第201話 ブロック大会はじまる
予選が始まった。
高校弓道のブロック大会は、全国大会への出場権が直接かかっていなくても、選手の成長・交流・技術向上・地域振興など多くの意義を持つ重要な大会である。全国を目指す選手たちにとっては、実力を試し、次のステップへ進むための貴重な舞台となっている。
だからこそ、この大会へ参加する意味は、各高校によって、それぞれの思惑があった。
今大会、光田高校の小鳥遊つばめは、姉との対戦が実現する、個人戦に集中したいということで、団体戦の登録メンバーから外れ、その変わり、的場・ナディア・ヴィクトリア・アナスタシアが初抜擢された。
弓道を始めて、まだ一年にも満たなかったが、真面目な練習態度と、杏子と共に引き続けた弓の数は部員の中の誰にも負けていない。
確かに勝利を第一に考えたものでは無かったが、それでも、去年、杏子の祖父が倒れて欠場したように、なにがおこるか分らない。
そのために、選手層がそこまで厚くない光田高校にとって、全ての選手に経験を積ませることを第一とコーチは考えた。
とはいえ、予選は、いつものメンバーで挑むことになっている。杏子、栞代、紬だ。
予選は決勝トーナメントと違い、直接の対戦相手が目の前にいないためか、的中率は高い傾向にある。
今や光田高校は、全国優勝を目標に掲げる強豪校だ。予選だからといって気を緩めることは許されない。拓哉コーチはあえて選手たちに「ここで結果を出せなければ全国優勝などは夢のまた夢。トップ通過してこい」とプレッシャーをかけて送り出した。選手たちの表情は引き締まり、会場には独特の緊張感が漂う。
いつも必要最低限のことしか言わないコーチから、ここまでの言葉をかけられたのは始めてで、さすがの栞代もやや驚いていたが、弓を握っているせいか、杏子は特にいつもと変わりなく、紬に至っては「それはわたしの課題ではありません」と、いつもの言葉をいつでも言える用意がしてある顔をしていた。
栞代はおかしくなり、そりゃコーチも手を焼くわな、とどこか他人ごとのように思い、緊張感を感じることもなく、予選に挑んだ。
杏子はまるでいつもの通り、当然だといわんばかりの宇宙人ぶりを発揮する。
栞代も、充実しているところをみせる。紬もかなり惜しい1本があったが、3本を当て、トータルで11本的中。
11本的中の掲示板がまだ電光を瞬かせている射場を背に、光田の三人は戻ってきた。
弓を手放した瞬間、杏子は頬をむくりと膨らませた。
「……もう組み合わせ抽選の発表でてる? つぐみ、どうだったかなあ」
普段なら淡々としているくせに、目元がわずかに泳いでいる。弓から離れたとたん、幼い緊張がにじみ出た。
それを見た栞代はタオルで汗を拭きつつ、半分ため息混じりに笑う。
「今さらビビるん? 試合中はさっばり緊張してなかったくせに」
けれど口調とは裏腹に、その表情には充足の色が濃い。一本も外さず、仲間の背中を支えきった自負が灯っている。
紬はと言えば、相変わらず、何も目に入っていないかのように、淡々と自分ことだけに集中している。
まるで自分の的中とチームの順位が無関係かのような素っ気なさ――が、実際は誰より悔しさを抱え込んでいることを、栞代は知っている。
そこへ拓哉コーチが詰め寄ってきた。腰に手を当てて一同を見回した。
「ふ~……いったい何を言えば緊張するんだ、君たちは。まったくいつも通りのびのびと引いてしもて」」
呆れ顔だが、口角は上がっている。二重、いや三重に拍子抜けしたらしい。
杏子は首をかしげ、「いや、コーチすごく緊張してます」と言えば栞代が「今な」と笑う。「今緊張しても遅いんだよなあ。オレ、杏子がガチガチに緊張して弓を引くところ一回見てみたいわ。オレの夢だな」と言って笑った。
その言葉を聞いて、確かにそのくその通りだな、とコーチは呆れた。
「なあ、紬」と栞代はお約束を忘れない。
「それは、わたしの課題ではありません」いつもより、ぶっきらぼうな口調が返ってきた。
栞代は、悔しがってるんやなあ、とこれまた笑いを堪えることになった。
笑い声がひとしきり弾むと、拓哉は手を叩いて締めくくった。
「──よし、気ぃ抜くな。次も一本ずつ。11本で満足するなら鳳城高校は安心するし、鳴弦館高校は笑いが止まらんで」
「いやコーチ、かぐやは弓とは関係なく笑ったり泣いたりするタイプですよ」
コーチは、お前ぐらいは緊張してくれ、と栞代をぎらりと睨んだ。
あららと思った栞代が杏子を探すと、すでに杏子のおじいちゃんと話してた。
杏子は開口いちばん「すっごい緊張した~。だってコーチが緊張させるんだよ、おじいちゃん」と言いつけてる。
どこが緊張しててん。もはや“緊張”という単語の意味が迷子だよ。栞代は思う。
「杏子の辞書の“緊張”の定義、絶対なんかおかしい」と眉をひそめた。
「いやいや、違いますよ、栞代さん。わたしの応援があったからこそ、です」
と真映がかぶってきたが、「お前の辞書にはそもそも“緊張”の言葉ないな。まったく。まともなやつは、オレしかいねえな」と栞代はこぼす。
ふと気がつくと、おじいちゃんがこっちを見てニヤニヤしてる。諸悪の根源はこのおじいちゃんだな。なんで、杏子はおばあちゃんにだけ似なかったんだろうなあ。
「今栞代は、ぱみゅ子はおじいちゃんに似て、なんて幸せなんだろうって思っただろ?」
「は~。ほんとに頭いて~」
頭を栞代を見て、紬が相変わらず
「それはわたしの課題ではありません」
と言い、場は笑いに包まれた。
その様子を見ていた拓哉コーチは、これが光田高校弓道部だな。と改めて思う。
彼女たちはいつも笑顔が絶えず、でも誰よりも真剣で、自由で、だからこそ強い――
そんな弓道部の在り方を、コーチ自身も改めて噛み締めていた。




