第227話 夜のお話
決勝トーナメントを明日に控えた夜。
出場するメンバー以外も、弓道部は全員、優勝を信じている。とはいえ、そこは、クリスマスを過ごそうとしている女子高生。
出場メンバーが固まった一室を除いては、いろいろな話しで盛り上がっている。それでも、どの部屋でも、必ず戻ってくる場所があった。
杏子だった。
杏子に憧れて勇気をだしたまゆ。
夢を諦めていたあの頃。だけど、杏子のひたむきな背中を見て、勇気が生まれた。最初はマネージャーとして支えることしかできないと思っていた。でも、本当は、弓を引いてみたかった。
杏子は、小さな願いにも全力で応えてくれた。椅子に座ったまま弓を引けるように、ともに悩み、考え、導いてくれた。大切なのは、可能性を信じること。杏子と出会い、あかねや仲間たちと支え合いながら、弓道の楽しさと、自分を信じる強さを知った。
まゆとずっと一緒に居たあかね。
県内選手権。あかねとまゆは、杏子と同じチームに立った。
あの時の杏子の存在感――射るたびに会場の空気が震え、結果を出し続けるその姿。
激しいオーラは圧倒的だった。胸が熱くなるのを感じながら、気づけば優勝という結果を掴んでいた。あかねにとって、あの瞬間は一生忘れない宝物だ。
そして、杏子への感謝は一生忘れられない。まゆとあかね、二人の弓道人生を鮮やかに彩ったのだから。
日本に憧れていたソフィア。
祖父のエリックが、杏子が弓を引いている映像を送ってくれた。
揺れていた心のすべてが、杏子の一射に導かれ、日本行きの覚悟に変わった。
かつて画面越しで見上げた存在が、今は同じチームで同じ目標に向って練習する。ソフィアは、その瞬間ごとに深い幸福を感じた。
日本に来て本当によかった――誰よりも憧れた人と、一緒に弓を引く。それが、何よりの喜びだった。
姉に憧れていたつばめ。
姉に認められたいという一心で始めた弓道。でも、目指していたその先には、思いがけず杏子という新しい光があった。誰より頼りにされた存在で、姉さえ“超えたい”と思っていた杏子。最初は興味本位で近づいたけれど、実際に会った杏子は、普段は頼りなさげで気弱な人だった。でも、弓を持つと誰にも負けない強さを見せる――その凄さに、つばめは心を射抜かれる。姉を超えるために、杏子の力を借りたい。そう思わせてくれるほど、杏子はつばめの前に新しい目標と希望を示してくれた。迷ったときも、杏子はそっと寄り添い、導いてくれた。その存在が、つばめにとってどれだけ大きな支えになったか、言葉では言い表せない。
中学の時に空回りしていた真映。
「何かをやり遂げたい」と焦る気持ちだけが先走り、周囲からは浮いていた。そんな居場所のなかった自分が飛び込んだのが、高校の弓道部だった。最初はただ、エースの杏子を倒して注目を浴びたいばっかりだった。
けれど、杏子は真映の挑戦的な気持ちをまるで気に留めることなく、いつも変わらず優しく、親切に、自然体で真映の居場所を作ってくれた。その懐の深さに救われ、やがて弓道部という新しい居場所の温かさを知ることができた。
新入生の中でたった一人の弓道未経験者だった楓。
体験入部に来た同級生たちは、部の実績に圧倒されて入部を躊躇うなか、楓だけが、勇気を出した。その一歩が、後から思えば、たしかに運命を分ける決意だった。不安しか無かった。けれど、部には杏子がいた。最初こそ圧倒されたけれど、普段の杏子は、自分以上に引っ込み思案で、緊張しやすくて、どこか頼りなくさえ見えた。その杏子が、弓を握るとまるで別人で、本当に美しかった。言葉は多くないけれど、どんな練習でも杏子はさりげなく楓のことを気にかけてくれて、さりげなくそばにいてくれた。
不安な夜も、楽しい夜も、いつも杏子が戻ってくる“場所”でいてくれる。楓にとって杏子は、憧れであり、支えであり、――安心して自分でいられる、大切な目印なのだった。
弓道部を理論的に支える一華。
一華は、はじめからマネージャーとして弓道部に入部。部の卓越した実績を知り、「全国制覇の力になりたい」という強い気持ちがあった。持ち前のチェック能力、事務能力、分析能力を最大限に発揮している。
練習場での補助のみならず、選手のパフォーマンスや対戦相手の動向を冷静に分析するアナリストとしての役割も大きく、チームの戦略立案に深く関わり、理性的で落ち着いた姿勢は時に周囲に冷たく思われるものの、そのバランスを保っているのが、選手兼マネージャーであるまゆ。暖かな緩衝材となり、一華の冷静さを和らげています。
また、一華は杏子の圧倒的な射の安定感と、普段の幼さとのギャップを楽しんでおり、個人的にも深い思い入れを持っている。
どの部屋も、最後の話題は決まってた。
杏子、栞代、紬。三人はどんな話しをしているんだろう? もう寢てるのかな。
きっと明日のことを話しているんだろう。緊張してるだろうな。
明日は普段通りの実力を発揮してほしい。そうすれば、優勝できる。
全員、はっきりと口に出して言った。言霊があると信じて。
「ねえ、栞代~。おばあちゃんから、みんなに配るように言われて、クッキー渡されたんだけど、いつ配ろ?」
「クリスマスプレゼントを兼ねてってことだな。今から配るとまた歯を磨かないといけないし、明日の朝か、試合終わってからでいいんじゃないか? 紬はどう思う?」
「それはわたしの課題ではありません」
「こっそり、部屋の前に置いてこよっか。サンタさんからみたいに」
「杏子。部屋の前ってのも、何かピンと来ないな。普通に渡したらいいんじゃないか? 紬はどう思う?」
「それもわたしの課題じゃありません」
「ま、いっか。ちょっと試食してみよっかな?」
「杏子。今から食べるとまた歯を磨かないと行けなくなるぞ。紬どう思う?」
「歯を磨くのは、まだ軽い課題です」
そうして、こっそりと余分のクッキーを食べる三人。
「うん。やっぱり杏子のおばあちゃんのクッキーはおいしいな。このさい、この三人で食べちゃおうか?」
「栞代~。それはマズイよ~。紬はどう思う?」
「それはわたしの課題ではありません」
「いや、絶対だめだって」
なんとか欲望を押しとどめ、全員の分のクッキーを残し、三人は揃って洗面所に歯を磨きに行った。
その音を聞いた部員たちは、やっぱり寝られないんだな、と心配した。




