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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
206/432

第206話 姉妹対決に杏子が見たもの

個人戦直前、光田高校の控室。


「……悪い、コーチ。オレ、辞退させて」

栞代が静かに言った。


「体力的にも精神的にも、ちょっともう……矢、ぶれるわ。杏子も出んし、オレも出ん方が、つばめのためにもええと思う」


「私もです」

隣で紬が、ごくあっさりと口を開く。


拓哉コーチは、しばらく二人の顔を見比べたあと、ため息をついた。

「……ま、団体戦の決勝で相当プレッシャーだったからな。光田高校でワン、ツー、スリーを狙ったが、今回はよしとしよう」


控室に安堵の空気が流れる中、杏子はスマホを握りしめ、つぐみにLINEを送った。

『肩、ちょっと力入りすぎてる。リズムずれてる。大丈夫?』

既読はつかない。


準備してるんだろうな。やっぱり見ないか。

そう思いながら、杏子はスタンドに戻る。


祖父母の隣の席に座ると、祖父が満面の笑みで言った。


「おお、ぱみゅ子、優勝おめでとう。これもそれも、ぱみゅ子が弓道部を鍛えたからじゃのう」


杏子は小さく微笑みながら、

「おじいちゃん、わたし、何もしてないのよ。勝手に練習してただけ。全部栞代とまゆ、一華がしてくれてるの」


にょきっと顔を出してきたのは相変わらずの真映だった。

「おじいちゃん、安心してください。わたしが居る限り、光田高校弓道部は永久に不滅です」

と言ったとたん、あかねに「永久にって、お前は三年で卒業するだろうが」と言われながら、首根っこをひっばられて行った。「まさか永遠に留年する気じゃないだろうな」


「面白い子じゃな~」おじいちゃんがため息まじりに言うと、杏子はニコニコしながら

「居なくなったら大変なことになる、大切な子なのよ」

と真映を見送った。


栞代がくると、祖父は「お~、栞代、大変じゃったなあ。個人戦には出ないんじゃな?」

「ああ、おじいちゃん。団体で全部使い切っちゃったよ」

「あんまりそうも見えんが」「いや、疲れてんだよ。な、紬」

「それはわたしの課題ではありません」

近くの部員たちが笑っている。


そんな中、各県の強豪たち、各校のエースたちが揃う個人戦が始まった。


予選、そして決勝が続く。

そして、的が小さくなる5射めを迎えたのは、8人だった。

岸和田産大高校の西村理子。桜花女子高校の此花千鞠。京詠外大付高校の望月結蘭。鳳泉館高校の有栖川千紗。春日大和高校の朝永綾音。武庫川南高校の小坂結唯。そして、光田高校の小鳥遊つばめ。千曳ヶ丘高校の小鳥遊つぐみ。


全員が全国大会へのチケット所持者だ。全国大会のちょっとした前哨戦とも言えた。。


的が小さくなり、脱落する選手が増えてくる。西村、此花、朝永。

そして、望月、小坂。


残り3人に絞られ、次に有栖川千紗が脱落


残ったのは――


小鳥遊つばめ。

小鳥遊つぐみ。


姉妹。


昨年の女王、ディフェンディングチャンピオン、つぐみに、挑戦者である妹、つばめが挑む。


弓道場の空気が変わる。射場に立つふたりの背中が、異様なほど静かに、そして強くそこにあった。


つぐみとつばめ、姉妹の戦いを杏子は息を詰めて見つめていた。体育館の空気が張り詰め、観客席からは咳払いひとつ聞こえない


つばめが、矢を放つ。

パシィン。

的心に吸い込まれる音。


続いて、つぐみ。

パシィン。


まるで、二人が息を合わせたかのような、完璧な光景だった。


杏子は、スタンドでその一射一射を見つめながら、静かに手を握った。


(つぐみ……少し、肩、上がってる)


そう思ったが、もう伝える術はない。


またも両者ともに的中。


つばめの射形は、まるで杏子を鏡に映したかのような美しさだった。背筋が一直線に伸び、左右の均衡が完璧に保たれ、精神の集中が射形のすべてに現れている。杏子が長年磨いてきた「姿勢」が、つばめの身体を通して完璧に再現されていた。肩線の高さ、指頭の角度、矢の震え──どれを見ても“杏子そのもの”だった。


一方のつぐみは——杏子の目には、もはや技術も姿勢も崩れているように映った。明らかに疲労が色濃い。団体戦の競射に次ぐ競射、決勝戦の緊張――体力も精神も、限界に近づいていた。肩が微かに上がり、呼吸が浅く、射法八節の流れも乱れている。


会に入った瞬間わずかに肩が揺れる。呼吸は荒く、額に細かい汗。射型だけ見れば乱れている。それでも矢は紙的を突き抜け、観覧席からどよめきが起こる。気力だけで矢を飛ばしている――そんな言葉が脳裏をかすめ、杏子の胸を焼いた。


(ふたりとも……限界ぎりぎりまで、全身で“いま”を出し切ってる)


つばめ、またも的中。

つぐみも、気力で的心を射抜いた。


だが、杏子の目には、微妙な違和感が写っていた。


(顔が……上がった。つぐみ……)


それでも、つぐみは引き続ける。

妹の前で、最後まで。


かつて自分で築き、拓哉コーチに指導を受け、杏子が何度もチェックしてくれた姿勢。

気持ちを込めて、そして全身の力を込めて、一本ずつ引き続ける。


そして、つばめもまた。

姉への憧れ、姉を超えたい。そのために、拓哉コーチに指導を受け、四六時中杏子のチェックを受け続けた。、そのすべてを背負い、ただ姿勢だけを見つめていた。


目を閉じる。

深く息を吸い、

矢を、放つ。


杏子は、その姿を見て、息を呑んだ。


二人とも必死だった。お互いが相手を越えようとし、全力を尽くしていた。


その瞬間、杏子の胸の奥で何かが熱くなった。目の奥が熱を帯び、頬に一筋の温かいものが流れていく。いつしか涙が頬を伝っていた。


(二人とも、なんて美しいんだろう)

つばめの完璧な射形も、つぐみの乱れた射形も、どちらも同じように美しく見えた。二人とも相手に向かって、自分の最高の姿を見せようとしているからだった


会場全体が、静寂に包まれていた。


杏子の心に、雷のような閃きが走った


相手に、自分の最高の姿を見せること——)それこそが、競技の、弓道の、真の素晴らしさなのだと気づいた。


「真・善・美」。言葉としてはもちろん知っていた。

「真の弓は偽らない」「善は平常心に宿る」「美は真と善の結晶」。


「相手を慈しむ」ことが弓道の基本精神であり、競争相手であっても敵視するのではなく、お互いの向上を願う心こそが弓道の本質。


杏子の内面では、これまでの自分への痛烈な反省が始まっていた。


(今までの私は、どれだけ傲慢だったんだろう)


つぐみが以前、杏子の優しさを「傲慢な優しさ」と評したことがあった。傲慢? 優しさが? 当時は理解できなかった。その時は理解できなかったが、今なら分かる。いま、つぐみの呼吸の乱れと、つばめの凛とした姿勢を同時に見つめていると、はっきり腑に落ちた。杏子は無意識のうちに、「正しい姿勢を貫けば、きっと当たる」という思い込みを抱いていた。


もちろん、それは意識的な傲慢さではなかった。いつも姿勢のことだけを考え、結果は「たまたま」だと思っていた。しかし心の奥底では、「姿勢さえ正しければ当たる」という確信めいたものがあったのだ。


それは、相手を見下すことにも繋がっていた。友人が対戦相手になると集中できなくなるのも、相手の気持ちを慮るという美名のもとに、実は自分の射を相手よりも上位に置いていたからかもしれない。


(それは優しさの裏返しでもあったけれど——)


杏子の「優しさ」には、無自覚な優越感が混じっていたのだ。それは優しさの皮をかぶった慢心ではなかったか? 相手の痛みを感じると言いながら、実際には“本気でぶつかり合う覚悟”から目を逸らしていたのでは?


競射を見つめながら、杏子の思いは深まっていく。


つぐみとつばめは、互いの技量を認め合い、決して手を抜いていない。どちらも相手に対して、自分の持てる力のすべてを示そうとしている。それは相手への最大の敬意であり、同時に自分への最大の誠実さでもあった。


(自分の最高の姿を見せる——それこそが弓道なんだ)


相手が誰であろうと関係ない。友人であろうと、見知らぬ人であろうと、やるべきことは変わらない。自分の持てる技術と精神のすべてを込めて、最高の一射を放つ。それが相手への礼であり、弓道への礼であり、自分自身への礼なのだ。


弓道は「人でなく的を相手にする武道」と言われるが、その真意がようやく理解できた気がした。的を射ることで自分と向き合い、そこに現れる「真の自分」を相手に示すこと——それが弓道なんだ。

おばあちゃんはずっとそのことを言っていたんだ。「正しい姿勢で引くだけ」。このことだったんだ。だから、結果は関係ないんだ。姿勢を極める先にあるのは、相手の矢と真正面で交わる勇気だ。自分の最高を差し出す勇気だ。



涙が止まらなかった。しかしそれは悲しみの涙ではなく、深い感動に彩られた涙だった。


競射はまだ続いている。つぐみもつばめも、最後まで全力を尽くそうとしている。その姿勢こそが、杏子が目指すべき弓道家の在り方だった。つぐみは乱れている。けれど矢に宿るものは、杏子が真似できない凄烈さだ。つばめは美しい。だがその美しさは、姉である杏子を追い越すために磨かれた凄味だ。二人とも「相手が誰か」を超えて「自分の最高」を放っている。


(私も、いつかきっと——……これが弓道なんだ))


友人が相手でも、憧れの存在でも、見知らぬ人が相手でも、変わらずに自分の最高を尽くせる弓道家になりたい。相手を思いやることと、全力で向かい合うことは、決して矛盾しない。むしろ、全力で向かい合うことこそが、最高の思いやりなのだから。


ただ、自分のすべてを矢に宿し、真正面から差し出す。その一点を貫くことこそ、本当の礼であり強さなのだ。


弓道に対する根本的な理解の変化だった。「正射必中」の真の意味も、今なら分かる。正しい射法とは、技術だけでなく、心の在り方も含めた「正しさ」なんだ。


競射の行方を見守りながら、杏子は静かに微笑んだ。どちらが勝っても、二人とも既に素晴らしい勝利を手にしているのだから。


杏子の視界が滲んでいた。

表情を一切変えないつぐみ。でも、その苦しさは伝わってくる。それでも必死に矢を放つ姿が、胸を突き刺した。


今、弓を引きたい。今すぐ。おばあちゃんに教えてもらった、中田先生に教えてもらった、あの時の弓を。

そのままの弓を引きたい。

もう一度、あの時に戻って。

最初から、やり直したい。

突き上げてくる思いを感じた。


その思いが、ゆっくりと心の中心に芽吹いていく。

……まだ、ふたりの勝負は終わっていない。


杏子は、静かに席を立った。

涙を拭った指先には、まだ熱が残っていた。


気がつけば、足は自然と動いていた。


誰に呼ばれるでもなく、誰かに見せるためでもなく、

ただ、自分の中に溢れる何かに突き動かされて――


会場裏手、大会前に巻藁練習に使われていた広場。

すでに道具は片づけられ、ただ静かな風だけが吹いていた。


それでも杏子は、その場所に立った。


弓を持たず、矢もない。

けれど、彼女の手は、自然と空をなぞるように動いた。


構え、引き、会、離れ。


静かに、ただ、姿勢だけを求めて、杏子は素引きを繰り返した。


一射、一射。


ただの反復ではない。

杏子の中のすべてを、今ここに込めていた。


その姿を――


離れた場所から、じっと見守っている。


祖父と祖母。


誰よりも杏子の弓道を見つめてきたふたりが、

いま、孫の気持ちを、その背中越しに静かに受け止めていた。


祖父は小さく目を細めた。

祖母はただ、ゆっくりと、頷いた。


空は夕暮れに染まりつつあった。


そして杏子の中に、

ひとつの光が、確かに灯っていた。


もう、迷いはない。


その姿は、誰よりも強く、誰よりも美しかった。








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