第194話 クラブ対抗球技大会への準備
全国大会出場を決めた光田高校弓道部。最大の目標である、全国大会団体戦優勝へ向けての第一歩だ。
弓道部は、翌日から通常体制で練習に励んだ。とはいえ、杏子は試合前と言っても特別変わることもない代わりに、試合直後だと言って、安心して緩むということもない。常に一定の練習態度だ。
まわりは盛り上がったり焦ったり、安心したり緩んだりするが、杏子の姿を見て、平常に戻っていく。背中を叩く訳でも、距離を置くわけでもない。
実務的なサポートは栞代が、そして計画立案実行は一華とまゆが付き添い、いつのまにか、杏子を含めた四人による指導体制、という雰囲気になっている。
紬は「わたしの課題ではありません」といいつつ、積極的に練習の準備に参加し、あかねは「杏子は弓道部のメートル原器だな」などといいつつ、まゆを手伝う。
多分全国の弓道部の中で、もっとも緊張感がない弓道部だろう。だが、遊んでいる訳ではない。
「少し緊張感が足らないのではないか」と拓哉コーチが心配することもある。けれど、緩みすぎた時は栞代が雷を落とすし、何よりも試合ではどうしても緊張するのだから、普段からその強弱に慣れる必要がある──そう考えていた。でも、改めて思ったのは、“いつもの自分でいられる”ことこそ、本番で最大の武器になるということだった。
特に、杏子がもたらす安心感は計り知れない:
顔色ひとつ変えずそばにいるだけで、心が落ち着く
緊張で手が震えても、杏子がそっと隣に立つだけで、呼吸が整い、競技に集中できる。これは精神的な重力を一気に消し去るほどだ。
他人のミスを笑い合える余裕がある
たとえ単純なミスがあっても、誰かがふざけて軽く笑い飛ばす空気があるから、チーム全体の心がすり減らない。「失敗しても次がある」安心感が連鎖して、誰も委縮しなくなる。
思いやりが見えるから、個々のプレッシャーが軽くなる
「どうした?」と気にかける声、励ましの目線、お構いなしのふざけ合い──、そのすべてが「一人で抱えなくていい」という無言のメッセージになっていた。
全員に思い入れがあるから、協力のしがいが違う
それぞれが「チームの一員でいたい」と自然に思える環境。その結果、試合でも細かいフォローや声かけが増え、チームとしての総合力が底上げされる。
緊張は“緩んだ先”で向き合う
普段の緩さは、むしろその緊張からの解放への“備え”でもあった。普段と同じ声のトーンで、自分らしく笑い合えることが、そのまま“怖くない本番”につながっていた。
つまり、光田高校弓道部のポテンシャルは、単に“緩い緊張感”ではなく、“心理的安全と信頼の厚み”に支えられた“強さの緩み”なのだ。試合でも普段と同じ姿勢で臨める──それこそが、彼女たちのスタイルだし、何より、全国に続くストーリーを支える“本物の強さ”でもある。
去年は部長である冴子のカラーが強くでていたチームだった。対して今年はどこに杏子が居るのか分らないチームだ。だが、それこそが、杏子のチームの証だった
全国大会までの目標として、次は完全に日程が被ってる選抜ブロック大会と期末テストに向けて踏ん張りどころだ。
だが今年はその前に、クラブ対抗の球技大会が開催されることになった。あくまでレクレーションであるが、そこはクラブによる温度差もあった。
競技はバスケットボールとバレーボール。それぞれのクラブは違う種目に出場することになる。ほかは希望制、重複したら抽選だ。ひとつの種目につき、8チーム。注目するべきは、クラブに所属していない人たちから編成される帰宅部と、文化部選抜。参加者の人数が心配もされたが、そこは主催の生徒会の努力でクリアされた。
弓道部は、栞代が中学時代、バスケットボールの全国準優勝経験者、しかも当時キャプテン、ということで、バスケットボールに出場することになった。
女子バスケットボールに出場するクラブは、バレーボール部、ハンドボール部、柔道部、テニス部、卓球部、それぞれの女子と、そして文化部選抜と帰宅部、弓道部だ。
クラブ活動時間で練習する時間は無かったが、球技大会一週間前から、順番で1時間のみ体育館の練習が割り当てられた。
放課後の体育館。クラブ活動の練習時間内ではあったが、学校に提出している予定表では自由練習日だったから、仕方ない。
いつもと違うことをする、というだけで盛り上がる部員たち。球技大会に向けたバスケ練習が始まった。
経験者である栞代をリーダーに、それぞれの部員の力を見極めながらの練習だ。
栞代は軽口交じりにボールを抱えていると、弓道部が誇る爆弾娘、真映が黙っていなかった。
「栞代さん、やっぱりやるからには優勝ですよね」
「あれ、真映経験者だっけ?」
「もちろんす。実は密かに栞代さんに憬れ、裏切られ、そして同じ弓道部に入りました」
お前、弓道部だって言ってたじゃねーか。どんなウソまでつくねんこついは。栞代はあきれ返る。だが、身のこなしは軽いようだ。
真映はボールをドリブルしながら、あかねを小突く。
「あかねさんもハスケでしたよね」
いや、そんな過去はないが、あかねも運動神経は抜群。
「結構動きいいな。ちょっと見直したよ」
軽く構える栞代。結構いけるかもな。
次に声を上げたのは、フィンランドからの刺客、ソフィアだ。
「私、バスケは得意ですよ。フィンランドではバスケ大人気なので、すっと続けてまして~」
一同が一瞬動きを止める。
「マジですか?」
真映が満面の笑みを見せる。
「ソフィア、バスケ得意なん?」
「Juuri niin.」(その通りです)
とソフィアがにっこり。
「金髪碧眼長身美人。いったい欠点どこやねん」
真映が叫ぶ。
あかねが「この存在感っヤベーな」と続いたことを受けて栞代が
「紬はどう思う?」
「それはわたしの課題ではありません」
と、笑いに包まれ、あっと言う間に練習時間は終わった。
栞代が指揮をとりつつ、真映のエネルギーが体育館に火をつける。あかねも本気になり、ソフィアはフォームの確認や指導にも加わった。
笑いと汗にまみれた1時間だった。パス、ドリブル、シュート——普段の弓よりもずっと動き、息が上がる。でも皆、声を掛け合っては笑顔を交わした。
練習後は輪になって、作戦会議。
「意外とみんな動けるな」栞代が感心すると
「う~ん。冴子部長が残した基礎体力トレーニング、杏子部長が無くさなかったのは、このためだったんですね~」と真映が感心する。
「ちゃうわ」とあかねが受ける。
「ケガにはくれぐれも気をつけろよ」と口を出すコーチ。
コーチとしては、身体接触のないバレーボールを選んで欲しかったようだが、強い部活、という誇りは、ここでも一切手を抜いていなかった。
「もちろんです」
「気合入れすぎて、弓道場で腰折らんようにな!」の言葉を残して拓哉コーチは姿を消した。
この日の練習は、もともと自由参加ではあるが、真映が杏子に、練習を休ませてほしい、といいに来た。
もちろんいいよ、と笑顔で返す杏子に「実は、楓とソフィアさんと紬さんとあかねさんを連れて行きたいんです」と言い出して、杏子は少し驚いたが、バスケの練習がしたいんだな、と察した杏子は「ケガしないでね」と拓哉コーチの言葉をそのまま伝えた。
一華によると、真映がみんなを拝み倒したらしい。
地域の自治体が運営する近所の体育館では、真映、楓、あかね、ソフィア、紬はバスケットボールを片手にドリブルの音を響かせていた。
「シュート、いくよ!」と真映。あかねがボールを受け取り、見事なフェイクからのレイアップ。ソフィアは外から見事なスリーを決め、楓はパス回しに徹してチームを支える。紬は輪に加わって軽くパスを受け取り、的確なトスを決めていた。
運動神経抜群メンバーの笑い声と掛け声。離れた弓道場にも届くんじゃかと思うぐらい、彼女たちは熱気に包まれていた。
一方、弓道場では、静かな練習風景だった。
杏子はいつも通りの姿勢で一射を放つ。的に矢が吸い込まれるように当たる。
栞代は射形をチェックしながら、気合いを漏らす。つばめとまゆは、空いた弓道場で、ゆっくりと練習し、一華がサボート。
一華は矢の飛び方や息づかいをノートに記録していた。
まゆは控えめながらも真剣に見守り、矢取りや的掃除を手早くこなしていた。
息を合わせて放たれる一矢一矢。そのたびに互いの存在が励みとなる。
栞代、つばめ、杏子と、団体戦での出場が予想されるメンバーで、息を合わせる練習にも余念がない。
練習は終わったが、まゆとつばめが杏子を離さず、指摘を受けている。
栞代が一足先にひきあげ、一華のノートを見ている。
「ふぅ…今日はなんか静かだったな」
栞代が小さく息をつくと、一華がにこっと笑い、
「たまにはこういうのもいいですね。ずっとだとちょっと寂しいですが」
「ほんとだな」
「ちょうどいいんで、まゆさんとつばめの練習が終わったら、ブロック大会に向けての練習計画を立てたので、目を通してもらえますか?」
「ああそうだな、ちょうどいいよな」
一華がこれからき練習用の資料を取り出す。
一華の手元には、体力とのバランスや今後の射数、休憩タイミングまで考慮された緻密な練習表がある。
杏子がまゆとつばめを連れてくる。
一華から練習計画表を渡される。
まゆが少し驚きつつも、
「さすが、一華ちゃん。これならばっちりだね~」
「いや、まゆさんが教えてくれたものに、ちょっと付け足しただけです」
一同、丸くなり、腰をおろし、静かに戦略会議へと流れていく。




