第209話 抽選の神様 その1
第一章 期末の重圧と希望
十一月の冷たい風が光田高校の校舎を駆け抜けていく。窓の外では銀杏の葉が舞い散り、季節の移ろいを告げていた。弓道場の隣にある部室の一角で、光田高校弓道部の部員たちは期末試験の結果を固唾を呑んで待っていた。
「やっぱり緊張するね」
一年生の一華が小さくつぶやく。彼女はマネージャーとして部を支えているが、学年でもトップ10に入る優秀な生徒だ。しかし、光田高校の厳格な規則は例外を許さない。赤点を二期連続で同じ科目に取れば、問答無用でクラブ活動停止。追試という救済措置はあるものの、それすら厳しい条件が課せられる。
この二学期からの定期テストで赤点を取ると、高校総体へ出場できなくなる可能性がある。全国大会前の今の時期に勉強の心配もしなければならない。
部長の杏子は静かに成績表を見つめていた。国語は今回も学年トップクラス。問題は英語だった。留学生のソフィアが必死にサポートしてくれたおかげで、なんとか平均点は確保できている。杏子の隣では、ソフィアが自身の国語の点数を確認していた。杏子と杏子の祖父の手厚いサポートにより、こちらも赤点は逃れた。
「真映は大丈夫?」
二年生のまゆが心配そうに声をかける。一年生の真映は体育と美術では学校でもトップクラスの成績を誇るが、他の科目は正直なところ苦手だった。特に数学と理科は毎回ひやひやする点数で、今回も例外ではなかった。
「ギリギリセーフ!」
真映が明るく手を上げる。その表情には不安の色は微塵もない。持ち前の切り替えの早さで、すでに次のことを考えているようだった。
三年生の奈流芳瑠月は既に引退していたが、受験勉強の合間を縫って後輩たちのサポートを続けていた。彼女が作成した予想問題集は的中率が高く、今回も多くの部員を救っていた。学年トップの成績を保ち続ける瑠月への学校側の信頼は厚く、それが弓道部全体への配慮にもつながっていた。
「みんな、お疲れさま」
杏子が静かに声をかける。全員が赤点を回避できたことで、部室には安堵の空気が流れた。これで予定通り、鳳城高校、鳴弦館高校との三校合同練習試合に臨むことができる。
第二章 縁起のいい練習試合
「去年のこの時期の練習試合、覚えてる?」
二年生の栞代が懐かしそうに言う。去年の冬、光田高校は「杏子、瑠月、つぐみ」の三人で、5年以上敗北を知らなかった鳳城高校を練習試合で破るという快挙を成し遂げた。鳳城高校の動揺ぶりは相当なものだった。光田高校は、この勢いで、選抜大会の全国優勝も十分に視野に入ったほどだった。
しかし、運命は残酷だった。つぐみの突然の引っ越し、そして杏子の祖父の病気による帰省。光田高校は大ピンチに陥った。それでも瑠月を中心に、杏子の親友である栞代、そして当時の部長だった冴子が必死に穴を埋め、全国選抜大会で三位入賞を果たしたのだった。
「今年こそは」
杏子の瞳に静かな闘志が宿る。あの時の悔しさを胸に、仲間たちと共に歩んできた一年間。今度こそ、完全な形で鳳城高校と鳴弦館高校に挑みたかった。
「三人制で三チーム編成だから、全員出場できるね」
まゆが部員数を数えながら言う。現在の光田高校弓道部は、マネージャー兼選手のまゆを含めて九人。三人制なら全員が試合に出場できる計算だった。
拓哉コーチの方針は明確だった。公式戦では完全実力主義。コーチ自身も選考には関与せず、部内の選考試合の結果のみでメンバーを決定する。しかし、それ以外の大会では部員の意見を尊重する民主的な姿勢も見せていた。これは拓哉コーチ自身が現役時代に経験した理不尽な選手選考への反動でもあった。
第三章 真映の提案
「あのさ」
いつものように明るい声で真映が手を上げる。部員たちの視線が一斉に一年生のムードメーカーに集まった。
「チーム編成なんだけど、抽選で決めない?」
その提案に、部室がしんと静まり返った。
「抽選?」
二年生のあかねが首をかしげる。あかねも真映と同じく明るい性格で、いつも二人で漫才のような掛け合いをして部の雰囲気を和ませていた。
「うん!だって、面白いじゃん。どんな組み合わせになっても、鳳城高校と鳴弦館高校をあっと言わせちゃおうよ!」
真映の言葉には確かに一理あった。実力で組めば、自然と杏子を中心とした組み合わせになる。それも悪くはないが、予想外の組み合わせから生まれる化学反応も期待できるかもしれない。
しかし、部員たちは真映の本当の気持ちを察していた。真映が杏子に憧れていることは、誰の目にも明らかだった。光田高校弓道部のメンバーにとって、杏子は単なる部長以上の存在だった。その圧倒的な実力と、普段は大人しくも芯の強い人柄に、誰もが憧れを抱いていた。それは真映も例外ではなかった。
実力主義で編成すれば、真映が杏子と同じチームになる可能性は限りなく低い。しかし、抽選なら三分の一の確率で夢が叶う。真映の提案の裏にある想いを、部員たちは優しく理解していた。
第四章 杏子の決断
杏子は少し考え込んだ。彼女は決して強制的な性格ではなく、部員の意見を否定することもない。特に真映のような後輩の気持ちを大切にしたいと思っていた。
「コーチに相談してみる」
杏子は拓哉コーチの元を訪れた。一足先に弓道場で点検をしていたコーチに事情を説明すると、コーチは苦笑いを浮かべた。
「抽選か…まあ、練習試合だし、部長の好きにしていいよ。去年のように勝って勢いをつけたいという気持ちもあるが・・・・・・」
コーチは言葉を飲み込んだ。その後の急展開はもう二度と起こってほしくない。
拓哉コーチの言葉に、杏子は安堵した。コーチもまた、部員たちの自主性を重んじる人だった。特に杏子の判断力を信頼しており、このような細かい運営は部長に一任することが多かった。そもそも杏子自身というより、杏子のバックには、栞代も、そして実務に関しては右に出る者の居ない、一華とまゆという最強のマネージャーコンビがついていた。
部室に戻った杏子は、コーチの了承を得たことを報告した。
「本当に抽選でいいのか?」
二年生の栞代が確認する。彼女も学年でトップ20に入る優秀な生徒だ。去年を目の当たりにしている生徒でもある。
「みんながそれでいいならいいが、ガチに価値に行くのもいいと思うぞ」
とはいえ栞代も強くは言わず、杏子は、
「ま、今まで抽選って無かったし。ま、いっか」
と明るく言った。
杏子の言葉に、部員たちは顔を見合わせた。表面上は渋々といった様子を見せながらも、実際のところ、新しい組み合わせへの期待も抱いていた。いつもとは違うチームメイトと組むことで、新たな発見があるかもしれない。
「じゃあ、決定ね!」
真映が嬉しそうに手を叩く。その表情には、杏子と同じチームになれるかもしれないという淡い期待が込められていた。
第五章 運命の抽選
翌日の放課後、弓道部の部室では抽選会が開かれた。方法は至ってシンプル。A、B、Cと書いた紙を3枚ずつ箱に入れ、1人ずつ引いていく。
「じゃあ、部長からお願いします」
真映が箱を杏子の前に差し出す。
杏子が最初の紙を引く。「A」と書かれていた。
「抽選でもAを引くなんて、やっぱ部長、宇宙人だわ」真映が明るくちゃかす。
続けて栞代がひく。また「A」と書かれていた。
「おい、お前ら、たまには離れろよ」と今度はあかねが笑う。
杏子は微笑みを浮かべた。
続けて、紬とソフィアは「B」を引いた。
真映はちょっとほっしながら、「仲良し組が一緒になるようになってますねっ」と。
そして、あかねとまゆも引いたがこれも同じく「C」だった。
「うわっ。ここまでくるとなんか恐いね」とあかねが笑う。
残りは一年生3人。3人がそれぞれ分れることになった。ここに来て確率はまた3分の1。
最初につばめが引いた。
「C」。
これで確率は2分の1。最初部長と栞代がいきなり同じチームになった時は絶望したが、ここまでのこり1枠が出ていない。これは来たな。真映はそう思い、自然と笑みが零れた。
「真映、引く?」と楓から聞かれたが、抽選の言い出しっぺの自分が引く分けには行かない。抽選を作ったのも真映だった。
「いや、楓引いて」




