空気が流れている。準決勝を直前に控え、それぞれが祈るような思いと、そっと力を送り合う空間――
冴子は腕を組み、真剣な眼差しで射場を見つめている。
元・部長として、あの苦しい総体の準決勝を思い出さずにはいられなかった。まだ半年も経っていない。
そのとき一緒に的前に立った栞代と紬が、今度こそ、望んでも得られないほどの味方と共に壁を越えると信じ、自分の手のひらに微かな震えを感じていた。
(……あのときは、全員が限界超えてた。栞代も、つばめも、あたしも……。だけど、今回も。できる。できるはずだ。だって、一緒に居るのは、あの、宇宙人の杏子なんだぞ。私とは、残念ながら、比べ物にならない)
冴子の隣で沙月が軽く息を吐き、肩を揺らして笑う。
「栞代ちゃん、ちょっと固いねぇ……でも、あの子は最後に決めるタイプだから。冴子、信じてるでしょ?」
と沙月が微笑む。冴子が「もちろん」と即答すると、ふたりの視線は自然と確信に変わる。ただの応援ではなく、仲間として刻んできた姿への、信頼そのものだった。
後では、真映が落ち着きなく視線を彷徨わせていた。
「なあ、一華、ちゃんとメモ渡した?」
一華はメモ帳を手に、淡々と答える。
「渡した。……あれで、少しでもリラックスできるんでしょ?」
真映と楓は、昨夜、一華とつばめの部屋へ出向き、なにかできることはないかと相談し、真映は、一華のデータ分析を渡し、そこへ真映が一言付け加えることを提案した。
「試合前に相手の分析見ても、あんまり意味ないんじゃ?」一華が言うと真映は、
「データは、わたしの一言の前座だ。信憑性が増すだろ?」
一華は、マネージャーだけじゃなく、アナリストとして弓道部を全国制覇に導きたいと思っている。直接対戦しない、自己への探求という側面が強い弓道だからこそ、その可能性を追求したいと思っている。
なにかそれをダシに使われるようで、少しムッとした。
一華は、弓道は「自分との戦い」と形容される一方で、客観的データが少ないがゆえに感覚依存、偏重が残っていると考えていた。
フォーム再現性と心理状態を可視化し、選手の自己調整を加速する。
データドリブンな練習計画で指導効率を高め、初心者の離脱を防ぐ。
団体戦の立順最適化や用具適合を支え、チーム全体の競技力と健康を守る。
伝統を尊重しつつ、科学の光で射場の「見えない部分」を照らす。その使命を果たす時、光田高校弓道部は、さらなる飛躍を実現できる。一華は本気でそう考えていた。
それなのに・・・・・・。
「い、いや、一華、そうじゃないって。落差、落差。一華のデータが凄ければすごいほど、わたしがドン臭いこと言っても、効果あるじゃん」
慌てた真映の言い訳で、一華も機嫌を直したが、さらにデータも有利なように改竄しろと言われて呆れ果てたが、それもデータとして生かせるんじゃね? という楓の言葉もあり、結局は真映の思う通りのメモを完成させていた。
真映は力強く頷く。一年生全員、試合には出場しないものの、願いは同じ。全員で弓を引いている。杏子部長の言葉に、強い連帯感を感じていた。
ソフィアは射場を舞台のように遠く見つめている。表情を緩める。
「……紬は大丈夫。紬の弦は、いつもと変わらない音がする。」
その横で楓は杏子の姿を思い浮かべ、小さな手を胸に当てて、「どうか、優勝を…」と心で何度も繰り返す。杏子の言葉に救われた日々を思い返して。
そして一段下の席では、まゆとあかねが並んで座り、杏子の祖父母と寄り添うように座っていた。
おじいちゃんの顔は土気色で、まゆが心配そうに覗き込む。
「……大丈夫ですか? あの、杏子は……仲間の力を引き出すのがすごく上手なんです。だから、きっと。」
あかねがうんうんと頷きながら言葉を足す。
「県選のときもそうだったんです。杏子が居たから、私、矢が当たったもん。不思議な感覚でした」
その様子に気がついた瑠月が、静かに立ち上がり、おじいちゃんに声をかける。
「……大丈夫ですよ。みんな、杏子ちゃんと居たら、大丈夫」
「……大丈夫?」
「ええ。杏子ちゃんを見たら、不思議と落ち着くんです。わたしなんて、去年、杏子ちゃんを思い出すだけで、落ち着くことができましたよ」
去年、病室のベッドから画面越しで見た瑠月は、確かに落ち着いていて.美しかったことを、祖父は思い出した。
「……そうか……そうか……」
おじいちゃんは何度も頷き、カバンからこっそりと何かを取り出した。
それは、手作りの応援うちわ。
「……あれ?係の人に止められたんじゃ……?」
あかねが驚くと、おじいちゃんは得意げにヒソヒソ声で言った。
「あれは一番大きなやつじゃ。これはあれより一割ほど小さい。
だから、大丈夫じゃろう。」
「いや、それも結構大きいんじゃ?」
おかねが不安そうに言うと
「なに、大きさを変えて20枚用意してある。注意されたら少しずつ小さくすればいい」
「なんで20枚も?」
「右手用と左手用だから2枚ペアじゃ。サイズ違いで10種類ある。
あっ・・・。わしとしたことが、全員分作るのを忘れてた。え~と。来年は、部員の数かける20枚必要ということは・・・一体何枚じゃ?」
瑠月が吹き出した。
「クリスマスなのにうちわなんですね……!」
「ぱみゅ子のためならなんでもするんじゃ!」
おじいちゃんが小さく胸を張り、笑いがこぼれる。
あかねがこっそり
「クリスマスプレゼントも用意しないとですもんね」
と付け加えると。
「そうじゃ・・・・・ん? いや、なんのことじゃ?」
と慌てる祖父を見て、あかねとまゆは目を合わせて笑った。
射場の向こう、静かに構えた栞代、紬、杏子が見える。
冴子も沙月も、一華も真映も、ソフィアも楓も、まゆもあかねも、瑠月もつばめも――
いつも寄り添う仲間同士、そのあたたかな絆が、どんな不安も静かに溶かしていく。チームメイトたちは杏子の無垢な眼差しを、そのまま心の拠りどころとし、誰もが「大切なひと」「家族」として包み込んでいる。
杏子の祖父母もまた、孫にもその仲間にも惜しみない愛情で見守り、静かに誇りを噛みしめている。その優しさの輪が、今、この瞬間も射場を包む温かな光となっていた。
外には冷たい風が吹いているが、この観客席には、友情と家族の絆、未来への希望が、淡い陽だまりのように満ちている。
いよいよ始まる準決勝。その瞬間を、全員が「心の手」で杏子と仲間たちの背中にそっと触れ、ただただ見守っていた。




