第22話 メンタルトレーニングはじめ
光田高校弓道部の部員たちは、視聴覚室に集められていた。壁にはスクリーンが設置され、「メンタルトレーニング入門」と大きく書かれたスライドが映し出されている。慣れない雰囲気に少し緊張した様子の部員たち。しかし、司会を務める樹神拓哉コーチが声を発すると、一瞬で静かになった。
「みんな、今日は普段の練習とは違う特別な時間を設けた。地区予選に向けて、技術の向上はもちろん大切だけど、心の準備も欠かせない。そのために、僕の大学時代の弓道仲間であり、今はメンタルトレーニングの専門家として活躍している深澤剛先生をお招きした。深澤先生には、メンタルトレーニングの基本をみんなに教えてもらう。ぜひ、今日の話をしっかり聞いて、これからの練習に活かしてほしい。深澤先生、よろしくお願いします。」
深澤剛は、落ち着いた笑顔を浮かべながら一礼し、前に進み出た。スーツ姿の彼はどこか柔らかくも堂々とした雰囲気を持ち、部員たちはその第一印象から自然と彼に信頼を寄せるようだった。
「こんにちは、みなさん。今日はメンタルトレーニングについてお話しさせていただきます。弓道は、技術だけでなく、心のコントロールが大切な競技です。どれだけ練習を重ねても、試合で緊張して普段通りの力が出せなければ意味がありません。そのために、心の状態を整える方法を知ることが必要なんです。ただ、最初に一つだけ大事なことをお伝えしておきます。」
彼は、視聴覚室を見渡しながら一拍置いた。その静けさが部員たちの集中を高める。
「メンタルトレーニングは魔法ではありません。これだけで急に上手くなることはありませんし、全ての問題が解決するわけでもないんです。皆さんの技術的な努力があってこそ、メンタルトレーニングが効果を発揮します。つまり、技術練習と心の準備は車の両輪のようなものです。片方が欠けると、前に進むことはできません。」
部員たちは真剣な表情で彼の言葉に耳を傾けていた。スクリーンには「技術練習とメンタルトレーニングは両輪」という言葉が映し出されている。
「みなさんはこれまで、射法八節を何度も練習してきましたね。正確な動作を体に覚え込ませるために、何度も繰り返し練習を重ねてきたと思います。これと同じように、心のトレーニングも毎日の積み重ねが必要なんです。これから一緒に学んでいきましょう。」
深澤は、次に目標設定のスライドを示した。そこには「目標設定の重要性」と題され、次のように書かれていた。
クラブ全体の目標を共有する
個人の目標を設定する
目標を定期的に見直し、更新する
「まず、目標を持つことの重要性についてお話ししましょう。目標がないと、自分がどこに向かって進んでいるのかがわからなくなります。みなさんが取り組むべき第一歩は、クラブ全体の目標を理解し、それを共有することです。」
彼は一呼吸置いて、続けた。
「今の光田高校弓道部の全体の目標は、地区予選を突破することです。これはみなさん全員の共通の目標です。そして、これに加えて、皆さん自身がそれぞれの個人目標を設定してください。『どうして弓道をしているのか』『今大会で何を達成したいのか』。これを具体的に考えて、後日、拓哉コーチに報告してください。」
この言葉に、部員たちの中で少しざわめきが起きた。目標を言葉にすることの重みを感じているようだ。しかし、深澤はさらに背中を押すように語りかけた。
「目標を持つことは、練習や試合で迷ったときに進むべき道を示してくれます。特に、弓道は一人一人が独立した競技者でありながら、チームで戦うスポーツです。個人の目標がクラブ全体の目標と合わさることで、大きな力が生まれます。」
次に、深澤は気分を高めたり落ち着けたりする方法について説明を始めた。
「ところで、皆さんは試合前や練習中、どうやって気持ちを整えていますか?リラックスしたいとき、または集中力を高めたいとき、どんな方法を試していますか?」
部員たちはそれぞれに考え込むような表情を浮かべた。深澤は、スクリーンに「音楽の力を活用する」と書かれたスライドを映し出す。
「ここで一つ、簡単に取り入れられる方法をご紹介します。それは、好きな音楽を活用することです。アップテンポな曲を聴くと、気持ちが盛り上がりやすくなります。逆に、ゆったりした曲や自然音のような音楽は、心を落ち着かせる効果があります。試合前や練習の合間に、自分の好きな曲をプレイリストに入れておいて、場面ごとに使い分けてみてください。」
これを聞いて、一部の部員たちの顔が明るくなった。音楽の力を借りるという方法は、多くの部員にとって親しみやすいものであり、すぐに実践できそうだと感じたようだった。
「ただし、音楽を使う際も、自分の気持ちに合った曲を選ぶことが重要です。焦っているときに激しい曲を聴いてしまうと、逆効果になることもあります。リラックスしたいときは、深呼吸を取り入れながら穏やかな曲を聴いてみてください。それから、曲は固定するようにしてください。この気分の時はこの曲、というふうに。だから、曲の選定は慎重に行うようにしてください。」
その後、部員たちは簡単なリラクゼーション技法やイメージトレーニングを体験し、深澤の講義は終盤を迎えた。
「最後にもう一度お伝えします。メンタルトレーニングは一夜漬けでは効果がありません。技術と心、この両輪を意識しながら、日々少しずつ取り組んでください。そして、自分が掲げた目標を定期的に見直し、達成に向けて努力を続けていきましょう。そのためにも、ノートを取ることは、強くお勧めしておきます。」
「それから、個別に質問がある時は、気軽に連絡してください。連絡先を書いておきます。できるだけ早く返信するように致しますが、48時間ぐらいは猶予してください。必ず高校名を書いてください。」
それでは、最後に一例として、具体的なトレーニングプランを書いたプリントをお配りします。これはあくまで一例として参考にしてください。」
1. 呼吸法と瞑想 (5~10分)
目的:心を落ち着け、集中力を高める。
内容:静かな場所で椅子に座り、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
方法: 4秒吸う → 4秒止める → 8秒吐く。このリズムを保つ。
呼吸に意識を集中させる。雑念が湧いたら再び呼吸に意識を戻す。
呼吸に慣れてきたら、矢を放つ自分の姿を頭の中で描いてみる。
矢を引き、放ち、的中する瞬間の感覚をできるだけ鮮明にイメージする。
2. イメージトレーニング (10分)
目的:正確なフォームと成功体験を脳に刻む。
内容:全員が目を閉じて静かに座り、以下のステップを順番に想像する。
矢を弦にかける感触。
会の安定感と弓を引ききったときの静けさ。
矢が的に当たる瞬間の爽快感と成功の達成感。
トレーニング後、ペアを組んで感想を共有し、互いにフィードバックを行う。
3. 自己肯定のアファメーション (5分)
目的:ポジティブな自己イメージを作る。
内容:練習前に、自分に向けてポジティブな言葉を繰り返す。
例: 「私は冷静に的を射抜ける。」
「私は練習で得た力を信じられる。」
リーダー役を決め、全員で声を揃えて行うことでチーム全体の士気を高める。
4. プレッシャー耐性トレーニング (15分)
目的:大会の緊張感に慣れる。
内容: 練習を試合さながらの環境で実施。
静寂を保ち、部員全員が観戦する中で1人ずつ矢を放つ。
終了後、各自が感じた緊張感や心の揺れについて話し合う。
「どの瞬間に緊張が最も高まったか」「その感情にどう対応できたか」を共有する。
5. グループディスカッションと目標設定 (20分)
目的:個人とチームの成長を促進する。
内容: 現時点でのチーム全体の目標は「地区予選突破」。
個人目標は各自が設定し、後日樹神コーチに報告する。
例: 「今月中に矢数を50本増やす。」
練習後、週に一度ディスカッションを設ける。
「今日うまくできたこと」「次に改善したいポイント」を共有。
短期・長期的な目標をそれぞれ設定する。
6. リフレーミング練習 (10分)
目的:失敗をポジティブに捉える力を養う。
内容:練習中に経験した失敗を話し合い、「それをどう成長に結びつけられるか」を考える。
例: 「的を外したけど、今日はフォームが安定していた。」
チーム全員で「失敗=成長のチャンス」というマインドセットを構築する。
7. リフレッシュと音楽活用 (10分)
目的:緊張を和らげ、集中力を高める。
内容:好きな音楽を活用し、場面に応じて感情を調整する。
アップテンポな曲で気分を盛り上げる。
ゆったりした曲で心を落ち着かせる。
練習前後にチームでリフレッシュゲームを実施。
例: 「弓道に関する言葉の連想ゲーム」や簡単なストレッチ。
8. 自己観察日記の記録 (日々の習慣として)
目的:心の状態や練習内容を客観的に振り返る。
内容:練習後、以下の項目を簡単に記録する。
今日の気持ち(ストレスや集中度)。
成功したことと改善したいポイント。
次回の練習で挑戦したいこと。
部員たちは深澤の話に深く感銘を受けた様子で、一斉に拍手を送った。彼の講義は、彼らの心に確かな刺激を与えた。目標と心の準備という新たな課題に向き合うための第一歩が、静かに刻まれた瞬間だった。
参考文献・令和版基礎からのメンタルトレーング 高妻容一 ベースボールマガジン社
世界を獲るノート 島沢優子 株式会社カンゼン




