第21話 マネージャー入部
弓道場には、夕陽が差し込み、静かに練習が始まろうとしていた。部員たちは着替えを済ませ、準備体操を終えると、それぞれ弓や矢の手入れに取り掛かっていた。その時、道場の入口が開き、コーチが一人の女生徒を連れてやってきた。「みんな、ちょっと手を止めて聞いてほしい」と、コーチの声が静かな道場に響く。
部員たちは手を止めて振り向いた。視線の先には、緊張した様子で杖をついた女生徒が立っていた。
「今日からマネージャーとして入部することになった、雲英まゆさんだ。彼女を紹介するよ」
一瞬の沈黙の後、ざわざわとした声が広がる。
「えっ? 昨日の今日でもう?」
「早い展開だな……」
驚く部員たちを前に、コーチは笑みを浮かべながら説明を続けた。「実は、彼女はずっと弓道に憧れていたそうなんだ。でも、身体が少し不自由で、部活動は難しいと思って遠慮していたんだそうだ。でもな、最近の朝の練習で、みんなが練習している姿を見て、『自分にはできなくても、何かお手伝いできることはないか』と相談しに来てくれたんだ」
部員たちは顔を見合わせた。その言葉の背景には、どれだけの勇気と努力があったのだろうか。
コーチはまゆに優しい目を向けながら話を続けた。
「そこで、まずはマネージャーとして手伝ってもらうことにした」
「彼女は身体的な事情もあって、杖をついていて長い距離を歩くことはできない。それに、彼女は声帯も弱くて、大きな声を出すのが難しい。話す時は小さな声でささやくような感じだ。それでも負担がかかることから、ノートに筆記して意思疎通をする。だから、みんなでしっかり配慮して協力して支えていこうと思う。手話もできるから、少しづつでもみんなじゃないか。今日は俺が一日付きっきりで教えるつもりだが、主に的中数のチェックをお願いすることになると思う」
コーチの言葉が終わると、彼女がほんの少し前に出てきて、小さな声で挨拶をした。
「よろしくお願いします……」
その声は本当に小さかったが、決意が感じられた。声を出すのに精いっぱいの様子で、恥ずかしさと緊張もあったのか、彼女の白い頬が薄く赤らんでいた。どこか申し訳なさそうに視線を伏せた姿は、儚げだった。しかし、細身の身体に杖をついているが、背筋はまっすぐに伸びていて、瞳には強い意志が宿っている。その澄んだ瞳は、練習場にいる杏子の姿に留まったまま動かない。
(あんな風に……なりたい。)
彼女は朝の練習で見た、杏子の矢を引く姿を思い出し、胸の中に温かい憧れが広がるのを感じていた。
その姿に、杏子もまた目を奪われた。杖をつきながらも、まっすぐに立つその少女の瞳は、驚くほど透き通っていて、まるで澄んだ水面のようだった。
「すごく綺麗な人だな……」杏子は自然とそう思った。その美しさは外見だけでなく、努力を重ねてここまで来た彼女の内面からもにじみ出ているようだった。
「よろしくお願いしますね」と部長の花音が明るく声を掛けると、他の部員たちも口々に挨拶を交わした。
あかねがすくっと立ち上がり「わたしが進めました。親友なの。みんなよろしくお願いします」と言った。
その後、道場の隅には彼女のための机と椅子が用意された。まゆは早速仕事を始めた。あかねが、部員全員の名前を早く覚えるために、ゼッケンを作ることを提案した。
「これ、名前だけだと味気ないな。一言メッセージも書き加えようか?」
花音部長の提案に部員たちが盛り上がり、それぞれコメントを書き足していく。みんなの出した案に、本人に拒否権はない。
「国広花音、優しい部長。と言わないと恐い」
「奈流芳瑠月、初見で読めたの一人だけ」
「三納冴子、クラスと部活は別人格」
「松島沙月、黄金のサウスポー」
「小鳥遊つぐみ、中てるの命」
「杏子、おばあちゃんの言うことしか聞きません」
「栞代、陰口叩くやつは許さない」
「柊紬、それはわたしの課題ではありません。」
「あかね、まゆに近づくにはわたしの許可がいるからな。」
まゆは一つ一つのメッセージを読みながら、微笑んで頷いた。男子たちはなぜか妙に張り切っていた。やたらとアピールめいたコメントを書き込む始末。
「俺ってこんなに面白いんだぜ?」
「俺だけを見てくれ!」
「いつでもおんぶするぜ!」
「気になったら相談に乗るよ?」
と、余計な一言メッセージを添える。
「ちょっと! あんたたち、調子に乗りすぎ!それ、完全に引いてるからね?」と花音が注意するも、彼らはどこ吹く風だ。
まゆはクスクスと笑ってる。
練習が再開され、射込み稽古では二年生以上とつぐみが黙々と矢を引き、一年生たちは体力作りと基礎練習に励んでいた。杏子も他の一年生と同じメニューをこなしながら、弓の基本を磨いていた。その横顔は真剣そのもので、弓を引く部員たちに負けないほどの集中力があった。
まゆは、道場の静かにみんなを見つめていた。コーチと相談しながら、ノートに何かを書き込みんでいた。
練習後、花音と瑠月はコーチのもとへ足を運び、メンタルトレーニングの具体的な方法について相談していた。彼女らにとっては最後の大会。やれることは全てやりたいという熱意が、その背中からひしひしと伝わってきた。
その真剣な声に、まゆもそっと頷く。彼女もまた、弓道部の一員として、全力でサポートしたいと心に誓っていた。
こうして、新たな仲間を迎えた光田高校弓道部は、地区予選に向けて着々と準備を進めていくのだった。