第23話 地区予選
地区予選大会の朝は、穏やかな初夏の日差しに包まれていた。
学校での集合時間となり、地区予選会場へ向かうための準備が整っていた。だが、その場にはコーチも奈流芳瑠月の姿もなかった。二人とも時間に遅れるようなタイプではない。それだけに、何か妙な違和感が胸に広がる。
それでも、顧問の滝本先生は二人を待つ素振りを見せず、「二人は先に会場に行っています」とだけ伝えると、メンバーたちを率いて出発しようとする。その言葉を聞いた花音は、少し腑に落ちないものを感じながらも、今日は大切な地区予選の日だということを思い出し、気持ちを切り替えた。
「二人とも先に会場に行ってるみたい。さあ、行こう」と花音はメンバーに声をかけ、全員で会場に向かった。
ところが、会場に到着すると、思いもよらない光景が待っていた。去年までは、この時期既に引退していて、試合に参加しない3年生の姿がそこにあったのだ。名前だけの弓道部員であった三年生、地区予選には出場しないのが通例だった。それが突然の参加とは、一体どういうことだろう?
さらに驚いたのは、彼らのそばにコーチがついていること、そして瑠月の姿もあったことだ。状況を理解できず戸惑う花音たちに対し、滝本先生が説明を始めた。
「今年の地区予選には、花音さんだけじゃなく、ほかの3年生も参加します。彼らは光田高校Aチームとして団体戦に出場します。そして、そこに瑠月さんも加わります。あなたたちは、Bチームとして出場します。」
「えっ?」
部員たちから驚きの声が上がる。瑠月が団体戦メンバーとして復帰するなど、まるで想定外の展開だった。しかしすぐに、「レギュラーから外れていた瑠月さんが、試合に出られるなんて良かった」と安堵の声があちこちから聞こえ始めた。
「花音さん、知ってましたか?」と冴子が尋ねる。
「いや、全然知らなかった」と花音が困惑気味に答える。
「でも、まあ、瑠月さんが試合に出られるのなら良かったですよね」と沙月が笑顔を見せた。
「本当にそうだね。それが一番良かったかもしれない」と花音はしみじみと頷く。
杏子もつぐみも、瑠月が試合に出られることにほっとした様子だった。思わぬ展開に戸惑いつつも、試合に向けてのカウントダウンが始まっていた。同じ高校なのに、まるで別の高校のように距離があったのは、致し方ないことではあった。
今年は去年までとは異なり、新しく青竹高校が加わり、出場校が7校となった。それに伴い、地区予選の様相も変化していた。昨年までは6校中3校が県大会への切符を手にしていたが、今年は7校中3校と、若干ではあるが狭き門となった。
地区予選は団体戦と個人戦の二部構成だ。団体戦で上位3チームに入れば県大会への出場権が与えられる。
また、個人戦の予選突破基準は、上位3チームに入った団体戦のメンバーは、県大会の団体戦が個人戦の予選を兼ねているので、個人戦の参加資格がある。また、進めなかった団体戦の高校のメンバー、また、個人戦のみ出場の選手も、4射中3射で、県大会への出場権が与えられる。
光田高校は今年、2チーム編成で大会に臨むことになった。もともと主力のBチームと、3年生中心のAチームだ。拓哉コーチは事前にチームに宣言していた、「今年は光田高校が復活を示す年にする。それぞれが自分の役割を果たすことがチームの力になる」と。
会場には、東山高校、海浜高校、安政高校、坂下高校、川嶋女子校、青竹高校、そして光田高校の選手たちが集まっていた。各校の選手が整列する中、杏子は静かに深呼吸をした。
「緊張してる? 始めての公式戦だからな」とつぐみが声をかけた。
「ううん、大丈夫。おばあちゃんの言葉を思い出してるから」
こりゃ大丈夫だな。つぐみは変わらぬおばあちゃん子の杏子に呆れながらも、安心していた。
杏子の表情は、いつもと変わらない穏やかさを湛えていた。
試合は予想以上の接戦となった。先に出場したBチームは、杏子、冴子、花音、沙月、つぐみという、鳳城高校との練習試合の立ち順を踏襲した順番で挑んだ。一方のAチームは3年生と瑠月の編成で、チームの意地を見せた。
Bチームの射立は、緊張感に包まれながらも、見事な成果を見せた。杏子とつぐみは、持ち前の実力を遺憾なく発揮し、見事に皆中を達成。花音、冴子、沙月も、それぞれ4本中2本という安定した成績を残した。合計14本の的中だった。
「杏子という子の射型、なんと見事なんだ。」
観戦していた他校の顧問が一様につぶやいた言葉が、静寂の中に響いた。
ライバルと目されていた川嶋女子は日比野希が皆中を出し、ほかのメンバーも安定した成績を出したが、全部で13本の的中。
青竹高校は、桑原美香が皆中を出しながら、全員での結果は的中12本。
1本差で並ぶ接戦であったが、光田高校が見事に一位で通過した。
この3校がトップ3で、県大会への出場権を得た。光田高校は、10年振りの1位通過だった。川嶋女子校の、連続1位の記録を止めた。
去年の新人戦では3位での地区予選突破ではあったが、つぐみ、杏子の入部で、3位以内には入れると思っていたコーチ、顧問の先生とも、1位は予想した中での最高の結果だった。十分に狙えるとは思ってはいたが、実際に結果を出すのは素晴らしい。
そして一方、光田高校のAチームは、3年生たちが意地を見せた。
連休明けからの全力の努力。試合で、1本当てる、という目標をそれぞれ立てて、中田先生のもと、これ以上はできないほどの努力した。そして、試合では、見事にそれぞれが1本ずつ的中させた。今まで努力を避けてきた彼女たちであったが、結果を残せたことには感動していた。そして、奈流芳瑠月は、4本中3本という好成績を残した。チーム全体では7本の的中で8位という結果だったが、瑠月は個人での県大会出場権を獲得した。
男子チームも、Bチームが団体は3位で県大会出場権を得て、こちらも同様のAチームは、惜しくもあてられなかったものもいたが、全力の努力の結果に、すがすがしい思いを抱いていた。
「やったね、杏子!」
試合後、栞代が駆け寄ってきた。杏子は優しく微笑んで答えた。
「うん。でも、これはみんなの力だよ」
「おばあちゃん、ちゃんと見ていてくれたかなあ」
「ああ、おじいちゃんがさっき騒いでたから、ちゃんと見てたはず。」
栞代は思い出したように笑って言った。
チーム全体が一つになって掴んだ勝利だった。花音は部長として、チームメイトたちを集めた。
「みんな、本当にお疲れ様。でも、これは通過点。県大会でも、このチームワークを見せましょう」
部員たちは静かに頷いた。杏子はみんなの喜ぶ姿をを見つめながら、おばあちゃんの顔を思い浮かべていた。
「ねえ、杏子ちゃん、いつも通りなんて、ほんとすごいね。」瑠月が声をかけた。
「ありがとうございます。いえ、瑠月さんも、個人での県大会出場おめでとうごさいます。」
杏子は、本当に嬉しそうだった。
「ありがとう。」瑠月も、すがすがしい気分だった。
「杏子は全くいつも通りだったよな。逆に驚いたよ。」冴子も感心したように付け加えた。
「でも、杏子らしかったわよね。いつもと同じ、あの美しい射形」沙月が笑顔で言った。
つぐみは黙って頷いていた。自分も皆中を達成したが、杏子の射の美しさには特別なものがあることを、誰よりも理解していた。
帰り際、拓哉コーチは静かに部員たちを見つめていた。今日の結果は、光田高校弓道部の新しい歴史の始まりかもしれない。特に杏子の安定感とつぐみの勢いは、チームに大きな力をもたらしていた。
しかし、これは始まりに過ぎない。県大会では、さらなる強豪校が待ち構えている。コーチは心の中で、次なる戦略を練り始めていた




